第六二話 持久戦~街道の戦い
漢民族達に騎馬を向けた狼の群れ。蒙古軍の攻撃に正規軍は援軍を送る。
二月二五日。
降伏した漢民族たちへ奇襲をかけた蒙古軍によって、街道やその付近には漢民族たちの骸が並んだ。
誰が誰だか分からなくなるほど凄惨な戦場跡。黒焦げの口からは血を含むヨダレが、重たくゆっくりと時間をかけて地面へ伸びる。微かに白さを残した生気のない目は開いたままで、その眼球にハエが集ろうとも、死した体は微動だにすることはない。
すべての命が等しく奪われた空間。その光景を見た人間は、時間が止まったようだと言う。
しかし時間は残酷で止まることを知らず、徐々に骸は腐敗していく。焼け残った手つかずの骸の体内ではバクテリアが活動して、骸の腹が膨れだす。
そして破裂しそうなほど膨らむと徐々に風船のように萎んでいく。そして生々しい肌は人形のように人間離れした質感と色合いに変わり、徐々に分解されて、骨のみになっていく。
人がそれぞれの考えに従い創った組織の対立。そして殺しあった人間はすべての感情や記憶を捨てて『物理の理』の中で等しく消えてなくなっていくのだった。
しかしそうして死んでいき体が無くなるまでのあいだにも、戦いは続いていた。蒙古軍は島内の漢民族を等しく骸にするまで、その狩の手を緩めることはない。
――街道で奇襲を受けてから北上した漢民族たちは、即席の野営地に立て籠って救援を待っていた。指揮を執るのは主力である白杆乒を率いる秦良玉だ。彼女はできるだけ長く時間を稼ぐため、最後の切り札として出撃を見合わせていた。
夜襲から逃れる撤退戦では韓指揮下、数部隊がゲリラ的な戦闘に陥り、瞬時にそれらは壊滅してしまっていた。
有能な指揮官が限られる中で、野営地の守備は沈雲英が担った。また彼女の配下から遊撃隊が編成され、その隊長に「楊羽」が選ばれた。
敵の追撃の手が届くよりも前、漢民族たちは敵には長距離狙撃部隊が多く居るとの情報を仲間から聞き出していた。なので立て籠って集中放火を浴びるよりも、「出でて活路を見いだす」ことにたのだ。
そしてこの窮地はすぐさまカラハット正規軍にも知れ渡り、救援の約束を得ていた。
それを支えに歴戦の猛者である将校の楊羽や秦良玉は、野営地に近付く敵に突撃を繰り返し、その小競り合いで兵士を浪費しながらも時間稼ぎをしていた。
「必ずカラハット正規軍の救援が来る! たった数時間仲間のために戦うだけだ! 全軍、奮起せよ!」
野営地で指揮する秦良玉も奮起していた。
「野営地や城等の拠点に立て籠る際は、救援が期待できるかどうかが肝要。その点が期待できるなら、相手が蒙古軍でもまだ勝機はあるわ!」
日が登った後、攻撃している敵の部隊が判明した。
「ダムディン スフバートル……。並の敵ならまだやりやすかったのに、どうしてよりにもよってスフバートルなんだ……!」
ダムディン スフバートル、それは劉も危惧していた才知溢れる天才軍人であった。そしてスフバートルは劉の危惧の通り、その天才的な用兵で楊羽率いる遊撃隊を巧みに撃破する。
楊羽は配下を全員失い、たった一人で雲英の許まで撤退していった。そしてすぐさま敗残兵を立て直し、辺りの兵士を纏めながら、遊撃を続ける活躍を見せた。
「大陸のチョイバルサンからの命令……。『漢民族』を根絶やしにする……。命令ならば仕方ない。貴様らには個人的な恨みはないが、ここで死んで貰おう」
彼はダムディン スフバートル(ᠳᠠᠮᠳᠢᠨᠤ
ᠰᠦᠬᠡᠪᠠᠭᠠᠲᠤᠷ)
ウリヤン カダイ率いる大元蒙古軍の主力、センゲ リンチン配下の一部隊を率いる天才
つり目で狼の様な目をした男
身長一七八センチメートル
二九歳
――二五日 午前七時半。
中央区にて尋問を受けならが監視されていた劉復亨は、同胞たちの危機を知っていてもたってもいられなくなり、自らも救援に向かおうとする。
軍を持たない彼が向かったところで、彼にできることはない。そんなことは分かっていたのだが、自分だけが安全な所にいることは嫌だったのだ。
しかし逃亡の恐れから、監視役の正規軍高官のLucas大佐と衝突する。
「権限を行使してこの場で処刑することさえ辞さないぞ」
そう示唆するLucas)に対し、劉は口論の末に言い放った。
「俺は我が身可愛さで逃げるようなヘタレではない! 俺は……仲間を助けたいんだ! 漢として……俺は行かねばならんのだ!」
――追い詰められた漢民族たちは、白杆乒を決死の覚悟で出撃させ、時間稼ぎをおこなわせることにした。
「きっと援軍は来てくださる。一人でも多くの同胞を守るため、ここで私は死を恐れずに戦うしかないわ……! 白杆乒よ出撃だ!」
「秦良玉殿、お待ちを!」
梁紅玉
韓世忠の妻で二〇代後半
舞が上手く、美人
紅玉は、自分もともに出撃させて欲しいと懇願した。
「すでに蒙古軍の襲撃により、夫の韓世忠はくしくも戦死しました。私は身を寄せる場所がなく、戦場で仲間のために戦う所存です!」
「今は一人でも兵士が欲しいわ。紅玉殿とその傘下の兵員は、全員私とともに参りましょう!」
良玉はこれを受け入れ、彼女を白杆乒に加えた。ピンクに近い色をした彼女の甲冑からは、艶かしさが漂っていた。白備えの部隊に添えられたその色は戦場を彩る華、正に「紅一点」のようだった。
手腕も計り知れず、その華奢な体格からしてすぐに死ぬだろうと思われた。それを言葉にしたのは、野営地守備隊長である沈雲英の世話役である宦官の男だった。
「こんな華奢で若い小娘、どうせすぐに死ぬ。全滅が目に見えているなら、人質を出して生き残った者たちを守る方が賢明ですぞ!」
その場にいた全員に熱弁した世話役に、梁紅玉と雲英は憤慨した。
「血迷ったことを申される……士気を乱してどうするのだ!」
「そうだよ、場違いなこと言ってんじゃねぇよ! !」
「第一、人質など名ばかりで本質は生け贄。誰を犠牲にするおつもりか! ?」
宦官は答えた。
「ふ……そんなの、どうせ戦で死ぬ兵士の誰かを送ればいいでしょう……」
我が身可愛さで保身を図る宦官。それを黙らせたのは良玉だった。
「宦官、調子に乗るな! 貴様ら宦官はいつの時代も利己心の塊だ……恥を知りなさい! 生け贄はあり得ないしもしあり得るならそれはお前を含む宦官たちだ。味方が到着したら助かるのだ。それまで大人しくしているがいい!」
内に憂いを抱えながらも戦闘がおこなわれ、白杆乒の大半は激戦の中で戦死した。しかし紅玉を含む白杆乒は、猛威を振るい続けた。
――捕虜である漢民族たちの救援のため、正規軍は戦闘区域に近づいていた。そこには補給を受けたばかりのDrake連隊、そしてアナトリーの姿があった。
劉はLucasによって帯同を許可されていた。Lucasは救援隊の中に劉の存在があった方が、漢民族たちに希望の星として救出の「象徴」になり、敵に抗う起爆剤になると判断したのだ。
しかし急行の行軍は滞った。蒙古族と漢民族両が激突するなどまったくの予想外であり、情報が錯綜していた。
Drake連隊を含む救援隊は会敵できずにいた。さらに、森林を行軍していたDrake連隊は、野生のズヴェーリに攻撃されるという予想外の障害にぶつかった。
というのも、到着する頃には"獣王”によって全ズヴェーリは大人しくなっていると伝えられていた。しかし実際には、行軍する道の微妙な違いから時差があり、"獣王”が支援を開始するよりも前に森林に到着してしまっていたのだ。
情報が纏まらず全体が見えないという「戦場の霧」によって思わぬ足止めを負った救援隊は、白杆乒を救うことは叶わなかった。
――戦場。
「ここまでか……。諦めたくない……まだ、兄上たちに会うには早すぎるわ……!」
数千人の精鋭の中心で指揮をする指揮官である彼女であっても、既に傷を負い血だらけとなっていた。満身創痍の中、彼女は一人の人物を発見した。
「あいつは……スフバートル!」
スフバートルは後方で指揮をしていると思われたが、彼は前線に立ち白兵戦で指揮をしていた。彼は戦略的な目線を持って指揮するよりも、混戦極まる実戦でその能力を発揮するタイプの指揮官であった。
そして自ら戦うタイプの現場指揮官としては、彼の右に出る者はいない。俗に言う天才だ。
彼には少ない兵力や武器、ズヴェーリで戦う指揮能力があった。そのため、強襲型等の貴重な多くの兵器を用いる権限を有していた。
だからこそ、これ程までの少数でありながら、数十万の漢民族を追い詰めるに至ったのだ。
「この白揃えの部隊、噂の白杆乒か……。秦良玉、貴様はここで死ぬが良い!」
「スフバートルの本隊を狙え! 近衛兵は僅か五◯足らずだ! 大将を倒して戦局を瓦解させるのよ! ここが正念場だ! 士気を上げろ!」
良玉のその激を受け、紅玉は陣太鼓を叩いた。太鼓の爆音に刺激された白杆乒は威勢良くスフバートルを攻撃した。
白杆乒は少数になっても、良玉の統率力の高さによりよくまとまり、その勇猛さからスフバートルの近衛兵への突撃を敢行する活躍をみせた。
救援が約束されている漢民族の士気は高かった。スフバートルの近衛兵は熾烈な戦闘の末に大きく数を減らした。しかしスフバートルは「逃げて背を向ければ不利になる」と冷静さを見せ、自らも槍を手に取った。
蒙古兵は基本的に「シャムシール」と呼ばれる刃が楕円形の剣を使う。他にも打撃武器もあるが、その大半はウンマの機動力を活かし、移動しながらズヴェーリで後方を狙撃する背面撃ちである。しかしスフバートルは白兵戦の天才であり、「長い槍こそ至高」として、槍を使っていた。
良玉の真っ白な長槍が届いたとき、スフバートルは余裕な表情でかわし、良玉の腹を殴りつけた。そしてすれ違って僅か数秒で良玉は、槍を反転させてスフバートルに向けた。慌ててスフバートルはそれを槍で跳ね返し、両者は距離をとった。
「流石は秦良玉、並の速度じゃない。血筋や部下を率いる指揮官としての知識や能力のみならず、個人の武勇にも優れると……。彼女こそ真の豪傑だ。惜しむらくは、生まれた時代が悪かったか」
それでもスフバートルの姿勢は変わらず、彼女を斬り殺すことに躍起になっていた。ウンマと槍で一騎討ちをする二人の周りには、横槍を入れさせないようにする二人の配下が交戦していた。
しかし白杆乒は満身創痍であり次々と数を減らしていた。そんな中いつしか太鼓を放棄した紅玉までスフバートルに斬りかかり、満身創痍の二人は強敵と二対一の戦いをしていた。
紅玉もまた女傑だった。血筋や指揮能力はなくとも、確かな武芸が彼女にはあった。しかしスフバートルは傷一つなく、余裕綽々だった。
互角の戦いをして繰り広げていたが、紅玉には弱点があった。それは彼女が得意とする戦場は船上などの狭い空間で舞うように戦える戦場で、ウンマの上での戦闘では分が悪かった。
彼女はそこを突かれた。
二対一ながら二人の刃が同時にスフバートルに向いたとき、スフバートルは叫んだ。
「このときを待っていた!」
スフバートルは良玉の槍をはね除けた。その槍が凄まじい勢いで紅玉の手を強打し、狼狽えた彼女をスフバートルは槍で一突き、その一撃は心臓を貫いた。
紅玉は戦死した。傷口から血を吹き出す彼女は、桃色から真紅の姿と変わり果てた。良玉は還り血を浴びながらも戦っていたが、その頃にはもう力を出し尽くしていた。
良玉ら白杆乒少なくない被害を与えるも、多勢に無勢。当のスフバートル本人には傷一つつけられなかった。
最期まで懸命の戦いを続けた良玉は、自らに忠節を尽くした白杆乒の兵士らや紅玉とともに激烈な戦死を遂げた。




