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異常世界の歩き方 MDE(国際異常研究機構)  作者: 神代千早


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80/83

『朝を鳴らせ』 第一章 悪夢が消えた夜

毎日21時投稿

金土日18時、21時、2本投稿予定

この章は10分ぐらいで読めます


NCO-217-JP関連Tale-04


『朝を鳴らせ』



第一章 悪夢が消えた夜



一


藤崎奈緒が弟に殺される夢を見るようになってから、八か月が経過していた。


夢の始まりは毎晩同じだった。


幼少期に暮らしていた家。


天井近くまで満たされた濁った水。


暗い窓の外を流れる川。


水中を漂う家具の間から、十六年前に死亡した弟、悠人が現れる。


死亡時と同じ十一歳の姿。


白く膨らんだ皮膚。


髪や衣服に絡んだ水草。


瞳のない両目。


口から黒い水を流しながら、奈緒の名前を呼ぶ。


奈緒が逃げると、悠人は追ってくる。


廊下を走る。


階段を上る。


どれほど逃げても、最後には必ず捕まる。


悠人は奈緒の背中へ爪を立て、肩へ噛みつき、彼女を濁った水の中へ引き倒す。


奈緒が恐怖と苦痛に耐えられなくなった瞬間、夢の中に朝の光が差し込む。


そして、彼女はサイト83のベッドで目を覚ます。


最初の一か月間、奈緒は眠ることを拒否した。


二か月目には、睡眠時間が近づくたびに嘔吐した。


三か月目には、夢の中で聞こえる弟の足音だけで失神するようになった。


それでも、四か月を過ぎた頃から変化が現れた。


恐怖に慣れ始めた。


悠人がどこから現れるのか。


どの廊下を通るのか。


どこで振り返れば姿が見えるのか。


どれだけ逃げれば捕まるのか。


夢の規則を覚えると、奈緒は以前ほど驚かなくなった。


サイト83の心理研究部門は、NCO-217-JP-Bによる覚醒効果が低下していると判断した。


夢の舞台が変更された。


水没した自宅から、弟が死亡した川岸へ。


川岸から、遺体安置室へ。


遺体安置室から、葬儀場へ。


悠人の外見も変化した。


水死体。


膨張した巨大な人型存在。


手足が異常に長い少年。


奈緒と同じ顔をした弟。


奈緒自身の遺体を背負った姿。


いずれも、奈緒の記憶と恐怖反応を基礎として形成されていた。


夢は変化するたびに恐ろしさを取り戻した。


だが、それも長くは続かなかった。


どれほど外見が変わっても、中にいるものが悠人であると分かってしまったからだった。


怪物が自分を傷つけるたび、奈緒は白い扉から遠ざけられる。


痛みの先には、必ず朝がある。


そう理解した時点から、恐怖は少しずつ別の感情へ変わっていった。


悲しみ。


罪悪感。


そして、感謝。


ナイトメアを信頼してはいけないと、久世冬馬は何度も警告した。


あれらが本当に人間を守ろうとしているのかは分からない。


元の人間の意識を残しているとしても、それが本人と同一である保証はない。


ナイトメアがNCO-217-JP-Cとは異なる目的で感染者を利用している可能性も残されている。


それでも奈緒は、夢に現れる悠人を完全な怪物とは思えなくなっていた。



二


午後二時、奈緒は定期面談のため久世の執務室を訪れた。


机の上には、感染者十七名分の恐怖反応記録が積まれている。


夜凪睡眠医療センターから移送された十二名に加え、二次感染したMDE職員と民間人が新たに収容されていた。


その中には、夢界潜入中に昏睡した伊吹崇も含まれている。


伊吹の肉体は今も医療区画で眠り続けていた。


一方、彼の姿をしたNCO-217-JP-Bは複数の感染者の夢に現れ、白い扉へ近づく者を追跡している。


人間として眠りながら、怪物として他人を起こしている。


現在のMDEにも、その状態を説明する言葉はなかった。


「昨夜の夢について教えてください」


久世が尋ねた。


「いつもと同じです」


奈緒は答えた。


「自宅の廊下を逃げて、悠人に捕まりました」


「悠人、という呼び方を記録に残しても?」


「構いません」


「NCO-217-JP-Bの外見は」


「十一歳。死亡時の姿でした」


「何か変化は?」


奈緒は少し考えた。


「左手の指がありませんでした」


久世が顔を上げる。


「以前から?」


「昨夜が初めてです」


「どのように失われていましたか」


「切断されたようには見えませんでした。最初から指がなかったみたいに」


久世は内容を記録する。


「ほかに欠損は?」


「左耳もなかったと思います」


「曖昧ですか」


「顔をよく見なかったので」


それは嘘だった。


奈緒は夢の中で、悠人の顔を正面から見ていた。


左耳だけではない。


頬の一部も欠けていた。


傷口も断面もなく、その場所だけが認識できなかった。


視線を向けても、直後にはどこが欠けていたのか思い出せなくなる。


夜凪睡眠医療センターで見た白い部屋の欠損と同じだった。


それを正直に報告すれば、睡眠時の刺激が強化される。


別の恐怖記憶を基礎に、ナイトメアの姿を変えられるかもしれない。


再び悠人の遺体安置室を夢に見せられるかもしれない。


奈緒は、これ以上弟の姿を作り変えられたくなかった。


「恐怖反応は維持されていますか」


久世が尋ねる。


「はい」


「昨夜の最大心拍数は、これまでの平均を下回っています」


「夢に慣れてきたのかもしれません」


「それは安全な状態ではありません」


「分かっています」


久世は奈緒の目を見た。


「本当に?」


彼女は答えなかった。


久世は端末を閉じた。


「藤崎さん。この管理手順が苦痛を与えていることは理解しています」


「なら、やめてください」


「できません」


「分かっています」


奈緒は同じ言葉を返した。


「ナイトメアを怖がらなくなったら、もっと怖い夢を見せる。私がそれにも慣れたら、また次を用意する。それが私たちを守るために必要なんでしょう」


「現在は、それ以外の方法がありません」


「いつかはありますか」


「探しています」


「八か月前にも、同じことを言いました」


久世は否定しなかった。


「あなたたちは、私たちを眠らせたいのか、眠らせたくないのか、どちらなんです」


「眠って、戻ってきてほしい」


「そのために、悪夢を見せる」


「はい」


奈緒は乾いた笑いを漏らした。


「本当に、ひどい治療ですね」


「治療ではありません」


「知っています」


久世は恐怖反応記録を机の端へ寄せた。


「今夜の睡眠には、刺激調整を行いません」


奈緒は意外そうに彼を見た。


「いいんですか」


「NCO-217-JP-B自体に欠損が発生している可能性があります。外部から刺激を加えず、自然な状態を観測します」


「悠人が消えかけているんですか」


「まだ判断できません」


「消えたらどうなります」


久世は答えなかった。


その沈黙だけで十分だった。


「今夜、眠りたくありません」


奈緒が言った。


「拒否は認められません」


「悠人がいないかもしれないのに?」


「だからこそ、監視下で確認する必要があります」


「私を使って?」


「はい」


久世は目をそらさなかった。


「危険が確認された場合、直ちに覚醒処置を行います」


「失敗したら?」


「失敗させません」


「夜凪睡眠医療センターでも、患者を起こせなかった」


「今回は設備も職員も違います」


「白い部屋にとっても?」


久世は答えられなかった。


奈緒は椅子から立ち上がった。


「午後十一時でしたね」


「はい」


「眠る前に、小田切さんと話をしても?」


「許可します」


奈緒が扉へ向かう。


「藤崎さん」


久世が呼び止めた。


「何ですか」


「昨夜、本当に怖かったですか」


奈緒は少しだけ振り返った。


「はい」


もう一度、嘘をついた。



三


小田切沙耶は、夢界管理病棟の共同休憩室で絵を描いていた。


黒い廊下。


白い扉。


口しかない巨大な教員。


以前なら、怪物は沙耶を追いかける姿で描かれていた。


今日の絵では、怪物は白い扉の前に座っている。


長い腕を床へ垂らし、背中を丸めていた。


「疲れているんですか」


奈緒が尋ねる。


沙耶は色鉛筆を置いた。


「最近、走るのが遅いの」


「先生が?」


「うん」


「夢の中で、何か言っていましたか」


「まだ走れるって」


「ほかには?」


「もう一人必要だって」


奈緒は沙耶の隣へ座った。


「何に、もう一人必要なの?」


「分からない」


沙耶は絵の怪物へ、黄色い色鉛筆で何かを描き加えた。


安全帽だった。


「先生がこれをかぶってたの?」


「知らない人がかぶってた」


「夢に、ほかの人が出てきた?」


「灰色の服の人」


奈緒はNCO-076-KRに関する資料を知らない。


第七整備通路も、議事堂地下の人影についても聞かされていなかった。


「その人は何をしていたの?」


「大きい人を起こそうとしてた」


「大きい人?」


沙耶は画用紙の隅に、黒い頭部を描いた。


人間に似た機械の顔。


両目は閉じている。


「でも、まだ呼ばれてないから起きちゃだめだって」


「誰が言ったの?」


「大きい人」


奈緒は絵を見つめた。


「その大きい人は、何を待っているの?」


「みんなが怖いって言うのを待ってる」


「怖いと起きるの?」


「分からない」


沙耶は新しい紙を取り出した。


「でも、昨日は大きい人も夢を見てた」


「どんな夢?」


「白い扉がいっぱいある夢」


奈緒は何も言えなかった。


沙耶が奈緒を見る。


「看護師さんの弟も、疲れてる?」


「どうしてそう思うの?」


「顔が少しずつなくなってるから」


奈緒の身体が固くなる。


「私の夢を見たの?」


「違うよ」


沙耶は自分の頭を指さした。


「私の先生が教えてくれたの」


「何て?」


「次は、みんなで走るって」


「いつ?」


沙耶は壁の時計を見た。


午後三時十七分。


「今夜」



四


午後十時五十分。


奈緒は夢界管理病棟第四睡眠室のベッドに横たわっていた。


頭部、胸部、両腕に観測機器が取り付けられている。


右手には緊急覚醒用の圧力端子。


左手首には、非言語刺激装置。


心拍、呼吸、脳波、体温、眼球運動、夢界深度が、隣接する管制室へ送信されている。


ガラスの向こうには久世、三枝玲子、医療職員、夢界技術員が待機していた。


クレイン博士は別の感染者の監視を担当しており、管制室にはいない。


「聞こえますか」


天井のスピーカーから久世の声がした。


「聞こえています」


「異常を感じた場合は、左手を二回握ってください」


「夢の中でもできますか」


「身体側に反応が出ます」


「できなかったら?」


「こちらで判断します」


「判断を間違えたら?」


スピーカーが短く沈黙した。


「そのときは、私が責任を負います」


奈緒は天井を見た。


「私が戻ってこなくても?」


久世は答えなかった。


奈緒は目を閉じた。


睡眠導入剤は使用されていない。


それでも、数分もしないうちに強い眠気が訪れた。


呼吸が遅くなる。


手足の感覚が薄れる。


最後に聞こえたのは、管制室の職員が読み上げる時刻だった。


「午後十一時四十八分。対象、レム睡眠へ移行」



五


奈緒は川岸に立っていた。


十六年前と同じ夏の日。


空には夕焼けが広がり、川の水面を赤く染めている。


少し離れた場所に、悠人の青い靴が置かれていた。


靴の隣には、白い扉が立っている。


壁も建物もない。


河原の中央に、扉だけが存在していた。


奈緒は扉から目をそらした。


「悠人」


返事はない。


いつもなら、川の中から水音が聞こえる。


濡れた足跡が河原へ現れ、弟が奈緒を追い始める。


今夜は何も起きなかった。


「悠人!」


奈緒は大きな声で呼んだ。


夕焼けが少しずつ暗くなる。


川の流れが止まる。


水面が平らになり、鏡のように空を映した。


白い扉の向こうから声が聞こえる。


「奈緒姉ちゃん」


奈緒は扉を見た。


「開けない」


「もう大丈夫だよ」


「あなたは悠人じゃない」


「知ってる」


扉の向こうの声が笑う。


「でも、奈緒姉ちゃんが聞きたい声は、これでしょう?」


奈緒は後退した。


その背中へ、冷たい手が触れた。


振り返る。


悠人が立っていた。


水死体の姿。


だが、身体の一部が失われている。


左手の指。


左耳。


頬。


右肩。


胸部の半分。


欠損部分に傷口はない。


そこに何かがあったと認識することすら難しい。


奈緒が視線を外すと、どこが消えていたのか思い出せなくなる。


「悠人」


怪物は奈緒を追わなかった。


立っているだけで、身体が少しずつ崩れていく。


白い粒子になるのではない。


暗闇へ消えるのでもない。


一口ずつ、存在しなかったことにされている。


くちゃ。


川の向こうから咀嚼音が聞こえた。


くちゃ。


悠人の右腕の一部が消える。


奈緒は怪物へ近づいた。


「逃げて」


悠人が言った。


「どこへ?」


「上へ」


「ここには、上へ行く場所なんてない」


「起きて」


「どうすればいい?」


悠人は残った腕を持ち上げようとした。


奈緒を傷つけ、恐怖によって覚醒させるために。


しかし、腕は途中から欠けている。


爪もない。


奈緒は、その姿を見ても恐怖を感じなかった。


「もう、私を怖がらせられないの?」


悠人の口から黒い水が流れた。


「怖がって」


奈緒は首を横に振った。


「無理よ」


「怖がれ」


「あなたが私を助けてくれたと知ってる」


「違う」


「毎晩、白い扉から遠ざけた」


「違う」


「私を起こしてくれた」


「違う!」


悠人の声が河原へ響いた。


川の水面に亀裂が走る。


鏡のようだった表面が割れ、その下から白い光が漏れる。


無数の白い扉が、水中に沈んでいた。


「俺を信じるな」


悠人が言った。


「どうして?」


「信じたら、怖がれない」


「怖がらなかったら、どうなるの?」


「お前を起こせない」


白い扉の取っ手が動いた。


奈緒は後退しようとした。


足が動かない。


河原の砂が白く変わり、足首を覆っている。


「今夜、何が起きるの」


悠人は川の向こうを見た。


咀嚼音が近づく。


「食べ終わる」


「何を?」


「ここを守るものを」


「あなたたちを?」


悠人は答えなかった。


白い扉が少し開く。


死ぬ前の悠人が、その向こうに立っている。


濡れていない。


傷もない。


青い半袖シャツ。


川へ遊びに行った日の姿。


「奈緒姉ちゃん」


優しい悠人が手を差し出した。


「今度は一緒に来て」


水死体の悠人が、その間へ入ろうとする。


咀嚼音。


左脚が消える。


怪物はその場へ倒れた。


奈緒は駆け寄り、身体を支えようとした。


触れることができない。


指先が、欠損した部分を通過する。


「悠人!」


「逃げろ」


「一緒に行こう」


「俺は起きられない」


「なら、私も残る」


怪物が奈緒を見た。


瞳のない顔。


それでも、怒っていると分かった。


「お前が残れば、ほかの夢とつながる」


「ほかの感染者?」


「それだけじゃない」


「では、誰と?」


悠人の口が動いた。


音が出る前に、喉が消失した。


くちゃ。


顔の下半分が欠ける。


奈緒は叫んだ。


怪物の残された右目に、初めて瞳が現れた。


人間だった頃の、悠人の目。


「怖がって」


声は聞こえなかった。


それでも、そう言ったのだと分かった。


奈緒は泣いていた。


だが、恐怖ではなかった。


弟を二度失う悲しみだった。


白い扉の向こうにいる悠人が、彼女の肩へ手を置いた。


暖かい。


「もう怖がらなくていい」


奈緒は振り返った。


優しい弟が笑っている。


「ずっと苦しかったでしょう?」


奈緒は答えなかった。


「もう、誰にも怖い夢を見せなくていいんだよ」


「みんなも?」


「うん」


「小田切さんも、ほかの患者も?」


「全員」


「伊吹さんも?」


「全員、起こしてあげる」


「本当に?」


「朝にしてあげる」


白い扉の向こうから、暖かい光が差している。


奈緒は扉の前に立った。


倒れたナイトメアが、残された指で地面を引っかく。


奈緒の足首へ届こうとしている。


だが、触れられない。


身体の大部分が失われている。


「ごめんね」


奈緒は怪物へ言った。


「今まで、ありがとう」


ナイトメアの右目が大きく開いた。


奈緒は白い扉の取っ手へ手をかけた。



六


現実側の管制室で、警報が鳴った。


「対象心拍数、低下!」


医療職員が叫ぶ。


「表情筋に変化。対象が微笑んでいます!」


久世は監視映像を見る。


奈緒はベッドの上で穏やかに眠っている。


白い扉へ到達した感染者と同じ表情。


「CRADLE-REDを開始!」


非言語覚醒刺激が作動する。


左手首への電気刺激。


強光。


冷水噴射。


筋肉刺激。


奈緒の身体は反応しない。


「夢界深度、上昇!」


「刺激を最大出力へ!」


「反応ありません!」


三枝が夢界潜入装置へ向かった。


「私が入ります」


久世が止める。


「接続経路が不安定です」


「このままでは扉を開けます!」


「分かっています!」


「なら、行かせてください!」


久世が返答するより先に、別の警報が加わった。


「第二睡眠室、感染者が睡眠状態へ移行!」


「睡眠予定ではありません!」


「第三、第五、第七睡眠室でもレム睡眠を確認!」


病棟内の監視映像が切り替わる。


読書をしていた患者が椅子の上で眠っている。


医療職員と話していた感染者が、その場へ倒れる。


食事中だった患者も、手にスプーンを持ったまま目を閉じている。


「全感染者が同時にレム睡眠へ移行しています!」


「時刻は」


「午後十一時五十分!」


久世は奈緒のベッドへ近づいた。


「名前で呼ばないでください!」


三枝が叫ぶ。


NCO-217-JP-Cは、呼びかけを通じて感染者の自己認識を固定する可能性がある。


久世は奈緒の名前を飲み込んだ。


代わりに、ベッド脇の金属柵を強く叩く。


反応はない。


奈緒の右手が動いた。


夢の中で扉を開くように、指がゆっくりと回転する。


「覚醒刺激、出力限界です!」


「夢界深度、測定不能!」


「MORPHEUS監視網に異常!」


世界各地の睡眠観測データが管制室へ流れ込む。


日本国内の複数地点。


韓国。


中国。


ロシア。


ヨーロッパ。


北米。


南米。


通常なら互いに無関係な人間の脳波が、同じ周期へ近づき始めている。


四・八秒。


すべての脳波が、同時に上下する。


サイト83の照明が消えた。


非常電源が作動する。


赤い照明の中で、病棟の患者たちが同時に微笑んだ。


地下保管区画では、電源へ接続されていない「ぐっすり!おやすみドリームシアター」が作動した。


映像内のわくわく博士は、笑っていなかった。


暗い画面の中央に立ち、何度も同じ言葉を繰り返している。


『起こして』


『みんなを起こして』


『夢が、一つになっちゃう』


職員が保管容器を確認したとき、博士の背後に白い扉が現れた。


扉が内側へ開く。


映像が消失した。


同じ瞬間、奈緒の心拍が一度だけ停止した。


夢の中で、白い扉が開いた。


扉の向こうには朝があった。


奈緒が一歩踏み出す。


その足元から、白い床が世界中へ広がっていく。


サイト83。


ソウル。


北京。


モスクワ。


ロンドン。


ニューヨーク。


まだ眠っている人間。


起きている人間。


夢を見ている者。


夢を忘れた者。


互いに会ったことのない何十億人もの足元に、同じ白い床が形成される。


世界中の夢の中へ、一枚ずつ扉が現れた。


扉の向こうから、それぞれが最も信頼する人物の声が聞こえる。


「もう怖がらなくていい」


奈緒は白い部屋の中央に立っていた。


周囲には、数え切れないほどの扉が並んでいる。


扉の数は、今も増え続けていた。


彼女の背後で、何かが最後のナイトメアを噛み砕いた。


くちゃ。


咀嚼音が止まる。


世界から、悪夢が消えた。



――Tale-04『朝を鳴らせ』

第一章『悪夢が消えた夜』終了

次回予告



『朝を鳴らせ』



第二章 世界が眠り始める


11月1日21時投稿予定

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