12.揺らぐ絆
一カ月近く空けていたが、アジュガの部屋はメイドさん達の掃除がしっかりと行き届いているようで、棚の上に数種類置かれた小さな鉢におさまった観葉植物も生き生きと日の光を浴びていた。
落ち着いた青と紫の小物やカーテンで大人っぽくもあり爽やかさも感じさせる、いかにもアジュガらしい部屋で、俺とアジュガとリーオは花柄のクッションが置かれた白のソファに座ってコバの到着を待っていた。
「皆さんの分の紅茶をご用意しますね」
「ああ、ありがとうアジュガ」
「お願いします」
すっかり馴染んできたこのやり取り。昨日ヒギリさんが淹れてくれた紅茶も勿論美味しかったのだけれど、コツがあるのか何なのか、アジュガが淹れる紅茶は同じ茶葉でも色や香りが全く変わるのだ。
元の世界に居た頃はこんな風にティーポットで紅茶を淹れて飲む優雅な習慣なんて無かったし、飲むとしても紙パックに入った冷たいピーチティーやレモンティーぐらいだった。
誰かが俺の為に淹れてくれた温かい紅茶がこんなに美味しいものだったなんて、この〈マリアノツルギ〉の世界に来なければ一生気付かなかったかもしれない。
コンコン、と扉がノックされアジュガがどうぞと返事をすれば、カオシアで別れた時より顔色が悪いコバが、使用人のお兄さんに支えられながらやってきた。
明らかに様子のおかしい彼を見て、途端に俺達はコバの元へ駆け寄った。
「どうしたんだよコバ! こんなフラフラになって……!」
「……ワケはすぐ話すよ。とりあえず、回復魔法を……」
「は、はい!」
「では私のベッドに運びましょう。あなたはもう下がって結構です。ここまでありがとうございました」
「はい、失礼致します」
コバを連れてきてくれた使用人さんは心配そうにしていたが、アジュガの言う通り部屋を出て行った。
俺とアジュガで慎重にコバをベッドに寝かせたのだが、どうやらかなり怪我をしているようで、いつも被ったままのフード付きのローブを脱がせると身体中に火傷や切り傷が出来ていて、汗だくになっていた。
火傷があるという事は、スプラエンに来る途中で炎の魔法を使う魔物に襲われたのだろうか。それにしてもコバだって魔法が使えるし、マスターが居なくて普段より力が落ちているアキレアでも俺よりは戦えるはずだ。
カオシアの魔物は草食系のものしか居ないし、スプラエンだって街道沿いにはこんな怪我を負う程強い魔物は出ないと思う。
それに……。
(コバがこれだけの怪我を負っているなら、アキレアだって同じ状態かもしれない)
「すぐに治します。かなり酷い傷ですが、今のわたしになら……」
リーオが両手をコバに向けて、精神を集中させる。
「暖かき光、汝を癒やす……ヒール!」
優しい光がコバの身体を包み、俺の身体から何かが抜けていくようないつもの感覚。
ヒールをかけられたコバの顔色も少しは良くなったようだ。続けてリーオは詠唱無しで発動出来る長時間少しずつ体力を回復させていく魔法をかけ続けた。
この魔法はヒールほどの疲労は感じないのだが、何となく元気が無くなっていくような気がする。
回復魔法でも攻撃魔法でも、マリアが魔法を使えばマスターの体力と精神力は消費されていく。この先まだ俺のマリアが増えていったとして、大人数で邪神と戦うとしたら俺の身体は持つのだろうか。
邪神ディジオンが潜む世界の狭間に行ける皆既日食の3月31日まではまだ半年以上も時間はあるが、逆にそれまでに邪神に対抗出来る体力と精神力、そして戦闘技術を習得しなければならないのだ。
かなり不安ではあるが、大切な人達の住む大切な世界の為だ。元の世界ではただのオタク高校生だった俺だが、この世界では偉大なフリッグマスターなのだ。歴代のフリッグマスターが成し得なかった邪神討伐を俺達でやってのけたら、最高に格好いいしきっと歴史にも残る。伝説の英雄ショウ・フォーチュンなんて言われて教科書とかに載っちゃうかもしれない。
(まあこの世界に教科書があるかなんて知らないんだけどな!)
こうして調子に乗って気分を上げていかないと、不安で押しつぶされてしまいそうだった。
そうこうしているうちにコバの治療が終わり、血や汗を拭いてアジュガが用意した服に着替えてひとまず水を飲ませた。
勿論コバが着替える時はリーオは部屋から出ている。歳が近くてももう彼女も彼もお年頃だし。いや、俺が言えた立場でもないのだが。
水なんていらない、と飲むのを拒むコバ(ダジャレではない)に、初めてコバの家でカルボナーラを食べた時と同じような言い争いをして水を飲ませたアジュガに俺とリーオは苦笑い。
コバもアジュガも頑固なところはそっくりだ。
「……さて、落ち着いたところでお話を聞かせてもらいましょうか。コバ、あんなに酷い怪我をしたあなたを初めて見ました。それと、アキレアさんはどうしたんですか?」
「何かあったんだよな?」
「そうじゃなきゃあんな怪我、僕がするわけないでしょ」
ベッドに腰かけるコバは、焦っているのを誤魔化すようにコップの水を一気に飲み干した。
「……君達がビエルに乗っていったあの日、僕達はスプラエンに近いカオシアの森で野宿をしていたんだ。カオシアには人間や魔族を襲うような危ない魔物は居ないからね」
その夜、コバとアキレアは魔物に襲われる心配は無いとはいえ、魔族の中には人間やエルフに協力的なコバやイーファンさんのような魔族を嫌う者も少なくない為、交代で見張り番をしていた。
アキレアが眠っている間、マスターとマリアの間に生じる絆とそれによる効果及び魔族に与える心境の変化についてレポートに纏めていた時の事だった。背後から尋常ではない殺気を感じたコバはすぐにアキレアを起こし、警戒した。
「僕らの前に現れたのは、魔族の間でも変わり者だって有名な男……グレゴワールだったんだ」
「グレゴワール……そいつが二人を襲ったんだな?」
「うん。グレゴワールはここ数年カオシアには居なかったらしいんだけど、どういうワケかあの夜僕らを襲って……叩きのめされた。完膚無きまでにっていうのかな、あれは」
「そ、それで……アキレアさんはどうなったのですか? お二人で一緒に逃げて来たのではないのですか?」
リーオが不安げにコバを見詰める。コバはばつが悪そうに片手で頭を押さえた。
「残念だけど、アキレアは多分あの男に連れ去られたよ」
「なっ……」
「そ、そのグレゴワールってやつがどこに行ったのか分からないのか?」
「一応、満身創痍な身体を引きずってグレゴワールの所在を知っていそうな魔族に声をかけてみたんだけど、全く手掛かりナシ。あの男、もしかして知り合いどころか友達も居ないぼっちなんじゃないの?」
「そんな……アキレアさん……!」
(別行動なんかしないで、時間がかかっても徒歩で移動するべきだったんだ……!)
時間が無いからと焦って、大切な仲間を危険にさらして……何がマスターだよ。俺なんか男すら失格じゃないか。
爪が真っ白になるくらい強く拳を握り締め、激しく後悔する。
「何か……何か出来る事があるはずだ! アキレアは砦で俺を助けに来てくれたんだ。絶対に助けなきゃならないんだ!」
ビエルで飛び立つ前、不安げに揺れていた彼女の瞳を思い出した。
マスターとマリアは一心同体。セロウズさんとレベッカさん、グレイさんとカエさんもそうだった。それはきっとフリッグマスターだって変わらないはずだ。マスターとマリアは、共に成長して、旅をして……そうして絆を深めていくものなのだ。
(それなのに、俺は……)
彼女と――アキレアと離れてしまった。
ふいに、以前セロウズさんから聞いた話を思い出した。
セロウズさんが冒険者になって間もない頃、レベッカさんと出会った時の話だ。セロウズさんは家族や恋人を失って人間不信になっていて、同期の冒険者はマリアとの契約の段階を上げているというのにセロウズさん達は仮契約から一向に変わらなかった。
俺とリーオはつい最近第三契約、つまり契約の最高レベルに上がったわけだが、アキレアと契約したのはもっと前の出来事だった。
それなのに後から契約したリーオの方が先に第三契約になるなんておかしいんじゃないか?
セロウズさんの場合は、マリアであるレベッカさんを信頼しきれていなかったから契約が進まなかった。もしかしたら、俺とアキレアの場合もそうなのではないだろうか。
俺の頭の中では、そんな仮説が出来上がっていた。
(だけど、俺はアキレアを信頼しているつもりだ。アジュガやコバ、リーオにも同じくらい信頼を寄せているはずだ)
信頼していなければリーオとの契約がランクアップするはずがないのだ。セロウズさん達のように結婚しなくても、強く信頼しあっていれば可能なのだから。
そうなると……
(アキレアは、俺に対して不満があるのか……?)
思い返してみれば、リーオが仲間になってから何度かアキレアの様子がおかしかった。
彼女と出会ってから今までほとんど情けないところばかり見せているのだから、不満や不安を抱くなという方が難しいだろう。まあ、そうなるとどうしてリーオがこんな俺を信頼してくれているのか不思議でたまらないのだが。
兎に角、これからの人間関係の為にも彼女の為にも、彼女との約束を守る為にも、今は急いでグレゴワールという魔族の居場所を掴まなければならない。
普段は回らない頭が今日はやけに回ってくれて、俺はもしかしたらこの絶望的な状況を打開出来るかもしれないヒントを見つけた。
「なあ、確かイーファンさんは俺達より先にスプラエンに来てるんだったよな? もしかしたら何か情報を掴んでるかもしれない!」
俺の言葉にリーオ達の瞳に光が宿った。
「そういえば……」
「確かに、彼女なら何かしら情報を得ているかもしれませんね」
「イーファンさんもきっとコバさん達と同じ道を通ったはずですものね!」
「それでは早速、城の通信装置を使ってスプラエン国内のギルドに彼女の所在を聞いてきます。イーファンさんのような輸出関係の仕事をなさる魔族の方は、ギルドの使用を許可されていますからね」
「ああ、頼むよアジュガ!」
(これで少しでも手掛かりを掴めれば良いんだけど)




