24時間目 英雄の孤独
グラウンドは、もはや戦場ではなかった。
そこは、熱狂の渦巻くライブ会場だった。
凛の炎舞が、夜空を焦がす。
極彩色のレーザー光線が飛び交う。
そして、爆音のロックが校舎を揺らす。
『ギ……ギギッ……』
空を覆っていたガーゴイルの群れは、攻撃することを忘れていた。
まばゆい光。心地よいリズム。
暗い洞窟で生まれ、血生臭い戦場しか知らなかった彼らにとって、この「文化祭」という煌めきは、あまりにも刺激的で、美しすぎたのだ。
だが。
ただ一人、その光景を「地獄」として見つめる者がいた。
ズズズッ……。
俺の頭上で、巨大な腕が震えた。
『固定』による拘束を振りほどこうとしているのではない。
その震えは、まるで「嗚咽」のようだった。
ミチチッ……。
俺の脳内に、またノイズが走る。
右手の感覚がズレる。
そして、その「ズレ」た隙間から、流れ込んでくるものがあった。
それは、豪徳寺の記憶だった。
*
(――暗い)
(――寒い)
俺の脳裏に、異世界の風景がフラッシュバックする。
灰色の荒野。腐った沼の臭い。
野営地の硬い地面で、泥だらけの毛布にくるまって震える豪徳寺の姿。
『 素 晴 ら し い ! さ す が 勇 者 様 だ ! 』
王様や騎士団長の声が響く。
だが、彼らの目は笑っていない。豪徳寺を「便利な兵器」としてしか見ていない。
称賛の言葉と共に渡されるのは、干し肉とわずかな水だけ。
豪徳寺は、焚き火を見つめながら思っていた。
――帰りたい。
――コンビニの明かりが見たい。
――ふかふかの布団で眠りたい。
――誰かと、馬鹿みたいに笑い合いたい。
そして今。
次元の裂け目越しに見えたのは、その「渇望」していたすべてが詰まった光景だった。
*
『 あ ぁ …… 』
放送室のスピーカーから、ノイズ混じりの溜息が漏れた。
巨大な腕の指先が、凛の踊る朝礼台へと伸ばされる。
握りつぶそうとしているのではない。
まるで、その暖かな光に触れたがっているかのように。
『 な ぜ …… な ぜ 、 そ こ に 俺 が い な い ん だ 』
――その問いに、答えられる者は、誰もいなかった。
豪徳寺の本音が、俺の脳内に直接響いた。
『 俺 は 頑 張 っ た 。 命 が け で 戦 っ た 』
『 な の に 、 な ぜ 俺 は こ ん な に 惨 め で …… 』
『 逃 げ た お 前 ら が 、 ど う し て そ ん な に 輝 い て い る ん だ 』
それは怒りではなかった。
純粋で、濁った、どうしようもない「羨望」。
世界を救ったという栄光さえも、たった一夜の文化祭の前では色褪せて見えてしまうほどの、圧倒的な敗北感。
『 見 せ る な ァ ァ ァ ッ ! ! 』
巨大な腕が暴れた。
羨望は、瞬時に憎悪へと変わる。
自分に見ることの許されない「青春」を、力ずくで消し去ろうとする子供の癇癪。
腕が振り上げられる。
風圧が、グラウンドの砂を巻き上げた。
巨大な影が、凛の立つステージを覆い尽くす。
凛を、ステージごと叩き潰すつもりだ。
「カケル!」
凛が叫ぶ。
俺はマイクを掴んだ。
右手の感覚はもうない。だが、俺にはまだ「口」がある。
「豪徳寺ィ!」
俺は叫んだ。
「悔しいか! 羨ましいか!」
巨大な腕が一瞬、ピタリと止まる。
「そりゃそうだよな! こっちは最高に楽しいもんな!」
「でもな、これは俺たちが自分で作った『楽しさ』だ! 誰かに与えられた使命でも、称賛でもねえ! 俺たちが、俺たちの手で掴み取った日常だ!」
俺は血の混じった唾を吐き捨てるように言った。
「英雄ごっこに酔いしれて、日常を捨てたのはお前だろうが!」
「無いものねだりしてんじゃねえ! 指くわえて見てろ!」
『 う …… う ぅ …… ッ ! 』
図星を突かれた巨大な腕が、空中で萎縮するように縮こまる。
物理的な拘束力以上に、心の芯を折られたダメージ。
「センパイ! 今だ!」
俺は合図を送った。
豪徳寺の心が折れ、腕の力が弱まったこの瞬間こそが、最初で最後の好機。
「承知した! とっておきを打ち上げるぞ!」
東雲センパイが、赤いカバーのついたスイッチに手をかけた。
凛が朝礼台の上で、最後のポーズを決める。炎が螺旋を描き、天を指す。
「フィナーレよ! 全部まとめて消し飛びなさい!」
俺たちの文化祭は、いよいよ終わりの時を迎える。
この一撃で、夜明けを呼び込むのだ。




