17時間目 校舎の侵食
「ぐぅぅぅ……ッ! まだか、センパイ!」
俺は必死の形相で虚空を掴んでいた。
2年B組の教室は、もはや原形を留めていなかった。
天井が飴のように溶け落ち、床板が波打っている。空間の「歪み」が、黒板を中心に放射状に広がっているのだ。
俺の能力『固定』で、かろうじて俺たちの足元の空間だけをピン留めしているが、限界は近い。
ミシミシと、俺の腕の骨がきしむ音がする。
「計算終了だ! 退避するぞ、カケル君!」
東雲センパイがPCを抱えて叫んだ。
「この教室はもうダメだ! 空間座標が異世界側に上書きされ始めている! ここにいたら我々も『向こう側』の物質に変換されて消滅するぞ!」
「了解……ッ!」
「凛、ドアを焼き払え! 歪みで開かなくなっている!」
「任せて!」
凛が教室の引き戸に向かって炎を放つ。
熱で歪んだ金属レールごと、ドアが吹き飛ぶ。
「せーのっ!」
俺は『固定』を解除すると同時に、床を蹴った。
その瞬間、俺たちがいた場所の空間が、バシュッという音と共にねじ切れ、教卓も机も消滅した。
間一髪。俺たちは廊下へと転がり出た。
*
だが、廊下に出ても地獄は続いていた。
グニャリ……ドロリ……。
見慣れた校舎の風景が、シュルレアリスムの絵画のように狂っていた。
直線の廊下が螺旋状にねじれ、壁に貼られた「文化祭実行委員募集」のポスターがドロドロに溶けて床を流れている。
掲示板の写真――去年の体育祭で撮ったクラス写真が、ゆっくりと燃えるように端から消えていった。
窓ガラスは液体のように波打ち、外の紫色の光を不気味に透過させていた。
「な、何よこれ……! 学校が、溶けてる……?」
凛が悲鳴を上げる。
足元の床も、沼のように柔らかくなっていた。油断すると飲み込まれそうだ。
「『侵食』だ」
センパイが走りながら解説する。
「1000人分の質量を無理やり押し込もうとする圧力が、受け皿である校舎の構造を破壊しているんだ。このままでは、あと数時間で校舎全体が崩壊し、ただのクレーターになる」
俺たちは走った。
歪みが少ないルートを選び、階段を駆け上がり、拠点の校長室を目指す。
途中、理科室の前を通った時、中からジェームズ(の残骸)たちがカタカタと震える音が聞こえたが、構っている余裕はなかった。
*
バンッ!
校長室に飛び込み、重厚な扉を閉める。
幸い、この部屋は結界密度が高いおかげか、まだ侵食は始まっていなかった。
だが、窓の外の空の亀裂は、さっきよりも確実に広がっていた。
「はぁ、はぁ……」
俺たちはソファに倒れ込んだ。
ジェームズMk-Ⅱ(生首扇風機)が、心配そうに(?)俺たちのほうへ首を向けている。
「……どうすりゃいいんだよ」
俺は天井を仰いだ。
「あいつら、帰ってくる気満々だぞ。止める方法なんてあるのか?」
センパイはデスクにPCを置き、ホワイトボードに向かった。
キュッ、キュッ、とマーカーを走らせる。
「状況を整理しよう。敵は『異世界のエネルギー』と『1000人の質量』だ。これが津波のように押し寄せてくる」
「防波堤を作るってことですか? 俺の『固定』じゃ、校舎全体なんて支えきれませんよ」
「物理的な壁では無理だ。だが、『概念的な壁』ならどうだ?」
センパイが眼鏡を光らせ、ニヤリと笑った。
「カケル君。異世界(向こう)と現代、決定的に違う『エネルギー』は何だと思う?」
「エネルギー?」
俺は考えた。向こうにあるのは魔力。剣。ドラゴン。
こっちにあるのは……科学? いや、今の俺たちにあるのは。
「……『日常』ですか?」
「正解に近い。だが、もっと強い言葉が必要だ」
センパイはホワイトボードに、大きく文字を書いた。
それは、今の絶望的な状況にはあまりに不釣り合いな言葉だった。
『 お 祭 り ( F E S ) 』
「は?」
凛が呆気にとられた声を出す。
「向こうの世界は『シリアスな戦場』だ。悲壮感、恐怖、殺意……そういう負の感情と魔力が支配している」
センパイは熱弁を振るう。
「対して、我々が対抗すべきエネルギーは『馬鹿騒ぎ』だ! 圧倒的な『楽しさ』と『熱気』! この学校全体を、異世界とは真逆の『ハッピーでハイテンションな空間』に変えることで、向こうのシリアスな波長を相殺し、ゲートの接続を弾き返す!」
「……理屈はわかります。でも、本当にそれで?」
「魔力は『念』で増幅される。それは我々の能力を見れば明らかだ」
センパイの目が青く光った。『読解』が発動している。
「カケル君の『固定』も、凛君の『発火』も、強い感情の時に威力が上がっていた。逆に言えば、この空間に『圧倒的な正のエネルギー』を満たせば、負のエネルギーで押し込もうとするゲートを弾き返せる理屈になる」
「……つまり?」
「つまり、世界一派手な文化祭を開催するんだよ」
俺と凛は顔を見合わせた。
ポカーンとした数秒の後、
俺の中に、ふつふつと笑いがこみ上げてきた。
「……ははっ。マジかよ」
「……バカばっかり。文化祭で世界を救うとか、聞いたことないわよ」
最高にアホだ。
世界が滅びそうになっている時に、文化祭?
ドラゴンを倒した勇者に対して、お祭りで対抗する?
――でも。
それこそが、俺たち「残り物」にしかできない戦い方だ。
剣もない。魔法もショボい。
だけど、俺たちには「楽しむ力」がある。
「いいっすね。やりましょう、センパイ」
「ちょ、ちょっとカケル!? 本気?」
「本気だよ。あいつらに見せつけてやろうぜ。俺たちがどれだけ楽しんでるかを」
俺は立ち上がり、拳を握った。
「向こうが『悲劇の英雄』気取りで帰ってくるなら、こっちは『最強の青春』で迎撃するんだ」
凛は呆れたようにため息をついたが、その口元は笑っていた。
「……バカばっかり。わかったわよ。どうせ死ぬなら、派手にやったほうがマシね」
「それに」
俺は凛の目を見た。
「約束しただろ。絶対に死なないって。全員で生き残る」
凛の目が、一瞬だけ潤んだ。
でも、すぐにいつもの強気な顔に戻った。
「……当たり前でしょ。あたし、まだ焼きそばパン奢ってもらってないんだから」
「決まりだ」
センパイが指を鳴らした。
「作戦名『スクール・フェスティバル』。開戦時刻は、ゲートが最大開放される今夜20時」
「放送室のジャック、照明の設置、そしてステージの設営……やることは山積みだぞ!」
俺たちは動き出した。
たった3人だけの、最初で最後の文化祭。
その準備のために、俺たちは崩壊しかけた校舎へと再び飛び出した。




