20時間目 拒絶のメッセージ
放送室は、管理棟の最上階、校長室の隣にある。
普段なら徒歩10秒の距離だ。
だが、今の俺たちにとっては、数キロの登山に等しい道のりだった。
「――っ! 跳べ、凛!」
俺が叫ぶと同時に、凛が廊下の穴を飛び越える。
着地した床板が、ブヨブヨとした肉のような質感で波打つ。
「気持ち悪っ! 何よこれ、内臓の中を歩いてるみたい!」
「文句を言うな! 校舎が『異界の生物』として再構築されつつあるんだ!」
東雲センパイが、機材を抱えながら器用に壁を走る(文字通り、重力が歪んで壁が床になっている)。
俺たちは這うようにして、放送室のドアにたどり着いた。
ドアプレートの『放送室』という文字が、『叫喚室』に見えたのは気のせいか。
バンッ!
ドアを蹴破り、中に飛び込む。
*
放送室の中は、奇跡的に無事だった。
ずらりと並んだミキサー卓、マイク、CDデッキ、そして校庭を見下ろせる大きな防音ガラスの窓。
ここが、俺たちの「メインステージ」だ。
「時間がない。急いでセットしろ!」
俺の号令で、全員が動く。
センパイは配線係。ミキサー卓の裏に潜り込み、持ち込んだアンプと、校内全域のスピーカーを直結させる。
凛は演出係。窓際に照明機材を並べ、校庭に向けて設置する。
そして俺は――DJだ。
マイクの前に座り、CDラックから「最強の武器」を選ぶ。
「……準備完了だ。カケル君」
数分後。センパイが顔を出した。
コードだらけの姿で、親指を立てる。
「回線は繋がった。このマイクのスイッチを入れれば、校内だけでなく、空間振動を通じて『向こう側』にも音が届くはずだ」
「マジですか。通話できるってこと?」
「いや、一方的な『放送』だ。こちらの音圧をぶつけることはできる」
その時だった。
ジジッ……ザザザッ……。
放送室のスピーカーから、不快なノイズが流れた。
そして、目の前の防音ガラス――夜空の亀裂が見える大きな窓に、白い霜のようなものが走り始めた。
ピキピキピキ……。
霜は急速に広がり、文字を形成していく。
黒板やホワイトボードだけじゃない。今や、この空間にある「面」であれば、どこにでも奴らの意志が表示されるのだ。
『 開 け ろ 』
『 抵 抗 を や め ろ 』
『 我 々 を 受 け 入 れ ろ 』
ガラス一面を埋め尽くす、豪徳寺(勇者)の言葉。
その向こう側、空の亀裂からは、巨大な光の柱が今にも降り注ごうとしている。
俺はマイクのスイッチに手をかけた。
震える指を、もう片方の手で抑える。
「……ビビってんのか、俺」
相手は勇者だ。世界を救った英雄だ。
それに比べて、俺はトイレにいて生き残っただけの、一般生徒。
本来なら、物語のモブですらない。
「カケル」
横から、ポンと肩を叩かれた。
凛だ。彼女はいつの間にか、放送室にあった赤い油性マーカーを俺に差し出していた。
「言ってやりなさいよ。アンタは、この学校の『生徒会長』でしょ?」
「……生徒会長じゃねーよ」
「今はそうよ。この学校の代表は、アンタだもん」
凛が不敵に笑う。
その笑顔に、体の震えが止まった。
そうだ。
今、この学校を仕切っているのは、先生でも理事長でもない。
俺たちだ。
三人で約束したんだ。絶対に死なないって。
俺はマーカーを受け取ると、霜で覆われたガラス窓の前に立った。
外の亀裂から溢れる紫色の光が、俺の影を部屋に落とす。
「豪徳寺。見てるか?」
俺は呟き、キャップを外した。
そして、ガラスに浮かぶ『受け入れろ』という文字の上から、赤いインクで大きく、乱暴に書き殴った。
キュッ、キュッ、キュッ!!
『 立 入 禁 止 ( K E E P O U T ) 』
さらに、その下に特大の文字を付け加える。
『 来 た ら 殺 す 』
かつてないほど野蛮で、最高に攻撃的な拒絶。
書き終えた瞬間、ガラスがビリビリと振動した。
『 ウ ォ ォ ォ ォ ォ ォ ォ ッ ! ! 』
スピーカーから、文字ではない「咆哮」が聞こえた。
勇者の怒りか、それとも次元の悲鳴か。
空の亀裂が一気に広がり、紫色の光の中から、無数の黒い影が飛び出してきた。
「来たぞ! 魔物の先遣隊だ!」
センパイが叫ぶ。「数は……数える意味がない! 校庭に降ってくるぞ!」
ガーゴイルのような翼を持った怪物の群れが、流星のようにグラウンドへ落下してくる。
いよいよ、開戦だ。
俺はDJ席に座り直し、マイクを握りしめた。
フェーダー(音量つまみ)を最大まで上げる。
「全員、位置につけ!」
凛が窓際で指鉄砲を構える。
センパイが照明のスイッチに手をかける。
俺はCDデッキの再生ボタンに指を添え、ニヤリと笑った。
「ようこそ、俺たちの学校へ」
「入学祝いだ。死ぬほど踊らせてやるよ!」
ポチッ。
俺がボタンを押した瞬間。
静寂に包まれていた夜の学校に、爆音のイントロが轟いた。




