第六一話 元寇~蒙古襲来
雲英は韓と話す中で、ふとこんなことを呟いた。
「ねぇ韓さん。死んだ人ってどこに行くんだろうね」
「それは『黄泉の国』だろうな」
「あーね、賢い人はそういうこと言うよね。でも本当は誰も知らない。でもふと思うんだ。死んだ人はみんな、天へ登ってく気がするんだ」
彼女は清々しくそう言った。その目は思いつきを呟いているのではなく、なにか確信に近いものを感じているように見えた。韓は尋ねた。
「なぜそう思うんだ?」
「前に『街道』守ってて死にそうになった日の夜、パパが『夢に出てきた』んだ。最後のお別れをしたよ。最後にパパ、天に登ってったんだ」
そう言って二人は、空を見上げた。空は「黄昏時」だった。西側はマンゴーのように赤く燃え上がり、東は果てしない宇宙と同化していた。まるでこの世の真理であるとされる『太極図』の、陰と陽が世界を支配するようだった。
初見では雄大に思えたこの大都市も、空という大自然に囲まれていて小さく見えた。まるでそれはスノードームのようだ。所詮人が造ったものはすべて、地球というガラスの中にあるのだと感じた。
故郷の大陸で雄大な大自然に触れたときは、こんなにも空の広さには気がつかなかった。建物を呑み込むような空に、改めて母なる地球の大きさや偉大さを思い知った。
息を飲むようなその空模様は、不自然な人工物の集まりの大地に対して、バランスを取っているようだった。だがその街は空以外の自然を呑み込んでいた。
人類が地球の頂点に立つ存在なのか否かは未だに分からないが、少なくとも、その可能性を感じさせる強大な挑戦者であることは確かだと、その景色は教えてくれた。
――大陸では、テムル ハーンがチョイバルサンと対談していた。
「余の国は、もうお終いなのか? ルーシはもちろんのこと、アメリゴやアラビア圏を含む諸外国から経済制裁を受けている」
テムルは自信をなくしていた。大都の宮殿の一室で、小さく背の低い卓子の前で縮こまっていた。卓子の足にあしらわれた黄金の龍の模様から放たれる覇気は、今のテムルには不似合いだった。
「金がなくては物資が作れず、戦争継続も兵站線の崩壊から難しくなる」
彼は侵略軍の二つの軍閥が降伏したことに対する情けなさや心細さを誤魔化すように、蒙古族の伝統的なお酒である馬乳酒を呑んだ。ちびちびと酒を呑むその小物具合に、チョイバルサンは立腹した。そして励ますように戦況を報告した。
「さらに国内では山東を治める漢人世候の李檀が、民族浄化を恐れて反乱を起こしました。先手を打とうとしたのです」
チョイバルサンは今にもため息を吐きそうなテムルに、瞬き一つせずに言葉を続けた。
「ですが我々が漢民族を今まで通り扱う宣言を出すと、同じく漢人世候の史天沢が、李檀を討伐しました」
チョイバルサンは憔悴しきった主を宥めるようにこう続けた。
「漢人とて一枚岩ではないのです。国内の大多数の異民族は、我々に牙を向けることなく従っています。その中の一つである漢人や女真族がほんの一部離れたことなど、なんら問題ではありません」
チョイバルサンの戦況報告を兼ねた力強い説得も、テムルには響かなかった。
「もうお終いなのか……?」
「私はそうは思いません。朝な夕な思案し、あらゆる結果を考えました。しかし一度も、我が国が滅亡する結果などあり得ませんでした!」
理屈でダメならばと、彼は根拠の薄い内容で、勢いで語った。
「精強な蒙古軍は健在で、未だにカラハット島で猛威を奮っています。私の盟友ダムディン スフバートルも健在です。漢人世候やムスリムらも懸命に国に仕えておりますし、我が国はまだまだ捨てたものではありませんぞ!」
テムルは溜め息をぬいた。そしてなにも考えずに馬乳酒を飲み干し、虚ろな目で一言呟いた。
「スフバートルか。期待している」
「それはつまり、蒙古軍閥によるカラハット島攻撃に本腰を入れてよいのですね?」
「あぁ。そなたに自信があるのなら……余の精強な軍を動かすがいい」
――各々が心穏やかに過ごしていたその僅か数時間後の一二月二五日 午前◯時。
突如として蒙古軍の攻撃が始まった。
そして午前四時。
前線の正規軍は臨時的に韓家軍を本隊として蒙古軍と交戦したが、精強な蒙古兵の夜襲に対応しきれずに数万の兵は瞬殺されてしまう。
「元」漢民族軍閥はその軍勢の多さ故に、劉等の一部の高官を除いて、未だにその大半が西区から街道にかけての広い地域に駐屯させられていた。
反乱を危険視され武装を解除させられていた漢民族軍閥の捕虜たちは、迫り来る蒙古軍にとってただの大きな獲物と化していた。
突然の悲鳴や怒号が響く聖夜。アナトリーは恐怖を感じていた。一年前のこの日は"獣王”が現れて、カイ市中で一斉に争いが終わった。
しかしこの日は、降伏によって訪れた束の間の平和が、突如現れた大軍によって崩壊した。逃げ回るアナトリーは静を探した。しかし見つけられず、やむなく付近に隠れた。
モリに跨がる蒙古族に見つからないように、ただ静かにしていた。轟音と高温の炎は次第に彼の心を恐怖の色に染めていったが、それでも彼は息を殺し続けた。
「韓家軍! 盾となって味方を逃がすんだ! ! 戦う者は混成して戦え! !」
軍という形式が外され名前がなくなっても、外敵が襲いに来れば、培った戦闘経験から統制のとれた交戦がおこなえた。戦略的な行動は取れずとも、基本を忠実に守って戦うことでなんとか時間稼ぎをしていた。
敵は少数で、強襲型以外は目立った兵器用の霊兽もなかった。なのでただひたすらに防いでは、攻撃を繰り返した。
だが完全な奇襲だったので大幅に対応が遅れてしまっていた。しかしその取り返しがつかない初動により、全滅は時間の間近だった。
「俺はまだそっちに行く気はないぞ沈よ……! お前の娘を含めて、全員で長生きしてやる!」
太陽が昇るとともに正規軍の救援が到着した。しかし蒙古軍は撤退していった。どうやら奇襲が目当てで、深追いする意思はなかったようだ。
アナトリーは救出された。隠れ蓑から身を乗り出して外を見たとき、彼は絶句した。
そこには蒙古軍に蹂躙され死に絶えた漢民族たちの姿が残されていた。五体満足の人やズヴェーリはおらず、皆が苦痛の表情のまま息絶えていた。
辺りには、大火に燃やされた黒焦げの体から発せられる、焼けただれた生き物の死臭が充満していた。アナトリーは忘れかけていた蒙古軍の恐怖を思い出した。
捕らわれてから漢民族と接する中で、薄れていた恐怖を……。
それから彼は静を探した。生存者などいないという事は、この凄惨さからして一目瞭然だったが、それでも彼は諦めなかった。
一縷の希望にかけて「麗華! 麗華!」と泣き叫んだ。次第に疲れ果てて倒れ込み、意識を失った。
目が覚めると、そこは西区内の軍事病院のベッドの上だった。
「病院か……。またここに帰って来なのか……? あと何回……この景色を見ればいいんだ……」
思えば、この景色に飽き飽きとしていたあの日彼の運命は大きく変わった。きっとまた「大切な人」を失った……。その悲しみに彼の心は張り裂けそうになった。
涙が止まらなかった。衝動的に彼は、自分の舌を噛みきって自決としようとしたが、異変に気づいた看護師に取り押さえた。
絶望の淵から立ち上がり、やっと見つけた希望。その希望を失った彼の心は、ぐちゃぐちゃだった。
「もう一人じゃ歩けない……もうなにもできない」
そう思った。しかし、彼が眠っていた数時間のあいだに戦況は変わっていた。見舞いにきた将校は、生還したことを褒め称えた。しかしそんなプロパガンダへの前戯も束の間、その将校の部下の兵士が彼の部屋へ入ってきて、こう告げた。
「漢民族軍閥の一部が蒙古軍の奇襲から逃がれ、現在は街道北で交戦中。正規軍数万も参戦しているが、戦局好転せず」
「生き残りがいるのか! ? 俺をそこへ連れていってくれ!」
アナトリーの体は窶れ切った心と裏腹に、怪我もなく健康。彼は戦場へ向かう決断をした。




