7.蛇と蛙
どこへ行くかも決めていない。俺はおぼつかない足取りで街をさまよっていた。
俺が眠っている間にすっかり辺りは真っ暗になっていて、街灯も無いこの街を照らすのは家々の明かりだけだった。
街を歩いているのは俺だけのようで、他の人とはすれ違わない。
(そういえば、普通の人間がこんなところを歩いていて大丈夫なのかな)
魔族に捕まえられたりしないだろうか。
(……まあ良いか。俺がこの世界に居る理由なんて無いんだから)
どうなろうが、構うもんか。
フリッグマスターは俺だけではないし、俺より強いマスターなんてたくさん居るのだから。
なら俺は元の世界へ帰りたい。必要とされない世界に居ても虚しいだけだ。
家族が、友人が居る世界に帰りたい。
だが、どうやってこの世界に来たのかもわからないのに帰り方なんてわかるわけがなかった。
誰も居ない夜の街を歩き続けていると、一軒だけ他の家よりかなり離れた場所に、小さな家が建っているのが見えた。
その家の扉が開いて、中から誰かが出て来た。家の明かりが逆光となっていて、その人の顔がよくわからない。
「あなたは……人間?」
落ち着いた大人の女性の声だった。ということは、この人は魔族の女性か。
「何故人間が一人でこの街に? 魔族の知り合いとはぐれたのかしら」
「えっと……」
「私の家へお入りなさい。そろそろ雨が降ってくるから」
彼女の言う通り、ぽつりぽつりと小粒の雨が降りだしてきた。
「ほら、早く」
「……お邪魔します」
悪い人では無さそうだから、お言葉に甘えて家にあがらせてもらう。
あのまま街を歩いていても、その内事情を聞いたアジュガが捜しに来るかも知れない。
今は彼らには会えない。会いたくなかった。
「狭い家だけど、ゆっくりくつろいで」
「ありがとう、ございます」
椅子に座るように促され、いい匂いのするお茶を出してもらった。
彼女もテーブルの向かいに座り、お茶を口にする。
「私はイーファン。見ての通り魔族よ。ここに一人で住んでいるの。あなたはどこから来たの?」
イーファンと名乗った彼女の耳は、人間と同じ位置にあるけどそれは黒猫のような耳だった。
エルフ耳の黒猫バージョンとでも言えば良いのだろうか。
目は金色で、長い髪は小豆色。整った顔の半分は前髪で隠れていた。
「スプラエンの方から来ました」
「スプラエンから……そう。あなたには契約を交わしたマリアが居るのね。冒険者かしら。あなたのマリアもカオシアに来ているの?」
彼女の視線は俺の首に向かっていた。イーファンさんも俺のフリッグの印が見えるようだ。
つまり、俺がフリッグマスターだと知られたという意味である。
「……来てます。だけど、俺はもと居た場所へ帰るつもりです」
「マリアを置いて?」
「出来れば……もう会いたくないんです」
「何故? マリアとそりが合わなかったの?」
「俺、すっげー弱いんです。魔物の気配も読めないし、植物にも詳しくないし、料理が得意なわけでもなくて、魔法も使えない役立たずで……これ以上仲間達に迷惑をかけたくないんです」
俺はアキレアのような強さも、アジュガのような特技も、コバのような不思議な力も無い。
「だから、こんな邪魔なやつと一緒に居てもみんなからしたら迷惑なだけだし……。だから、帰りたいんです」
イーファンさんは俺の話を聞いて、静かに目を閉じた。
「それは逃げね。あなたのような人間の仲間なのだもの。きっと彼女達の口から邪魔だと言われたことなんて無いのでしょう?」
「それは……」
「言われてもいないことを気にする必要なんてないわ。何故人間はそんなことで悩むのかしら」
開かれた彼女の金色の目が俺を射抜く。
「あなたは変わりたいのね。誰かの力になりたい……だけどなれない。あなたは変わり方を知らないのだわ」
恐ろしいほど美しいその目で、俺は蛇に睨まれた蛙のように身動きが出来なかった。
これが魔族というものなのだろうか。
「あなたが望むのならば、私はあなたの力になってあげられる。あなたが力を得るための手伝いをしてあげる。あなたがまだ、仲間のもとへ帰りたいと望むなら」
(帰りたい? アキレア達のところへ?)
「すぐに答えが出なくても、まだ待ってあげられる。明日の朝までに返事を聞かせて。今夜はこの家に泊まると良いわ」
そう言ってイーファンさんはお茶を飲み干して、鞄を持ってどこかへ出かける支度を始めた。
「私はこれから行かなければいけない場所があるの。食べ物はあるから好きなようにしてちょうだい」
「は、はい」
「朝には戻ってくるわ」
そして彼女は家を出て行った。
初対面の人間に留守を任せて大丈夫なのだろうか。




