12時間目 勇者からの無理難題
図書室での死闘から数時間後。
俺たちは戦利品である『週刊少年ジャンプ(合併号)』と『ファッション誌』、そしてセンパイが選んだ『魔導書(ネクロノミコン写本の残骸)』を抱えて、校長室で泥のようにくつろいでいた。
「……はぁ。五条悟、かっけぇ……」
「今月の占い、最下位なんだけど。ラッキーアイテム『火炎放射器』って何よ」
娯楽がある。それだけで、精神の回復速度が段違いだ。
傷口には絆創膏、片手にはコーラ、そしてマンガ。
外の世界が滅んでいようと、この瞬間だけは至福だった。
窓の外に目をやると、例の「黒い亀裂」がまだ霧の中に見える。
少しずつ太くなっているように感じるのは、気のせいだと思いたい。
ウィーン、ウィーン……。
入り口に設置されたジェームズMk-Ⅱ(生首扇風機)が、規則正しく首を振っている。
平和だ。
そう思っていた矢先。
ジェームズの眼窩のLEDが、いつもの赤とは違う、弱々しい黄色でチカチカと点滅し始めた。
「ん? なんだそれ、見たことない反応だな」
俺が顔を上げると、東雲センパイが目を青く光らせた。
「敵襲ではないな。微弱な魔力干渉……判定に困っているようだ。どうやら、2年B組の『ホットライン』にお客さんが来ているらしい」
お客さん。
つまり、あの暑苦しい勇者様だ。
*
俺たちは読みかけのジャンプを持って、ダラダラと教室へ移動した。
黒板を見ると、すでに文字が刻まれていた。
いつにも増して、筆圧が強い。そして、文字がデカい。
『 祝 ! ド ラ ゴ ン 討 伐 ! 』
開口一番、自慢だった。
『 俺 は 巨 大 な 炎 竜 を 斬 り 伏 せ た 』
『 王 女 も 俺 に 惚 れ て い る 』
『 俺 は 英 雄 に な っ た 』
「へー、すごいすごい」
凛が棒読みで拍手をする。「でも王女様って、風呂も入れない泥だらけの勇者に惚れるわけ?」
俺たちの冷めた反応を知る由もなく、豪徳寺の文字は続く。
『 だ が 、 腹 が 減 っ た 』
『 ド ラ ゴ ン の 肉 は 硬 く て 酸 っ ぱ く て 食 え な い 』
『 祝 勝 会 を や る か ら 、 供 物 を よ こ せ 』
『 酒 と 肉 と 、 あ と 麺 類 』
供物呼ばわりかよ。
相変わらずの上から目線に、俺はこめかみがピクリと動いた。
「ねぇカケル。あいつら、酸っぱい肉しか食ってないってさ」
「可哀想になぁ。英雄なのに」
俺は購買部から回収してきたダンボール箱を漁った。
その中から、とっておきの「宝物」を取り出す。
『カップヌードル・カレー味(BIG)』。
お湯を注ぐだけで完成する、人類の英知の結晶。
スパイシーな香りと、とろみのあるスープ。そして謎肉。
ジャンクフードの王様だ。
「センパイ、お湯あります?」
「もちろん。アルコールランプで沸かしたての熱湯があるよ」
俺たちは黒板の前で、厳かにカップ麺にお湯を注いだ。
3分待つ。
教室に、濃厚なカレーの香りが充満する。
「……いい匂い」
凛がゴクリと喉を鳴らす。
3分後。
俺は蓋を剥がし、湯気が立ち上る黄金色の麺を割り箸で持ち上げた。
そして、スマホのカメラを起動する。
「豪徳寺、見てるかー? これ、俺たちの昼飯」
パシャッ。
麺とスープ、そしてとろけたチーズ(トッピング)が輝く「飯テロ画像」を撮影し、黒板にかざした。
前回と同じく、黒板がモニター代わりになり、向こうに画像が転送されるはずだ。
一瞬の静寂。
そして。
ガリガリガリガリッ!!!
チョークが悲鳴を上げた。
『 カ レ ー ヌ ー ド ル だ ァ ァ ァ ! ? 』
『 貴 様 ら ! そ れ は 俺 が 一 番 好 き な や つ だ ! 』
『 よ こ せ ! 今 す ぐ 転 送 し ろ ! 』
『 こ っ ち は 乾 パ ン し か な い ん だ ぞ ! 』
必死すぎる。
ドラゴンを倒した英雄の威厳など欠片もない。
俺はズルズルと音を立てて麺を啜った。
「んー! 美味い! やっぱ運動の後のカレー味は染みるわー!」
「あたしシーフード味ね。イカが美味しいのよ、イカが」
「私はチリトマトだ。この酸味がたまらない」
3人でズルズル、ハフハフと咀嚼音を響かせる。
黒板の文字が、悔し涙のように歪んでいく。
『 音 を さ せ る な ! 』
『 匂 い を 想 像 さ せ る な ! 』
『 頼 む ! 一 口 ! ス ー プ だ け で も ! 』
懇願に変わった。
俺はスープを最後の一滴まで飲み干し、空になった容器(中には謎肉の欠片が一つ残っている)を写真に撮り、黒板に見せつけた。
そして、チョークを手に取り、書き込んだ。
『 ごちそうさまでした。容器なら画像で送ってやるよ 』
バキンッ!!
黒板のどこかで、何かが砕ける音がした。向こうの「石板」を叩き割ったのかもしれない。
『 呪 っ て や る …… 絶 対 に 許 さ ん …… 』
怨念のような文字を残し、通信は途絶えた。
「……ふぅ。食った食った」
俺は満腹の腹をさすった。
「性格悪いわねぇ、カケルも」
凛が笑いながら空容器をゴミ袋に捨てる。
「でも、あいつらも生きてるってことでしょ? 元気そうで何よりじゃん」
「そうだな。怒る元気があるなら大丈夫だ」
俺たちは異世界の英雄に対し、精一杯の「エール(飯テロ)」を送ったのだ。
決して、ただの嫌がらせではない。……たぶん。
「さて、腹ごなしに運動でもするか」
センパイが窓の外を見た。
霧の向こうで、太陽はないはずなのに、なぜか明るい光が差し込んでいる場所がある。
「それより、気になっていることがある」
センパイが『読解』を発動し、校舎の配管図を読み取るように目を細めた。
「カップ麺を作るにも、傷口を洗うにも、水が必要だ。だが、水道は止まっている。となれば……」
「プール?」
「ご明察。濾過装置が魔力で動いているなら、きれいな水が確保できるかもしれない」
俺は窓の外を見た。
体育館の向こうに、屋外プールの青い水面がかすかに見える。
あそこまで行けば、水の心配はなくなる。
「でも、プールって体育倉庫の近くよね」
凛が眉をひそめた。
「ボールとか、跳び箱とか……動くものがたくさんありそう」
俺たちは顔を見合わせた。
敵は確実に強くなっている。
だが、水がなければ生き延びられない。
「行くしかないな」
俺はソファから立ち上がった。
図書室で掴んだ「空間固定」の感覚が、まだ手のひらに残っている。
次も、三人で乗り越える。




