19時間目 東雲の残酷な仮説
爆散したホワイトボードの破片が散らばる校長室で、俺たちは無言で立ち尽くしていた。
豪徳寺との交渉は決裂した。
向こうは本気で、この学校を燃料にして帰還するつもりだ。
ズズズ……ズズズズ……。
床の振動が激しくなる。棚の上のジェームズMk-Ⅱ(生首扇風機)が、ガタガタと震えながら倒れた。
「……時間がない。説明しよう」
東雲センパイが、割れたホワイトボードの代わりに、ノートPCの画面をプロジェクターで壁に投影した。
そこには、複雑な数式と、赤いシミュレーション図が表示されていた。
「これが『残酷な仮説』の全貌だ」
センパイがレーザーポインターで赤い図を指す。
それは、巨大なエネルギーの塊が、漏斗のような穴を通って、点(学校)に降り注ぐ図だった。
「1000人分の質量と魔力。これを『異物』としてこの世界に再エントリーさせるには、相応の『場所代』がかかる」
「コスト?」
「ああ。『等価交換』だ。異世界という高エネルギー空間から、現代という低エネルギー空間へ物質を移動させる際、その落差で莫大な熱量が発生する」
センパイの表情が、かつてないほど険しい。
「本来なら、時間をかけて慎重に調整し、エネルギーを逃がしながら帰還するべきだ。だが、彼らには余裕がない。だから『急ブレーキ』をかけながら突っ込んでくる」
「急ブレーキって……」
「時速100キロの車を、壁にぶつけて止めるようなものだ。車(勇者たち)はエアバッグ(魔法)で守られるが、ぶつかられた壁(学校)はどうなる?」
俺は息を呑んだ。
木っ端微塵だ。跡形も残らない。
――要するに。
この学校は、彼らのための使い捨てエアバッグだった。
笑えない冗談だ。
「つまり、彼らは自分たちが助かるために、この学校という『クッション』を使い潰す気だ。その結果、校舎が消滅し、中にいる我々が素粒子レベルで分解されても構わない、とな」
「……最低ね」
凛が唇を噛む。
「やっぱり、あいつら英雄なんかじゃない。ただの自分勝手な侵略者よ」
「その通りだ。だが、物理法則は感情では覆せない」
センパイが画面を切り替えた。
次に表示されたのは、『波形』のグラフだ。
青く規則正しい波と、赤く乱れた波がぶつかり合っている。
「そこで、作戦名『スクール・フェスティバル』の出番だ」
センパイがニヤリと笑った。
「カケル君。君は『文化祭』の本質を何だと思う?」
「本質? ……クラスのみんなで協力すること、とか?」
「違う。それは建前だ」
センパイは断言した。
「文化祭の本質とは、『非日常的な馬鹿騒ぎ』による『空間の変質』だ!」
「はぁ?」
「いいかい? 今の学校は『静寂』と『恐怖』に支配されている。これは異世界のシリアスな魔力と非常に相性がいい。だから奴らは干渉しやすいんだ」
センパイが両手を広げる。
「ならば、この空間を全く別の色に染めればいい! ロック音楽! ライトアップ! バカみたいな熱気! 『ここはお前らが来るような真面目な戦場じゃねえぞ!』という圧倒的な『陽』のエネルギーで満たすんだ!」
俺はようやく理解した。
これは、精神論じゃない。
「周波数」の話だ。
「向こうの『悲壮感漂う魔力』に対し、こちらの『享楽的なお祭り騒ぎ』をぶつける。波長が合わなければ、ゲートは固定できずに滑って弾かれる……そういうことですか?」
「ご名答! これを『概念的ジャミング(ノイズキャンセリング)』と呼ぶ!」
めちゃくちゃな理屈だ。
でも、妙に説得力がある。
何より、俺たちらしい。
「……わかったわよ」
凛が立ち上がり、パン! と両頬を叩いた。
「要するに、あいつらがドン引きするくらい騒げばいいんでしょ? 得意分野じゃない」
「ああ。俺たちの『日常』を守るために、全力を出して遊ぶぞ」
俺も立ち上がる。
センパイがPCを閉じ、ジェームズMk-Ⅱを小脇に抱えた。
「行くぞ。決戦の舞台は、全校放送室およびグラウンドだ」
*
校長室を出る。
廊下はすでに、異界化していた。
壁から無数の眼球のような模様が浮かび上がり、天井からは紫の粘液が垂れている。
窓の外。
上空の亀裂は、もはや「ヒビ」ではなかった。
夜空が大きく裂け、その奥から、巨大な「何か」が這い出ようとしていた。
それは、光り輝く巨大な船の舳先のようにも見えるし、神の拳のようにも見えた。
勇者たちの帰還船だ。
『 開 門 …… 開 門 …… 』
どこからともなく、低い詠唱のような声が響いてくる。
空気が重い。立っているだけで押しつぶされそうなプレッシャー。
「急げ! あと30分でゲートが接続される!」
俺たちは走った。
歪んだ廊下を蹴り、階段を飛び降りる。
目指すは、校内放送の中枢――放送室。
三人で生き残る。その約束を果たすために。
ここから先は、サバイバルじゃない。
戦争だ。




