8.予測不能の苦難
イーファンさんが出かけて、俺は彼女の家で留守番をすることになった。
そういえば、この世界の時計は元の世界と変わらないらしい。
12の数字が円を描くように配置されていて、1日は24時間。1年は365日。4年に一度のうるう年があるのも同じだ。
部屋の時計を見てみれば、針はそろそろ8時をさそうとしていた。
俺があの家を飛び出して一時間が経つ。降りだした雨は止まず、ザーザーと屋根や壁、窓に当たる音が静かなこの家の中にもよく聞こえている。
イーファンさんは傘も何も持っていかなかったようだけど、魔族だから魔法でどうにか出来るのだろうか。
少し身体が冷えたようで、ソファーに綺麗にたたまれていたブランケットにくるまって残っていたお茶を飲んで暖をとる。
スプラエンは春の国というだけあって、一日中過ごしやすい気温だったから気にならなかったが、カオシアの雨雲は太陽の光を遮るから少し冷える。
まだ少しだるさと熱っぽさが残っている。食欲が出ない。
とりあえず横になっておこうかと思ったが、どうやらこの家にはベッドが一つしかないようだ。
(それもそうか。この家にはイーファンさんしか住んでいないんだから)
女性のベッドを勝手に使うのも悪いので、今夜はこのソファーに寝かせてもらうことにする。
ごろんと寝転んで、イーファンさんが言っていた言葉を思い出す。
「あなたは変わりたいのね。誰かの力になりたい……だけどなれない。あなたは変わり方を知らないのだわ。あなたが望むのならば、私はあなたの力になってあげられる。あなたが力を得るための手伝いをしてあげる。あなたがまだ、仲間のもとへ帰りたいと望むなら。」
俺にみんなを守れる力があるのなら、彼らのもとで一緒に旅がしたい。まだまだ知らないことに満ち溢れたこの世界を、もっと旅したい。
そして、この世界を邪神の呪縛から解き放ってやりたい。
それがきっと、俺の答えなんだ。
自分で気が付かないうちに眠っていたようで、目を開けるとカオシアに来て初めての太陽の光が窓から差し込んでいるのが見えた。
「目が覚めたようね」
イーファンさんが帰ってきていた。
彼女は彼女と俺の分の朝食を作ってくれていたようだ。
「お、おはようございます」
「おはよう。こんな風に誰かに朝の挨拶をするなんていつ以来かしら。さあ、食べてちょうだい」
彼女が用意してくれたのは、フルーツヨーグルトとレーズンパンだった。
朝食らしいさっぱりしたメニューだ。そして、淹れたての紅茶もある。
ソファーから起き上がってテーブルにつく。
「昨日は何も食べずに眠ったようね。体調が悪いようだったから、何か栄養をとってほしいところだったのだけれど」
「え……」
「顔が赤かったわ。昨日あなたに出したお茶は、私が調合したものなの。熱が下がればと思って」
そういえば、昨日までの熱っぽさが無くなっている。
(俺が熱出してたの気付いてたんだ)
「もう熱はないみたいです。ありがとうございます」
「人間はか弱い生き物だから、治せるものは治せるうちに治しておいた方が良いもの。勝手なことをしてしまったと思っていたのだけれど、喜んでくれたのなら良かったわ」
(あのお茶にそんな効果があったのか。魔族って凄いな)
もしかしたら、イーファンさんもコバのように人間の国に薬や薬草を売る仕事をしているのかもしれない。
俺のような見ず知らずの人間にこんなによくしてくれているのだし。
「それで、答えは決まったかしら?」
彼女についていって力を手に入れるか、元の世界へ帰るか。
昨晩でその答えは出た。
「……俺、力が欲しいです。イーファンさんの言う通り、このまま逃げても何も解決しないと思うから」
「それがあなたの選択ね」
「はい」
真っ直ぐ彼女の目を見る。
(俺はこの世界から、逃げない!)
すっと彼女の目が細められて、小さな変化でしかないけど少しだけ微笑んでいた。
「あなたはその答えを選ぶのね。やはりあなたは、彼に選ばれただけのことはあるようね」
(彼とは一体誰のことなんだ?)
フリッグマスターに関係することなんだったら、フリッグは愛の女神なんだから彼と言うのは間違っている。
「あなたの望みを叶えるお手伝い、してあげるわ」
「宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しく。まだあなたの名前を聞いていなかったわ。私に教えて。あなたの名前」
「ショウです。ショウ・フォーチュン。一応槍使い……」
とはいっても、肝心の槍はアキレア達のところへ置いてきてしまったのだけれど。
「武器は無くても問題無いわ。これから向かうところは、むしろ武器を持っていては入れないのだから」
「そうなんですか」
「朝食を終えたら、身支度をしましょう。あなたのその服も着替えてもらうわ」
(一応この世界に来てから、俺の服は手洗いしてるから綺麗だとは思うんだけど……)
少しだけ疑問が残るが、ぱぱっと朝食を済ませて着替えが始まる。
「これを着て」
彼女に渡された紺色の服を持ってその場で着替える。別に男だからどこで着替えようと気にならない。
むしろ俺が気になったのは……渡された服が紺色のワンピースだったことだった。
「あの……何でこの服を着ねばならないのでしょうか……」
俺にはそういう趣味は無い。彼女は俺をどういう道に走らせたいのだろうか。
「まだあなたの仲間がこの近くに居るかもしれない。だから変装するの」
「変装っていうか女装ですよイーファンさん!」
「似たようなものだわ。人間は細かいことを気にするのね」
多分魔族のコバでもこれは気にするんじゃないのか。
(何、イーファンさんって天然なの? 何でそんな平然とした態度で俺に女装させようとするの? おまけにこのワンピース、胸にパッドまで入ってませんか?)
「似合っているから心配ないわよ」
「俺のこれからが心配なんですけど」
「あとはウィッグとメイクをすれば、あなたは完全な人間の娘に見えるようになるわ」
「無視ですか! 俺の心配は無視なんですか!」
まさか魔族にツッコミをする日が来るとは思わなかった。
イーファンさんは手際良く俺を女の子に改造していく。
どうして魔法を使って一瞬で女装させないのかと訊いたら、魔法だと誰かに打ち消されたら一発で元の姿に戻ってしまうからだと言われた。
俺が入ってる部活の特色もあって、文化祭でコスプレすることはあったものの流石に女装はしていない。
(こんな格好あいつに見られたら……兄ちゃんに見られたら、写メられて色んな人に広められて確実に黒歴史に確定する)
この世界に兄ちゃんが居なくて本当に良かった。
「出来たわ」
彼女が渡してきた手鏡に映るのは、黒髪ツインテールの知らない女の子だった。




