Tale-03『未登録国家規格』
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NCO-076-KR関連Tale-03
『未登録国家規格』
一
東雲重工業株式会社には、存在しないはずの製品を調査する部署がある。
正式名称は、技術資産管理本部・未登録規格調査室。
社内では「規格外調査室」と呼ばれていた。
異常技術、未確認生物、現実改変設備、信仰によって作動する機械、存在しない法則を利用した兵器。それらを発見し、構造を解析し、将来的に工業製品として扱えるか判断する。
危険であっても、理解できるものなら規格化する。
理解できなくても、再現できるなら製造する。
再現できなくても、利益を生むなら利用する。
それが東雲重工業の考え方だった。
しかし、規格外調査室にはもう一つの役割がある。
製品化できないものを見分けること。
そして、決して触れてはならないものから、会社を遠ざけることだった。
真壁征司が韓国へ到着したのは、二月初旬の深夜だった。
肩書は規格外調査室・第三調査主任。四十六歳。東雲重工業で二十二年間勤務し、そのうち十五年を異常技術関連の現場で過ごしていた。
表向きの入国目的は、地下鉄設備の耐震調査。
実際の目的は、大韓民国国会議事堂地下に存在するとされる巨大人型構造物の調査だった。
ソウル市内にある東雲重工業の関連会社。その地下会議室に、三名の調査員が集められていた。
真壁のほかには、異常通信技術を専門とするキム・ジユン技師と、構造解析担当の瀬尾直人がいる。
机の上には、国会議事堂周辺の地質図と、東雲重工業が独自に収集したMDEの観測資料が並べられていた。
瀬尾が資料をめくりながら言った。
「推定全高六十メートル前後。地下格納庫は通常空間と重複して存在。建造主体不明。動力源不明。制御方式不明。どこを見ても、分からないことしか書いてありませんね」
「分からないから我々が来た」
真壁は答えた。
「分かっているなら、営業部か製造部が来る」
ジユンは端末に表示された議事堂の断面図を拡大した。
「MDEは対象をNCO-076-KR-Bと呼んでいます。都市伝説と国民の集合意識を利用し、自らを建造しているというのが現在の仮説です」
瀬尾が笑った。
「国民全員が無償の設計者ですか。人件費がかからなくていい」
「その冗談は記録から消しておけ」
真壁が言った。
瀬尾の笑みが消える。
真壁は資料の最後に添付されていた写真を取り出した。
国会議事堂のドームから、巨大な機械の頭部が上昇している。
一般のカメラには残らなかった映像だ。東雲重工業がどのようにMDEの耐改変記録を入手したのか、現場要員には知らされていない。
「今回の目的を確認する」
真壁は二人を見た。
「対象の奪取ではない。部品の回収でもない。製造技術の取得でもない」
瀬尾がわずかに眉を上げた。
「調査室が技術を取りに行かないんですか」
「指示書を読め」
瀬尾は端末上の指示書を開いた。
最優先調査項目は一つだけだった。
NCO-076-KR-B完成時における、東雲重工業株式会社への敵性判定可能性。
「対象は国家の敵を排除する」
真壁が続ける。
「我々は世界各地で活動している。施設の隠蔽、政府機関への浸透、異常技術の無許可取得、軍事転用可能な設備の製造。一般市民が詳細を知れば、好意的に受け取るとは考えにくい」
「つまり、巨大ロボットが起きたときに、うちを殴りに来るか調べる」
瀬尾が言った。
「そういうことだ」
「もし来ると分かったら?」
真壁は迷わず答えた。
「逃げる」
二
東雲重工業は、国会議事堂地下へ直接侵入しようとはしなかった。
通常の掘削では、NCO-076-KR-Aへ到達できないことが判明していたからだ。既存の岩盤を掘り進めても、格納庫と同じ座標を通過するだけで、内部へ入ることはできない。
そこで調査班は、通常空間と異常空間の境界を一時的に接続する装置を使用した。
東雲重工業製・位相穿孔観測機、試作三型。
本来は、現実改変によって隔離された建造物や、空間的に切り離された施設を外部から観測するために開発された機材だった。
重量は約六百キログラム。
起動には独立型電源と現実固定装置を必要とする。
最大観測時間は百八十秒。
それ以上の接続は、観測対象側からこちらを認識される危険がある。
装置は国会議事堂から約一・六キロメートル離れた、閉鎖済みの地下駐車場に設置された。地上部分は東雲重工業の関連会社が取得しており、外部からは資材保管庫として扱われている。
午前二時四十分。
装置の最終確認が始まった。
ジユンが制御卓の前に座り、複数の波形を確認している。
「MDEの監視網に反応は」
真壁が尋ねた。
「現時点ではありません。現実安定度の変化は地下鉄工事による測定誤差として処理される範囲です」
「接続後は」
「二十秒以内に検出される可能性があります」
「撤収準備に九十秒。残り七十秒でデータを取得する」
瀬尾が観測機の固定具を締めながら言った。
「随分と慎重ですね。最大観測時間は百八十秒でしょう」
「最大値は安全値ではない」
「仕様書には安全稼働時間と書いてあります」
「仕様書を書いた人間は、実際に百八十秒間使ったのか」
瀬尾は黙った。
真壁は腕時計を確認した。
「開始しろ」
ジユンが起動キーを押す。
低い駆動音とともに、位相穿孔観測機の中央部が回転を始めた。円形に配置された金属環が異なる方向へ動き、空間の一点へ光を集中させる。
駐車場のコンクリート壁に、黒い染みが現れた。
染みはゆっくりと拡大し、直径約二メートルの円形となる。
壁に穴が開いたのではない。
円の内部だけが、別の場所へ置き換わっている。
その向こうに、巨大な空間が見えた。
光の届かない格納庫。
天井も壁も見えない。
はるか遠くに、一本の脚が立っていた。
人型機械の右脚。
観測範囲だけでも高さ二十メートルを超えている。黒灰色の装甲板で覆われ、膝関節付近には何層もの可動構造が確認できた。
瀬尾が息を呑んだ。
「本当にいた」
「解析を開始しろ」
真壁の声で、二人が作業へ戻る。
複数の観測機器が、異常空間内の構造を測定する。
ジユンが数値を読み上げた。
「内部温度十四度。大気組成は通常空間とほぼ一致。微弱な電磁波を検出。重力方向は正常です」
「材質は」
「表面装甲から反射波が返りません。吸収されているというより、測定そのものを拒否されています」
瀬尾が別の画面を確認する。
「右脚だけでも、少なくとも十二種類の構造思想が混在しています。航空機、戦車、産業用重機、人間の骨格……いや、違う。設計した後で部品を組み合わせたんじゃない」
「どういう意味だ」
「必要な動きを先に決めて、その動きが可能になるよう物質が生えている」
瀬尾は画面を拡大した。
装甲板と内部骨格の境界が存在しない。
ボルトも溶接痕もない。
複数の異なる材質が、一本の骨が成長したように連続している。
「これは機械じゃない」
瀬尾が呟く。
「少なくとも、工場で作られる機械じゃない」
そのとき、格納庫内に光が生まれた。
巨大機体の足元に、白い線が浮かび上がる。
線は床を走り、複雑な図形を描いた。
それは製造図面だった。
真壁たちの前で、新しい部品の輪郭が形成されていく。
「記録しろ」
床面から黒い物質が盛り上がった。
液体にも金属にも見える物質が、設計図に沿って形を変える。
数秒後、一枚の装甲板が完成した。
長さ約五メートル。
表面には複数の層があり、内部には網目状の衝撃分散構造が確認できる。
瀬尾が解析を走らせる。
「装甲構造は……東雲製の四八式複合防壁に類似」
真壁が彼を見る。
「類似ではないのか」
「基本思想が同じです。ただし、こちらの方が進んでいる。四八式の欠点だった層間剥離が、最初から発生しない構造になっている」
「なぜ、東雲の技術が出てくる」
誰も答えなかった。
観測開始から三十二秒。
予定していたMDEの検出時間を超えている。
それでも真壁は中止を命じなかった。
格納庫内部で、別の図面が形成され始めていた。
三
二つ目に出現した部品は、センサーだった。
東雲重工業が撤退時に使用する認識阻害装置の周波数を検出し、無効化するための構造が組み込まれていた。
三つ目は、小型の飛翔体。
東雲製無人回収機より高速で飛行し、同社の暗号通信を追跡する機能を持つと推定された。
四つ目は、人間を殺傷せずに拘束するための広域電磁装置。
東雲重工業の職員が使用する義肢、通信端末、保護服だけを選択的に停止させるよう設計されていた。
瀬尾の顔から血の気が引いていた。
「こいつ、俺たちを想定して装備を作っている」
「接続を切れ」
真壁が命じた。
ジユンが停止操作を行う。
だが、黒い円は消えなかった。
「切断できません」
「緊急停止」
「反応なし。向こう側から接続を固定されています」
格納庫内部に、新しい音が響く。
ドン。
巨大機体の右脚が動いた。
足の位置が、数センチだけ変わった。
しかし、そのわずかな動きだけで格納庫全体が震え、足元の床に細い亀裂が広がった。
機体は一歩を踏み出したのではない。
重心を変えた。
こちらを向くために。
「観測機を破壊する」
真壁が言った。
瀬尾が振り返る。
「待ってください。まだデータ転送が終わっていません」
「中止だ」
「あと四十秒あれば、内部構造の半分まで――」
「瀬尾」
真壁の低い声に、瀬尾は言葉を止めた。
「対象は我々を観測している。データを捨てろ」
「この装置だけでいくらすると思っているんです」
「会社の金だ。お前の金ではない」
「ですが、これだけの技術を――」
真壁は腰の保安装備を抜き、位相穿孔観測機の制御部へ向けた。
「技術じゃない」
圧縮衝撃弾を発射する。
制御卓が砕け、火花が散った。
それでも黒い円は消えない。
向こう側で、巨大機体の脚がさらに動く。
今度は、膝から上が見え始めた。
装甲の隙間に、白い文字が並んでいる。
東雲重工業株式会社。
社名が何百回も繰り返し刻まれていた。
「これは世論に手足が生えただけだ」
真壁は二発目を撃った。
電源部が破裂し、駐車場の照明が消える。
非常灯だけが赤く点灯した。
だが、位相接続は維持されている。
ジユンが叫ぶ。
「外部電源なしで接続が継続しています!」
黒い円の向こう側で、何かが降りてきた。
巨大な手だった。
五本の指がゆっくりと開き、観測窓の前へ近づく。
手のひらには、複雑な紋様が刻まれている。
ジユンが息を呑んだ。
「社章です」
東雲重工業の社章。
ただし、通常の向きではない。
上下が反転している。
「製造者表示ではありません」
ジユンが画面に残された最後の解析結果を見た。
「これは……敵味方識別用の標識です」
瀬尾が後退する。
「俺たちを敵と認識した?」
「まだ候補です」
「何が違う」
「攻撃するかどうか、決めていない」
巨大な指先が、位相接続面へ触れた。
黒い円の表面に波紋が広がる。
駐車場側の空気が震えた。
三人の通信端末が同時に起動する。
画面に一つの質問が表示された。
なぜ隠れる。
真壁は端末を床へ投げた。
「撤収する。装備はすべて放棄」
「データ媒体は」
「置いていけ」
「持ち出せます」
「向こうはデータを追跡している。持ち出すな」
真壁は緊急焼却装置を作動させた。
観測機に組み込まれていた焼夷剤が点火し、記録媒体と内部回路を高熱で焼き始める。
巨大な手が、黒い円の向こう側から停止させようとする。
接続面を越えることはできない。
だが、端末に次の文章が表示された。
なぜ逃げる。
真壁は誰に答えるでもなく言った。
「利益にならないからだ」
画面の文章が変わる。
国家は利益か。
真壁は足を止めなかった。
三人は機材を残し、地下駐車場の出口へ向かう。
背後で金属の破壊音が響いた。
振り返ると、巨大な指の一本が接続面を越えかけていた。
指先だけで直径二メートル近い。
接続面の周囲にあるコンクリート壁が、現実の圧力に耐えられずひび割れていく。
「走れ!」
真壁が叫んだ。
三人は階段へ向かって走った。
背後から、機械音声が追ってきた。
「利益のために隠れる者」
一段飛ばしで階段を上る。
「利益のために奪う者」
地上出口が見える。
「利益のために国家を売る者」
真壁は最後に階段を上がり、緊急閉鎖装置を作動させた。
地下駐車場の防爆扉が閉じる。
閉鎖直前、黒い円から巨大な眼が覗いていた。
「敵性対象候補」
防爆扉が閉じた。
直後、地下から強い衝撃が発生した。
地面が持ち上がり、駐車場入口の窓ガラスが一斉に割れる。
三人は地面へ倒れた。
衝撃は一度だけだった。
数秒後、すべての音が止んだ。
四
撤収は、東雲重工業の基準どおりに進められた。
関連会社の従業員は、真壁たちが地上へ出る前に避難を開始していた。
紙資料は溶解処理。
通信設備は物理的に破壊。
建物内の監視記録は削除。
地下駐車場に残された機材については、回収を断念した。
爆発から七分後、三台の車両が別々の方向へ出発した。
真壁はジユンと同じ車に乗っていた。
瀬尾は別車両で、医療担当者とともに移動している。
車内でジユンが暗号通信端末を操作した。
「MDEが動きました。サイト76から複数の車両が出ています」
「接触まで」
「推定九分」
「十分だ」
真壁は後部座席から、遠くに見える国会議事堂のドームを確認した。
外観に異常はない。
静かな夜空の下で、何事もなかったかのように閉じている。
「持ち出したものはないな」
「はい」
「個人端末も確認しろ」
「すでに初期化しました」
真壁は自分の上着を調べた。
胸ポケットに、硬い感触がある。
取り出すと、薄い金属板だった。
地下駐車場では拾っていない。
表面には、東雲重工業の社章と、製品識別番号に似た文字列が刻まれている。
ジユンがそれを見た。
「どこから?」
「分からない」
真壁は車内の密閉容器へ金属板を入れた。
携帯解析機を接続する。
数秒後、結果が表示された。
製品名――未登録。
製造者――該当なし。
使用目的――敵性組織識別。
状態――配布済み。
「配布済み?」
ジユンが呟いた。
「誰に配布したんです」
真壁は答えず、車内通信でほかの二台へ連絡した。
「全員、衣服と装備を確認しろ。見覚えのない金属板がないか」
しばらくして返答があった。
全車両で確認。
参加者十八名全員が、同じ金属板を所持していた。
誰も入手した記憶を持っていない。
さらに、避難済みの関連会社従業員四十二名からも発見された。
地下での作戦を知らない事務員。
数日前に雇用された清掃員。
たまたま建物を訪れていた運送業者。
東雲重工業と契約関係を持つ人間すべてに、金属板が配布されていた。
「処分しますか」
ジユンが尋ねた。
真壁は密閉容器の中にある金属板を見た。
「複製できるか」
「できます。ただし、複製した場合に何が起きるかは分かりません」
「原本だけ保管。ほかは回収後、隔離する」
「破壊しないんですか」
「破壊すれば、標識が外れる保証はない。こちらが持っている方が、所在を把握できる」
ジユンはうなずいた。
数分後、彼女は別の報告を受信した。
「主任」
「何だ」
「韓国国内にある東雲系列施設から、同様の金属板が見つかったと連絡が」
「人数は」
「現在確認中です」
「概算でいい」
ジユンは数秒間、表示された数字を見つめた。
「二千人を超えています」
真壁は目を閉じた。
あれは、接続した三人だけを見ていたわけではない。
観測機を通じて、東雲重工業という組織そのものを知った。
企業名、施設、従業員、技術、行動履歴。
それらを一つの対象として登録した。
敵性対象候補。
まだ敵ではない。
だが、候補から外れたわけでもない。
「本社へ最高優先度で報告」
真壁は言った。
「件名は」
ジユンが尋ねる。
真壁は国会議事堂のドームを見た。
「未登録国家規格」
「内容は」
「韓国国内における全活動の見直し。軍事転用可能な設備の撤去。政府機関への非公式接触を凍結。現地住民への被害が予測される計画はすべて中止」
ジユンが驚いたように顔を上げた。
「そこまでしますか」
「対象は国民の認識から敵を選ぶ」
「ですが、一般市民は東雲重工業の活動を知りません」
「今はな」
真壁は短く答えた。
「知られたときでは遅い」
五
同日午前三時十八分。
MDE韓国支部の回収班が、地下駐車場へ到着した。
現場に東雲重工業の人員は残っていなかった。
位相穿孔観測機は内部から焼却され、主要記録媒体も完全に破壊されていた。機材の識別番号、企業刻印、製造元を示す部品は取り外されている。
通常であれば、運用主体の特定は困難だった。
しかし、駐車場の床には巨大な文字が刻まれていた。
東雲重工業株式会社。
文字列は何百回も重なり、床一面を埋め尽くしている。
回収班は中央部で、黒く変色した接続面を発見した。
接続面はすでに閉じていた。
その前に、一枚の金属板が置かれている。
表面には東雲重工業の社章。
裏面には、MDEの紋章が刻まれていた。
現場指揮官は、金属板へ触れずにサイト76へ報告した。
「対象は、我々も識別している可能性があります」
通信の向こうで、ハン・ソヨン主任研究員が尋ねる。
『東雲重工業が何をしたか、推定できますか』
「異常空間への観測を試みたと思われます。何らかの理由で緊急撤収しています」
『機材を残して?』
「はい」
通信が短く沈黙した。
東雲重工業が人員と技術を優先して撤収することは、MDEも把握している。しかし、回収可能な異常技術を自ら焼却し、観測データまで放棄する例は少ない。
『地下の実体化率は』
「現在四十七%。約三時間前から二ポイント上昇しています」
『NCO-076-KR-Bに構造変化は』
「新規部品が確認されています」
『どのような部品ですか』
現場指揮官は携帯端末の解析結果を確認した。
「企業施設、地下拠点、偽装会社、暗号通信網を捜索するための装備と推定されます」
『東雲重工業を探すためのもの?』
「それだけではありません」
指揮官は床に置かれた金属板を見た。
「MDE施設の識別機能も含まれています」
『回収班は現場から退避してください』
「しかし、機材の回収がまだ――」
『東雲重工業が何も持ち帰らなかった理由を考えてください』
現場指揮官は一瞬黙った。
『直ちに退避。現場は遠隔封鎖します』
「了解」
回収班が駐車場を離れ始める。
最後の職員が出口へ向かったとき、焼却された位相穿孔観測機の内部から音声が再生された。
電源は存在しない。
スピーカーも溶けている。
それでも声は明瞭だった。
「隠れる者が多い」
職員は振り返らなかった。
「何から隠れている」
防爆扉が閉じる。
「国民からか」
扉の向こうで、巨大な何かが一度だけ壁を叩いた。
六
東雲重工業本社に、真壁の報告書が届いた。
会議は三十七分で終了した。
韓国国内の全拠点を放棄する案。
活動規模だけを縮小する案。
NCO-076-KR-Bに関する情報を操作し、自社への敵性認識を低下させる案。
MDEへ匿名で情報を提供し、共同管理に近い状態を作る案。
複数の案が提示され、否決された。
最終的に採用されたのは、現地活動の大幅縮小と、国民生活へ直接影響する事業の透明化だった。
異常技術部門の施設は撤収。
兵器研究設備は解体。
韓国国内で行われていた非合法な人体実験は即日中止。
被験者は記憶処理後に解放され、治療費と生活補償が匿名で支払われた。
政府関係者への非公式な資金提供も停止された。
表向きには、企業倫理方針の見直しと事業再編として発表された。
東雲重工業が良心に目覚めたわけではない。
NCO-076-KR-Bの攻撃対象から外れるためだった。
数か月後、韓国国内の東雲重工業関係者から発見されていた金属板に変化が起きた。
「敵性対象候補」と解釈されていた刻印が消えた。
代わりに、以下の文章が現れた。
観察継続。
真壁はそれを見て、安心しなかった。
敵性指定が解除されたのではない。
判断が延期されただけだ。
彼は最終報告書に、簡潔な結論を記した。
対象は技術資産として評価できない。
対象の構造を取得、模倣または製品化してはならない。
NCO-076-KR-Bは、国家防衛用巨大人型兵器ではない。
当該存在は、国民の集合的認識を審査基準とする自律的敵性判定機構である。
その審査対象には企業、政府、軍、超常組織および国際異常研究機構が含まれる。
東雲重工業株式会社は、対象を制御する方法を研究してはならない。
対象に制御しようとしていると認識されるためである。
提出前、真壁は報告書の末尾へ一文を加えた。
本件における最大の技術的成果は、撤退判断が間に合ったことである。
七
それから一年後。
真壁は日本国内にある東雲重工業の研究施設で、別の異常設備に関する会議へ出席していた。
会議終了後、無人の廊下を歩いていると、壁面の案内表示が一瞬だけ消えた。
通常なら、施設内の部署名と避難経路が表示される画面。
そこへ国会議事堂のドームが映った。
真壁は立ち止まった。
ドームの中央に八本の線が走る。
ゆっくりと内側へ開いていく。
暗い穴の中から、巨大な頭部が上昇した。
以前、地下駐車場から見たものと同じ機体。
ただし、頭部の形状がわずかに変わっている。
額の中央に、東雲重工業の認識阻害装置を無効化するためのセンサーが追加されていた。
「まだ作っているのか」
真壁が呟いた。
画面の中に文字が現れる。
お前たちも作っている。
「我々は手を引いた」
手を引くための技術を作った。
「必要だった」
必要は設計図になる。
「何が言いたい」
画面が切り替わった。
世界各地に存在する東雲重工業の研究施設が映し出される。
地下工場。
海上施設。
山中の試験場。
地図に存在しない建造物。
そのすべてで、職員が異常技術を研究し、兵器を製造し、撤収装置を整備している。
我々は国家を守るために作られた。
お前たちは何を守るために作る。
真壁は答えなかった。
利益。
会社。
従業員。
技術。
未来。
どれも間違いではない。
だが、画面の向こうにいる存在が求めているのは、企業理念ではなかった。
「我々は、生き残るために作る」
真壁は答えた。
画面に次の質問が現れる。
何から。
真壁はしばらく考えた。
「お前のようなものからだ」
巨大機体の両眼に淡い光が灯った。
敵性対象への発言を確認。
廊下の照明が赤く変わった。
警報は鳴らない。
真壁は画面を見つめたまま、続けた。
「だが、だからといって、お前が敵だと決めたわけではない」
判定の矛盾を確認。
「矛盾していて構わない。人間も組織も、いつも一つの答えだけで動くわけじゃない」
国家防衛に矛盾は不要。
「国家が一つの考えしか持たなくなったら、それはもう国家じゃない」
長い沈黙。
画面の中で、巨大機体がわずかに顔を下げた。
学習項目として保存する。
「勝手にしろ」
真壁は歩き出そうとした。
その背後で、画面に新たな文章が表示される。
東雲重工業株式会社。
敵性判定――保留。
真壁は足を止めなかった。
「保留で結構」
画面の映像が消え、通常の施設案内へ戻った。
廊下の照明も白色になる。
真壁は自分の執務室へ戻り、韓国で回収された金属板を保管庫から取り出した。
表面には東雲重工業の社章。
裏面には、これまで存在しなかった文字が刻まれていた。
未登録国家規格・試験協力企業。
真壁は数秒間それを眺めた後、耐熱容器へ放り込んだ。
焼却装置を作動させる。
金属板は赤熱したが、溶けなかった。
代わりに刻印だけが変化した。
試験協力拒否を確認。
再要請予定。
真壁は焼却装置を停止した。
「しつこいな」
誰もいない執務室で呟く。
机の上の内線電話が鳴った。
受話器を取ると、規格外調査室の部下からだった。
『主任、韓国支部に残していた無人観測機から緊急報告です』
「内容は」
『NCO-076-KR-Bの実体化率が上昇しています』
「数値は」
『八十七%』
真壁の表情が変わった。
『国会議事堂のドームに、物理的な亀裂が発生。MDEが周辺の封鎖準備を開始しています』
「原因は」
『複数の危機が重なっています。政治混乱、軍事的緊張、大規模停電。情報網では虚偽情報が急速に拡散中』
真壁は耐熱容器の中にある金属板を見た。
表面へ、新たな文字が現れていた。
観察終了。
敵性対象選定を開始する。
「韓国国内の全社員を退避させろ」
『現地施設の一部に重要資料が残されています』
「放棄しろ」
『回収班を出せば間に合います』
「人間だけを逃がせ。設備も資料も金も置いていけ」
『しかし――』
「完成したら、国境は防壁にならない」
電話の向こうが沈黙する。
「急げ。ドームが開く」
真壁が通信を切った直後、金属板に最後の文章が刻まれた。
東雲重工業株式会社。
攻撃対象選定中。
その文字を見つめながら、真壁は理解した。
地下で観測した巨大な手。
東雲重工業の技術を無効化するために作られた装備。
企業の施設と職員へ配布された敵性識別標識。
あのとき、彼らは逃げ切ったのではない。
出撃が始まるまでの猶予を与えられただけだった。
遠く離れた韓国で、国会議事堂のドームに八本目の亀裂が走った。
――Tale-03『未登録国家規格』終了
次回予告
Tale-04『ドームが開く日』
10月24日21時投稿予定




