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異常世界の歩き方 MDE(国際異常研究機構)  作者: 神代千早


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81/83

『朝を鳴らせ』 第二章 世界が眠り始める

毎日21時投稿

金土日18時、21時、2本投稿予定

この章は10分ぐらいで読めます


NCO-217-JP関連Tale-04


『朝を鳴らせ』



第二章 世界が眠り始める



一


午後十一時五十一分。


サイト83の夢界管理病棟に収容されていた感染者十七名が、すべて同じ脳波を示していた。


個人差が消えている。


年齢、性別、睡眠状態、投薬履歴に関係なく、十七人の脳波は四・八秒間隔で同じ形を繰り返していた。


一人の人間から記録した信号を複製し、十七台のモニターへ表示したように見える。


藤崎奈緒の心拍は回復していた。


一度停止した後、何の処置も受けずに再開した。


しかし、覚醒刺激には反応しない。


夢界深度は測定上限を超えている。


「病棟を完全隔離」


久世冬馬が命じた。


「患者と接触した職員を全員検査。睡眠状態へ移行した者は、感染者と同じ区画へ収容してください」


管制室内では、警報が途切れることなく鳴っていた。


技術職員が世界睡眠監視網MORPHEUSから送られてくるデータを確認している。


「国内で同一脳波の報告が増加しています」


「感染者と接触した人物ですか」


「違います。接触歴のない一般市民が含まれています」


「人数は」


「現時点で百四十三名」


数字が更新される。


三百二十一名。


七百八十八名。


千六百名。


増加速度が、観測装置の処理能力を上回り始める。


「感染経路を特定してください」


「地理的な拡散ではありません」


技術職員が国内地図を表示した。


北海道。


東北。


関東。


中部。


近畿。


中国。


四国。


九州。


互いに離れた地点で、ほぼ同時に異常睡眠が発生している。


「映像や通信を介したミーム感染は?」


「共通する情報への接触は確認できません。NCO-217-JPを知らない人物も含まれています」


「夢を見ていた人物だけですか」


「覚醒中の対象もいます」


久世が顔を上げた。


「起きていた人間が、レム睡眠へ入った?」


「はい。予備段階を経由していません。突然意識を失い、数秒以内に同一脳波へ移行しています」


管制室のモニターに、一般道路の監視映像が表示された。


赤信号で停車していた自動車。


信号が青へ変わっても、運転手は動かない。


後続車が警笛を鳴らす。


別の車両がゆっくりと前進し、停車中の車へ衝突した。


衝突しても、運転手は目を覚まさなかった。


別の映像。


深夜営業中のコンビニエンスストア。


店員がレジカウンターへ突っ伏している。


客が店員を起こそうと近づいた直後、その客も床へ倒れた。


さらに別の映像。


病院の手術室。


執刀中の医師が突然動きを止め、看護師に支えられる。看護師が応援を呼ぼうとしたところで、その場にいる医療関係者が次々と意識を失った。


「各国支部へ緊急警告を送信」


久世が言った。


「運転、航空、医療、発電、軍事設備に従事する人員を交代させてください。眠気を訴えた者は直ちに作業から離すように」


「交代要員も眠った場合は?」


「機械制御へ切り替える」


「自動制御がない設備は」


久世は答えられなかった。


床がわずかに傾いたように感じた。


実際には動いていない。


強い眠気による平衡感覚の低下だった。


管制室にいる職員の一人が、机へ手をついた。


「主任」


彼の瞼が閉じかけている。


「意識を保てません」


医療職員が覚醒薬を注射する。


一時的に目を開いたが、十秒後には再び閉じ始めた。


「薬剤が効きません」


「管制室から搬出してください」


二名の職員が彼を支える。


出口へ到達する前に、三人とも床へ倒れた。


倒れた身体の眼球が、閉じた瞼の下で高速に動き始める。


レム睡眠。


三人の脳波が、感染者たちと同じ周期へ変化した。



二


午後十一時五十二分。


最初の国外報告は、MDE韓国支部から届いた。


ソウル市内において、複数の市民が同時に睡眠状態へ移行。


続いて中国支部、ロシア支部、東南アジア統括施設から同様の報告。


地域ごとの発生時刻に差はなかった。


感染は日本から周辺国へ広がっているのではない。


最初から、すべての地域で発生していた。


観測と報告に時間差があっただけだった。


午後十一時五十四分。


ヨーロッパ、アフリカ、北米、南米、オセアニアから異常睡眠が報告された。


現地では日中の地域もある。


通勤中。


仕事中。


食事中。


会話中。


人々は眠るための準備を行わず、その場で意識を失った。


立ったまま壁へ寄りかかり、眠り続ける者。


歩道で倒れる者。


電話で話している途中に発言を止め、そのまま目を閉じる者。


突然眠った人間を介抱しようとして、自分も眠る者。


外見上は、急速に拡大する感染症に見えた。


しかし、防護服も隔離設備も役に立たなかった。


空気、水、接触、映像、音声のいずれも感染経路ではない。


「世界人口に対する異常睡眠率、〇・四%」


職員が報告する。


「増加中です」


久世は統括管理局との緊急通信を開いた。


画面には、MDE世界睡眠災害対策室が映る。複数の言語が飛び交い、各地域の報告が同時に処理されていた。


『サイト83、発生源を報告してください』


「NCO-217-JP感染者第十二例、藤崎奈緒と推定。ただし、個人から感染が拡大しているのではありません」


『説明を』


「彼女が白い扉へ到達した直後、収容感染者全員の夢が接続されました。その接続が、MORPHEUS監視網で確認可能なすべての睡眠者へ広がっています」


『情報網を経由している可能性は』


「ありません。MORPHEUSは観測しているだけです」


『それなら、何を経由している』


久世は奈緒の夢界記録を見た。


白い床が世界中へ広がる映像。


数え切れないほど増え続ける扉。


「人間が夢を見るという性質そのものです」


通信の向こうが沈黙した。


「感染者第十二例は、NCO-217-JP-Cとの接触によって、全人類が共有する夢界層へ到達した可能性があります」


『つまり、眠る人間すべてが感染対象になる?』


「違います」


久世は床に倒れた職員たちを見た。


「起きている人間も、夢の方から眠らされています」



三


クレイン博士から通信が入ったのは、午後十一時五十六分だった。


彼はサイト83北区画の医療観測室にいた。


室内にいた職員の大部分が睡眠状態へ移行している。クレイン博士自身も覚醒薬を投与され、右腕へ痛覚刺激装置を装着していた。


『久世主任、聞こえますか』


「聞こえています。そちらの状況は」


『二十三名が睡眠状態へ移行しました。意識を保っているのは私を含めて五名です』


「眠っている職員の思考を確認できますか」


クレイン博士は背後に並べられた患者用ベッドを見た。


『すでに試しました』


「何が聞こえました」


『同じ声です』


「全員が同じことを考えている?」


『いいえ』


クレイン博士は首を横に振った。


『全員が同じ夢を見ているのではありません』


「では?」


『一つの夢が、全員を使って自分を見ています』


久世は言葉を失った。


『眠っている人間は、それぞれ別の白い部屋にいます。しかし部屋の奥で、すべてが一つにつながっている』


「NCO-217-JP-Cですか」


『名称を使わない方がいい』


クレイン博士の声が低くなる。


『考えた瞬間に、向こうから反応がありました』


「どのような反応です」


『私の声を使われました』


「誰に対して?」


『私自身に』


通信に雑音が入る。


クレイン博士の背後で、眠っていた職員の一人が起き上がった。


目は閉じたまま。


口だけが動く。


「クレイン博士」


博士自身と同じ声だった。


「何ですか」


眠っている職員が微笑む。


「あなたは、起きているつもりですか」


クレイン博士は反応しなかった。


職員が続ける。


「他人の考えが聞こえるなら、確かめてください」


「何を?」


「本当に目を開けているのが、どちらなのか」


クレイン博士は痛覚刺激装置の出力を上げた。


右腕の筋肉が痙攣する。


職員の笑みが深くなる。


「痛みがあるから現実だと思っていますか」


「あなたが私を説得しようとしている間は、少なくとも私は起きています」


「なぜ?」


「眠らせられるなら、最初からそうしているはずです」


職員の口が止まった。


クレイン博士が久世へ言う。


『会話を続けないでください。向こうは、こちらの定義を使って覚醒と睡眠の境界を書き換えようとしています』


「分かりました」


『もう一つ』


「何です」


『眠った職員の思考に、空白があります』


「十三分間の欠損?」


『それより大きい。夢と夢の間が、外側から削られています』


クレイン博士は眠る職員へ視線を戻した。


『NCO-217-JP-Cが行っているとは思えません』


「根拠は」


『白い部屋の側も、欠損を恐れています』


「白い扉の向こうにいるものが、恐れている?」


『そう聞こえます』


「何を恐れているんです」


通信に咀嚼音が混じった。


くちゃ。


クレイン博士が背後を振り返る。


観測室の壁に白い染みが広がっていた。


『後で報告します』


「博士、待ってください」


『こちらにも扉が現れました』


通信が切れた。



四


午後十一時五十八分。


異常睡眠率、十二・七%。


世界人口の約八人に一人が、同時にレム睡眠状態へ移行していた。


大規模な交通事故が複数地域で発生。


航空管制設備の一部が無人化。


自動操縦へ移行できなかった航空機が緊急着陸を開始。


医療機関では、覚醒を維持できる職員だけで患者の生命維持が続けられた。


軍事施設の一部で自動防衛装置が作動したが、MDEと各国政府の緊急連絡により、現時点で大規模な兵器使用は回避されていた。


午前零時一分。


異常睡眠率、二十一・四%。


サイト83内でも、覚醒者の数が急速に減少した。


職員たちは覚醒薬、電気刺激、冷水、痛覚刺激を使用しながら作業を続けた。


眠気は生理的なものではない。


脳を覚醒させても、意識だけが夢へ引かれていく。


三枝は夢界潜入装置の前に座っていた。


「接続を許可してください」


久世は首を横に振った。


「夢界側から接続が拡大しています。こちらから入る必要はありません」


「では、待つんですか」


「現実側で拡大を止める方法を探します」


「藤崎さんが扉を開けたなら、閉じられるのも彼女です」


「彼女が自分の意思で開けたとは限りません」


「だから確かめます」


三枝は装置の電源を入れた。


久世が停止操作を行う。


「許可できません」


「伊吹さんは、夢の中に残りました」


「分かっています」


「ほかのナイトメアも、向こうで人々を起こそうとしている」


「今、接続すれば戻れない可能性があります」


「戻るために行くんじゃありません」


三枝は久世を見た。


「全員を戻すために行きます」


午前零時四分。


異常睡眠率、三十三・一%。


管制室の照明が再び消えた。


非常電源への切り替えに三秒を要した。


その三秒間、久世は白い部屋に立っていた。


目を閉じてはいない。


意識も失っていない。


それでも、暗闇の代わりに白い床と壁が見えた。


正面に扉がある。


扉の向こうから、母親の声が聞こえた。


久世の母親は存命である。


最後に会ったのは三年前。


声を聞いたのは、数か月前の電話だった。


「冬馬」


母親の声が呼ぶ。


「もう仕事をしなくていい」


久世は扉から目をそらした。


「偽物にしては、ずいぶん現実的ですね」


「本物と偽物に違いはあるの?」


「あります」


「夢の中でも?」


「あります」


「どうして?」


「私が決めるからです」


扉の向こうの声が笑った。


「それなら、こちら側を現実だと決めればいい」


非常照明が点灯した。


白い部屋が消える。


久世は管制室へ戻っていた。


経過時間は三秒。


しかし、手の中に白い扉の取っ手が残されている。


真鍮製の丸い取っ手。


数秒後、輪郭が崩れ、白い液体となって床へ落ちた。


液体は床へ染み込まず、一枚の長方形を形成する。


人間が通れる大きさの白い扉。


現実空間に出現した扉だった。


「全員、扉から離れてください!」


職員が後退する。


白い扉は床に寝た状態で存在している。


その表面へ、内側から手形が浮かび上がった。


一つ。


二つ。


数十。


数百。


扉の向こうで、大勢の人間が押している。



五


午前零時五分。


MDE世界睡眠災害対策室は、夢界と現実空間の境界値に急速な低下を確認した。


白い扉はサイト83だけでなく、世界各地に出現していた。


壁。


道路。


鏡。


消灯した画面。


閉じた窓。


人間の影。


扉を開いた者は、その場から消失した。


衣服も所持品も残らない。


周囲の人間は、消失した人物の顔を思い出せなくなる。


記録からも名前が失われ始めていた。


存在が夢界側へ移動しているだけではない。


現実に存在していたという情報そのものが、白い部屋へ持ち込まれている。


午前零時六分十八秒。


異常睡眠率、四十一・八%。


サイト83の計算機が、最初の終焉予測を出した。


夢界・現実境界値が臨界点を下回る条件。


世界人口の五十一%以上が、同時に白い部屋を認識すること。


臨界点到達後、覚醒と睡眠の区別は消失する。


眠っている人間は二度と目を覚まさない。


起きている人間も、自分が目覚めているという状態を維持できない。


肉体が死亡しても夢は終了せず、意識は共有夢界内に保存され続ける。


現実世界は人間の認識から切り離され、観測者を失う。


MDEは、この予測事象をΩ級夢界侵食シナリオ「永眠夜」と暫定指定した。


成立予測時刻。


午前零時十八分。


残り十一分四十二秒。


管制室に数字が表示される。


00:11:42


一秒ずつ減っていく。


三枝が夢界潜入装置へ横たわった。


久世は止めなかった。


「接続地点は藤崎奈緒です」


彼は言った。


「見つけられますか」


「見つけます」


「白い扉を開けないでください」


「分かっています」


「NCO-217-JP-Bに遭遇した場合は」


三枝は目を閉じた。


「逃げます」


夢界接続装置が起動する。


同時に、床へ形成された白い扉が開き始めた。


内側から、何百本もの手が伸びてくる。


久世は三枝の接続を開始しながら、残された職員へ命じた。


「扉を閉じろ!」


職員たちが白い扉へ飛びつく。


伸びてくる腕を押し戻し、扉を閉めようとする。


扉の向こうから、無数の声が聞こえた。


家族。


友人。


恋人。


死亡した者。


まだ生まれていない子供。


それぞれが、最も信頼する声で呼びかけている。


「もう怖がらなくていい」


「こちらが朝だ」


三枝の意識が夢界へ沈む。


最後に見えたのは、管制室の天井だった。


白い亀裂が走る。


そこから巨大な金属製の指が現れ、何かを探すように動いていた。


次の瞬間、三枝は数十億枚の扉が並ぶ白い世界へ落下した。



――Tale-04『朝を鳴らせ』

第二章『世界が眠り始める』終了

次回予告

第三章 白い扉

11月3日21時投稿予定

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