11時間目 図書室の空爆
校長室のドアの前で、ジェームズMk-Ⅱ(生首扇風機)がウィーン、ウィーンと首を振っている。
シュールな守護神に見送られ、俺たちは再び「探索」へと出発した。
窓の外を見る。
昨日センパイが発見した「空間の亀裂」は、まだそこにあった。髪の毛ほどの細い黒い線。少しだけ、太くなった気がする。
時間は、俺たちの味方じゃない。
今回の目的地は、因縁の場所――図書室だ。
「センパイ、本当に行くんですか? あそこ、まだ本が暴れてるんじゃ……」
「だからこそだよ。昨日の襲撃でわかったが、あそこには強力な魔導書が紛れ込んでいる可能性がある」
東雲センパイは、理科室で手に入れた防護ゴーグルを装着しながら言った。その瞳が青白く発光し、『読解』が起動する。
「私の能力で解析すれば、魔力を持った本を特定できる。有用なものがあれば、こちらの戦力になるかもしれない」
「それに、娯楽が必要だ。カケル君も凛君も、スマホが使えない暇つぶしに漫画くらい読みたいだろう?」
「う……それは確かに」
「『週刊少年ジャンプ』の最新号、まだ読んでないのよね……」
背に腹は代えられない。俺たちはバリケード用のダンボールを盾代わりに持ち、特別棟の渡り廊下を進んだ。
*
図書室の前に立つ。
昨日のような「荒らされた音」はしない。不気味なほど静まり返っている。
センパイの目が青く光る。
「……波動が見える。昨日より魔力濃度が上がっている。部屋全体が一つの巣になっているようだ」
そっと引き戸を開ける。
床には昨日散らばった本がそのまま落ちている。
だが、棚に並んでいる数千冊の本たちが、まるで「息を潜めている」ような圧迫感があった。
「……いるな。しかも、群れている」
俺たちは慎重に足を踏み入れた。
狙うは入り口近くの雑誌コーナーと、奥の専門書エリア。
俺が漫画を手に取ろうとした、その時だった。
バサッ……!
頭上で音がした。
見上げると、高い書架の上に、分厚いハードカバーの洋書が一冊、翼を広げるように開いて浮いていた。
まるで、群れのボスが侵入者を見下ろしているかのように。
「あの黒い本だ。あれが『女王』だな。他の本を統率している」
センパイが目を細める。
パラパラパラパラ……!
その本がページを激しく震わせると、それが合図だった。
バササササササササッ!!!
一斉に、棚という棚から本が飛び出した。
数十、いや数百冊。
文庫本、図鑑、辞書、ライトノベル。あらゆる「知の翼」が、ミサイルのように俺たちに狙いを定めた。
「うそでしょ!? これ全部!?」
「燃やすか!? 凛!」
「ダメだ! ここで火を使えば、バックドラフト現象と酸欠で我々も死ぬぞ! それに本がもったいない!」
センパイのド正論による制止。
だが、躊躇している暇はない。
先頭の図鑑が、弾丸のような速度で突っ込んでくる。紙の角は、高速で飛べばナイフよりも鋭い凶器になる。
「くそっ、ダンボールなんかじゃ防げねえ!」
俺たちが持っていた盾は、最初の数冊で突き破られた。
頬を紙がかすめる。スパッ、と鋭い痛みが走り、血が滲む。
痛い。紙で指を切った時のあの痛みが、全身に襲いかかる恐怖。
「カケル君、防げ! 君しかいない!」
「無茶言わないでくださいよ! こんな数、いちいち触って止められるわけ……!」
俺は腕を振り回して本を叩き落とすが、多勢に無勢だ。
凛が悲鳴を上げながらしゃがみ込む。センパイも防戦一方だ。
このままじゃ、紙切れに切り刻まれて死ぬ。そんな間抜けな死に方があるか。
――考えろ。
俺の能力は『固定』。
触れたものを、その座標に縫い付ける力。
でも、対象は「物体」じゃなきゃダメなのか?
俺たちが今、守りたいものはなんだ?
俺たちの前の「空間」だ。
そこを通り抜けようとする理不尽を、拒絶する壁。
(イメージしろ。画鋲じゃない。もっとデカい、透明な壁を、ここに打ち込む!)
俺は二人の前に仁王立ちになり、両手を大きく広げて、何もない空間を鷲掴みにした。
「そこをぉぉっ……動くなァァァァッ!!」
バチチチチッ!!
脳血管が切れそうな負荷と共に、俺の指先から魔力が噴出した。
ガガガガガガガガガッ!!
凄まじい衝突音が響いた。
俺の目の前、1メートルほどの空中で、突っ込んできた数百冊の本が「見えない壁」に激突して静止した。
いや、止まったんじゃない。
俺が、俺たちの前の「空間そのもの」を固定したんだ。
「……すげぇ」
自分でも驚いた。透明なシールドが展開されているように、本たちが空中で折り重なって壁を作っている。
「ナイスだカケル君! 『空間固定』か! だが長くは持たんぞ!」
センパイの言う通りだ。空間を維持するのは、物体を止める数倍のエネルギーを使う。
視界が霞む。鼻血が出てきた。
「センパイ! 親玉はどれですか!?」
「あの上だ! あの黒い洋書が群れを指揮している! タイトルは……『ネクロノミコン写本』! 邪神召喚の魔導書だ!」
「何でそんな物騒なもんがうちの学校に!?」
「図書委員の趣味だろうな!」
天井近くで悠然と浮いているボス本。あれを落とせば群れは止まる。
だが、俺は両手が塞がっている。
「凛! やれるか!」
凛が俺の背後から立ち上がった。
俺の作り出した「本の壁」の隙間から、天井を見据える。
その手は震えていた。でも、目には炎が宿っていた。
「……約束したでしょ」
凛が小さく呟く。
「あたしの仲間に手ェ出すヤツは、燃やすって」
凛が指鉄砲を構える。
その指先に、極限まで圧縮された炎の弾丸が生成される。
昨日よりも、ずっと小さく、ずっと熱い。
「消し飛びなさい!」
ドシュッ!
放たれた炎弾は、直線の軌道を描いてボス本に直撃した。
ボォォォッ!
空中で激しく炎上する黒い本。
断末魔のようにページをバタつかせ、やがて黒焦げになって床へと墜落した。
バササッ……。
司令塔を失った他の本たちが、糸が切れたように力を失い、バラバラと床に落ちていく。
俺も同時に力を解き、その場に膝をついた。
「はぁ、はぁ……。終わった、か……」
「カケル! 大丈夫!?」
凛が駆け寄ってくる。俺は袖で鼻血を拭って、親指を立てた。
床は本の海だ。だが、もう動く気配はない。
「見事な連携だった」
センパイが眼鏡を押し上げながら頷いた。
「カケル君が盾となり、凛君が矛となる。私が情報を提供する。『固定』『発火』『読解』。三つの能力が噛み合えば、どんな敵にも対応できる」
俺たちは傷だらけになりながらも、大量の「知識」と「娯楽」を手に入れた。
センパイは黒焦げになった魔導書の残骸も回収していた。「解析すれば有益な情報が得られるかもしれない」とのことだ。
帰り道、凛が俺の傷口に絆創膏を貼ってくれた。
その指先が少し震えていたのを、俺は見逃さなかった。
「……ねぇ」
「ん?」
「さっきの、すごかったわね。空間を止めるなんて」
「いや、お前の炎のほうがすごかったろ。あの精度」
凛は少し照れたように視線を逸らした。
「……ちょっとだけ、コントロールできるようになった。この人の火傷、増やしたくないしね」
昨日、俺の手にライターで火傷を作ったことを、まだ気にしていたらしい。
俺は小さく笑った。
「次は俺も、お前を傷つけないくらい精密に守ってやるよ」
「……期待しないで待ってる」
窓の外の空間に、黒い亀裂が走っている。
少しずつ、敵が強くなっている。
俺たちの成長速度と、敵の強化速度。
どちらが上回るのか、それは誰にもわからなかった。
だが、一つだけ確かなことがある。
三人でいれば、まだ戦える。




