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異常世界の歩き方 MDE(国際異常研究機構)  作者: 神代千早


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Tale 1「いい子にするから」

毎日21時投稿

金土日18時、21時、2本投稿予定

この章は5分ぐらいで読めます

よかったらコメント感想など聞かせてください

Tale 1「いい子にするから」



 朝になっても、エマは消えていなかった。


 目を開けると、自分の部屋だった。机の上には昨日やりかけた宿題があり、椅子には学校へ着ていく服が掛かっている。枕元には、母から誕生日にもらったクマのぬいぐるみもあった。


 全部、昨日までと同じだった。


 だからエマは、少しだけ安心した。


 昨夜のことは夢だったのかもしれない。


 黒い服を着た大きな男。顔を隠す長い髭。背中に背負った、大きな麻袋。


 そして、あの質問。


「今年は、よい子でしたか?」


 エマは「はい」と答えた。


 男はしばらく彼女を見つめ、それから首を横に振った。


「今年も、だめでしたね」


 怖くなって謝った。


 でも男は、


「私に謝る必要はありません」


 そう言った。


 そして最後に、


「では、返してもらいます」


 そう告げて消えた。


 それだけだった。


 身体はどこも痛くない。怪我もない。何も取られていない。


「……やっぱり夢だったんだ」


 そう呟いて、エマはベッドから降りた。



*



「お母さん、おはよう」


「おはよう」


 母はいつも通りキッチンに立っていた。父は新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。


 いつもの朝だった。


「エマ、パンでいい?」


「うん」


 母が食器棚を開ける。そして、手を止めた。


「あれ?」


「どうしたの?」


「このコップ……こんなの、うちにあったっけ?」


 母が持っているのは赤い花柄のマグカップだった。エマが毎朝使っているものだ。


「何言ってるの、お母さん。それ私のだよ」


「ああ……そうだったわね」


 母も笑った。


「ごめん。寝ぼけてるみたい」


 それだけだった。


 エマは気にしなかった。



*



 学校へ着くと、少し変なことがあった。


「名前は?」


 担任が聞いた。


 エマは冗談だと思った。


「エマです」


「エマ……?」


「先生?」


 担任は出席簿を見た。何度かページを確認する。


「おかしいな」


「何が?」


「君、何組だった?」


 教室が静かになった。


 クラスメイトたちがエマを見ている。


「先生、何言ってるの?」


 エマは笑おうとした。


「私、このクラスだよ」


「……そうだったかな」


 エマは後ろの席に座っていた親友を見る。


「リナ」


「…………」


「ねえ」


 リナは困ったような顔をした。


「ごめん」


「何が?」


「どこかで会ったことあったっけ?」


 その瞬間。


 エマは昨夜の男を思い出した。


「では、返してもらいます」



*



 走って家へ帰った。


「お母さん!」


 玄関を開けると、母がリビングから顔を出した。


「エマ?」


 名前を呼んでくれた。


 それだけで涙が出た。


「お母さん!」


「どうしたの?」


 エマは母に抱きついた。


「よかった……」


「何が?」


「私のこと分かる?」


「当たり前でしょう?」


 母が笑う。


「あなたは私の――」


 そこで止まった。


「…………」


「お母さん?」


 母の腕から力が抜ける。


「……あなた」


「何?」


「どうして……」


 母が一歩離れた。


 その顔から、笑顔が消えていた。


「どうして私のこと、お母さんって呼んでるの?」


「…………え?」


 エマは動けなかった。



*



 午後八時十四分。


 父親が警察へ電話した。


 知らない少女が家に入り込んでいる。自分たちを両親だと主張している。


 そう説明していた。


「違うよ!」


 エマは泣きながら叫んだ。


「私だよ! 私、エマだよ!」


 父は彼女を、知らない人を見る目で見ていた。


「……すまない」


「昨日、一緒にご飯食べたじゃん!」


「…………」


「お父さん!」


 父は何も答えなかった。


 母は怯えていた。


 自分の母親が、自分を怖がっている。


 それが一番つらかった。


「ごめんなさい」


 エマは泣いた。


「ごめんなさい……いい子にするから」


 何に謝っているのか、自分でも分からなかった。


「もう嘘つかないから。リナとも喧嘩しない。宿題もちゃんとする。お母さんのお手伝いもする」


 でも、もう遅かった。


「だから……」


 エマは母の服を掴もうとした。


 母は一歩後ろへ下がった。


「私のこと、忘れないで」


 その瞬間。


 部屋の照明が消えた。



*



 暗闇の中で、鈴の音がした。


 しゃん。


 しゃん。


 しゃん。


 エマは振り返った。


 玄関の前に、大きな男が立っていた。


 黒い外套。長い髭。そして背中には、あの麻袋。


「……あなた」


 男は答えなかった。


「お願い」


 エマは男へ近づいた。


「私、いい子にする。もう悪いことしない」


 男は動かない。


「だから返して」


 男が僅かに首を傾げた。


「お父さんと、お母さんを返して」


 しばらく沈黙した後、男は静かに答えた。


「私は何も取っていません」


「嘘!」


「嘘ではありません」


「じゃあ、なんで!」


 エマは叫んだ。


「なんでみんな、私のこと忘れちゃったの!」


 男は答えなかった。


「ごめんなさい」


 エマは泣きながら言った。


「いい子にするから。お願い。ごめんなさい……」


 男は静かに麻袋を床へ下ろした。


「ですから」


 エマは顔を上げた。


「私に謝る必要はありません」


 昨夜と同じ言葉だった。


 エマは涙を拭った。


「じゃあ……誰に謝ればいいの?」


 男は答えなかった。


 代わりに、麻袋の口がゆっくりと開いた。


 中には何も見えない。


 真っ暗だった。


 でも、声がした。


 一人ではない。


 何十人。何百人。もっとたくさんの、子供たちの声。


 男の子。女の子。幼い子。少し大きな子。


 それらが重なり合いながら、エマの名前を呼んでいた。


「…………」


 エマは一歩後ろへ下がった。


 そして、たくさんの声が一つになった。


「おかえり。」


 エマは動けなかった。


 男は何も言わない。


 ただ麻袋を開いたまま、待っていた。



*



 その夜。


 エマの両親から警察へ、


「家の中に知らない子供がいる」


 という通報が入った。


 警察官が到着した時、家の中に子供はいなかった。


 ただ玄関の床に、小さな赤い花柄のマグカップだけが置かれていた。


 両親は最後まで、それが誰のものなのか思い出せなかった。



《Tale End》

次回予告


Tale 2「十二月まで」


10月19日21時投稿予定

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