Tale 2「十二月まで」
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あと、三百六十四日。
██研究員は、その数字を端末の隅に入力した。
十二月六日。
昨日、NCO-122は彼に向かって言った。
「では、十二月に。」
それだけだった。
誰を指しているのかは、考えるまでもなかった。
観察室の端末に表示された写真。
七歳になる、自分の娘。
その夜から、██研究員にとって一年は「十二月までの残り時間」になった。
*
三月。
「お父さん、見て!」
娘が学校から持ち帰ったテストを掲げた。
百点だった。
「すごいな」
「でしょ?」
「頑張ったな」
娘は嬉しそうに笑った。
その顔を見ながら、██研究員は別のことを考えていた。
あと、二百七十五日。
「お父さん?」
「ん?」
「聞いてる?」
「ああ。聞いてるよ」
「じゃあ褒めて」
██研究員は笑って、娘の頭を撫でた。
「よく頑張りました」
娘は満足そうに笑った。
その瞬間だけは、数字を忘れられた。
*
七月。
家族三人で湖へ出かけた。
娘は水辺で遊び、妻は写真を何枚も撮った。
「あなたも入りなさいよ」
「俺はいい」
「また仕事?」
「違うよ」
██研究員は笑った。
娘が遠くから手を振っている。
「お父さーん!」
手を振り返した。
妻がその横顔を見る。
「……まだ気にしてる?」
██研究員は答えなかった。
「十二月のこと」
「…………」
「MDEが守ってくれるんでしょう?」
「守る」
「なら――」
「守るよ」
少し強い口調になった。
妻が黙る。
「……絶対に」
自分自身へ言い聞かせるように、もう一度呟いた。
あと、百五十七日。
*
十月。
娘の八歳の誕生日。
ケーキの蝋燭を吹き消した娘へ、██研究員は大きな箱を渡した。
「なにこれ!」
「開けてみろ」
中には、娘がずっと欲しがっていた玩具が入っていた。
「お父さん、大好き!」
娘が抱きついてくる。
「お父さんもだよ」
強く抱きしめた。
「痛いよ」
「あ……悪い」
「変なお父さん」
娘は笑った。
██研究員も笑った。
だが、娘を離したくなかった。
あと、五十三日。
*
十一月三十日。
夕食の途中だった。
「ねえ、お父さん」
「ん?」
「私、今年いい子だった?」
フォークが止まった。
妻も動きを止めた。
「……どうして?」
「学校でクリスマスの話したから」
「そうか」
「いい子にはプレゼントが来るんでしょ?」
「まあ……そうだな」
「じゃあ私、いい子だった?」
答えられなかった。
娘が不思議そうに見ている。
「お父さん?」
「…………」
何を基準にしている?
嘘をついたことか。
友達と喧嘩したことか。
親に反抗したことか。
宿題を忘れたことか。
それとも。
そんなものは最初から関係ないのか。
「お父さん?」
██研究員は娘を見る。
八歳の子供だった。
泣くこともある。
怒ることもある。
嘘をつくことだってある。
それでも。
「……いい子だよ」
娘が笑った。
「ほんと?」
「ああ」
「よかった」
██研究員も笑った。
「お父さんにとってはな」
あと、五日。
*
十二月五日。
午後五時四十分。
██研究員一家は、MDE管理下の安全施設へ移送された。
地上三階、地下二階。
窓なし。
出入口は一か所。
機動部隊二個班が周辺を警備。
外部通信遮断。
内部監視装置十二基。
異常存在侵入対策。
空間転移対策。
認識災害対策。
MDEが用意できる対策は、ほぼすべて投入された。
「すごいね」
娘は廊下を歩きながら周囲を見回していた。
「秘密基地みたい」
「そうだな」
「今日ここに泊まるの?」
「ああ」
「なんで?」
██研究員は答えに詰まった。
「……お父さんの仕事だ」
「また?」
「今日だけだ」
「ほんと?」
「ああ」
娘が手を差し出した。
██研究員はその手を握る。
「じゃあ約束」
「何を?」
「明日はおうちに帰る」
「…………」
「約束して」
██研究員は娘の小さな手を握り返した。
「ああ」
そして言った。
「約束する」
*
午後十一時四十分。
異常なし。
██研究員は監視室にいた。
モニターには娘の寝室が映っている。
娘はまだ起きていた。
ベッドの中で絵本を読んでいる。
「残り二十分」
隣にいた職員が言った。
「十二月六日になれば、本当に終わるのか?」
「過去の出現記録では、すべて十二月五日の日没から六日の日出までです」
「日付が変わっても終わらないじゃないか」
「……そうですね」
「余計なこと言うな」
「すみません」
時計を見る。
23時43分。
あと十七分。
23時46分。
あと十四分。
23時49分。
██研究員は無意識に指を組んでいた。
祈っていることに気付き、すぐにやめた。
誰に祈っている?
神か。
MDEか。
それとも。
あの袋の中にいる「方々」か。
*
23時51分。
娘が絵本を閉じた。
監視カメラを見る。
まるで、その向こうに父親がいると分かっているようだった。
そして小さく手を振った。
██研究員も、モニターへ手を振った。
見えるはずはない。
それでも娘は笑った。
時計が進む。
23時51分30秒。
31秒。
32秒。
「異常なし」
監視担当者が報告する。
40秒。
「空間変動なし」
45秒。
「外周異常なし」
50秒。
██研究員はモニターから目を離さなかった。
55秒。
56秒。
57秒。
娘が突然、寝室の入口を見た。
「……何だ?」
██研究員が身を乗り出す。
58秒。
娘がベッドから身体を起こした。
59秒。
時計が切り替わる。
23時52分00秒。
監視映像が乱れた。
0.8秒。
それだけだった。
映像が復帰する。
██研究員は立ち上がった。
「…………」
誰も喋らなかった。
施錠された寝室。
MDEの安全施設。
その中央に。
黒褐色の外套を着た大男が立っていた。
娘が男を見上げる。
「……だれ?」
██研究員は監視室を飛び出そうとした。
「研究員!」
「離せ!」
「待ってください!」
「娘がいるんだぞ!」
職員二人が██研究員を押さえる。
モニターの向こうで、NCO-122が娘へ近づいた。
あと三百六十四日。
あと二百七十五日。
あと百五十七日。
あと五十三日。
あと五日。
あと一分。
██研究員は一年間、ずっと数えていた。
それなのに。
その瞬間になって初めて気付いた。
自分は十二月五日までの日数ばかり数えていた。
十二月五日の後に何があるのか。
考えないようにしていただけだった。
NCO-122が娘の前で止まる。
そして、いつもの言葉を口にした。
「今年は、よい子でしたか?」
██研究員の叫び声が監視室に響いた。
《Tale End》
次回予告
Tale 3「返却先」
10月20日21時投稿予定




