27時間目 勇者の干渉
俺は放送室を飛び出し、階段を転げ落ちるように駆け下りた。
呼吸が苦しい。右手の感覚はない。
だが、行かなければならない。
グラウンドに出ると、そこは祭りの後のような静寂と、熱気が渦巻いていた。
極彩色の火の粉が、雪のように舞っている。
その中心、朝礼台の上で、凛が肩で息をしながら膝をついていた。
「凛!」
「……カケル」
凛が顔を上げる。汗で濡れた髪が頬に張り付いているが、その瞳はまだ燃えている。
俺は彼女の隣に立ち、夜空を見上げた。
上空の亀裂は、凛の炎によって縫合され、閉じかけている。
だが、完全に閉じるその寸前。
最後の裂け目から、一筋の光が音もなく降りてきた。
それは魔物ではなかった。
巨大な腕でもなかった。
光はグラウンドの土を踏みしめ、人の形をとった。
ボロボロに錆びついた鎧。
泥と血にまみれたマント。
そして、疲労と狂気が入り混じった瞳。
「……豪徳寺」
俺が名前を呼ぶと、その影――勇者・豪徳寺の精神体は、ゆらりと顔を上げた。
『 あ ぁ …… 相 沢 、 か 』
声は、スピーカーを通さず、直接脳内に響いてきた。
懐かしいクラスメイトの声。だが、それはまるで数十年戦場を彷徨った老人のように枯れていた。
『 い い な ぁ …… 』
豪徳寺が、周囲を見渡す。
まだ燻っているキャンプファイヤーの残り火。
散らばった色とりどりの紙吹雪。
そして、お揃いの衣装を着て並ぶ俺と凛。
『 い い な ぁ …… お 前 ら は 』
豪徳寺が一歩、踏み出してくる。
その足元から、黒い泥のような魔力が染み出し、グラウンドの草を枯らしていく。
『 俺 は 戦 っ た ん だ ぞ 。 ク ラ ス の 代 表 と し て 、 お 前 ら を 守 る た め に 』
『 怖 か っ た 。 痛 か っ た 。 で も 、 英 雄 に な れ ば 報 わ れ る と 思 っ て … … 』
豪徳寺の手が震える。
その手は、剣を握りすぎて豆だらけになり、爪は剥がれ、見るも無惨な状態だった。
『 な の に 、 な ん だ こ れ は ! 』
彼は叫んだ。
『 な ぜ 、 逃 げ た お 前 ら が 笑 っ て る ! 』
『 な ぜ 、 選 ば れ な か っ た 落 ち こ ぼ れ が 、 俺 の 欲 し か っ た 日 常 ( も の ) を 持 っ て い る ん だ ! 』
理不尽な怒り。
でも、俺には痛いほど分かった。
彼は、ただの高校生だったのだ。
いきなり「世界を救え」と放り出され、死ぬ思いで役目を果たして帰ってきたら、留守番組が文化祭で馬鹿騒ぎしていた。
心が折れるのも無理はない。
豪徳寺が手を伸ばす。
その指先が、凛に触れようとする。
『 よ こ せ …… そ の 場 所 を 、 俺 に 代 わ れ ! 』
空気が凍りつく。
彼の指先から放たれるのは、空間を強制的に置換しようとする魔法だ。
凛を異世界へ弾き出し、自分がここに収まろうとしている。
「――させるかッ!」
俺は凛の前に割り込んだ。
右手を突き出す。感覚はない。でも、動く。
「豪徳寺。お前の気持ちはわかるよ。同情もする」
俺は彼の目を見て言った。
「でもな、これだけは譲れねえ」
『 ど け ! 相 沢 ! 』
「どかない! ここは俺たちが守った場所だ!」
俺は一歩も引かなかった。
「お前は『与えられた使命』で戦ったかもしれない。でも俺たちは、自分たちで考えて、工夫して、泥臭く生きてきたんだ!」
「選ばれなかった? 違うな。俺たちは、ここを選んだんだよ!」
『 う 、 う ぅ …… ッ ! 』
豪徳寺がたじろぐ。
彼の鎧が、ポロポロと崩れ落ちる。
英雄としての虚飾が剥がれ、ただの泣きそうな少年の顔が露わになる。
「帰れ、豪徳寺」
俺は冷酷に、しかし友として告げた。
「お前は向こうの主人公だろ? だったら、最後まで向こうで物語を終わらせてこい」
「中途半端に逃げ出して、俺たちの青春に割り込んでくるな!」
『 あ …… あ ぁ …… 』
豪徳寺が膝をついた。
彼の体から光が失われていく。
こちらの世界の「拒絶」と、彼自身の「諦め」が、彼を元の世界へと引き戻そうとしている。
だが、まだだ。
空の亀裂は、まだ完全に閉じていない。
豪徳寺という楔が残っている限り、ゲートは繋がり続け、やがて爆発する。
「カケル! センパイからの合図よ!」
凛が叫び、校舎の屋上を指差した。
そこでは、東雲センパイがサーチライトを点滅させていた。
――『トドメを刺せ』。
俺は残った左手で、豪徳寺の胸倉(に見える光)を掴んだ。
殴るんじゃない。
押し出すんだ。
「行くぞ、凛! 最後の共同作業だ!」
「言い方がキモいけど……付き合ってあげる!」
俺の『固定』と、凛の『発火』。
そしてセンパイの『科学』。
全ての力を合わせた、最後の一撃が放たれる。




