Tale「お母さんじゃない」
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NCO-72-JPの収容室は、静かだった。
低危険度物品収容区画の最奥。白い壁と白い床、その中央に置かれた保管箱。その中で、市松人形は今日も昨日と同じ姿勢で座っている。
██研究員は端末のチェックリストを一つずつ埋めていった。
外観変化なし。頭髪長の変化なし。衣服の変化なし。新規紙片なし。
異常なし。
「よし」
小さく呟き、端末の確認ボタンを押す。
██研究員はNCO-72-JPの担当になってまだ二週間だった。もちろん、この人形が何をするのかは知っている。
だから余計なことは言わない。
「あげる」「もらう」「あなたのもの」。
そういった言葉は使わない。
名前も付けない。
人形に話しかけない。
ましてや「この子」などとは絶対に呼ばない。
確認するだけ。
記録するだけ。
それで終わりだ。
「定期確認終了。退室します」
規定通りの文言を口にし、██研究員は保管箱に背を向けた。
収容室の扉へ向かう。
あと三歩。
あと二歩。
――お母さん。
██研究員の足が止まった。
「…………」
振り返らない。
そのまま扉の横にある非常呼出ボタンを押した。
「管制室。こちらNCO-72-JP収容室。音声らしきものを確認しました」
『了解。退室してください』
「了解」
扉が開く。
██研究員は廊下へ出た。
扉が閉まる直前、一瞬だけ保管箱の方を見た。
市松人形は動いていない。
ただ座っていた。
こちらを見ながら。
*
「記録にはありません」
音響担当職員が言った。
「本当に?」
「三回確認しました。あなたが『定期確認終了』と言った後、非常ボタンを押すまで無音です」
██研究員はヘッドホンを外した。
「でも、聞こえたんです」
「何と?」
「……お母さん」
音響担当職員が少しだけ黙った。
「心理検査を受けてください」
「分かってます」
「今日はもう72-JPには近づかないように」
「はい」
予想通りだった。
その日の検査では軽度のストレス反応以外、異常は確認されなかった。
記憶検査も正常。家族認識にも異常なし。
母親の名前。
父親の名前。
生年月日。
実家の住所。
幼少期の記憶。
全部答えられた。
だから、その日の勤務終了時には██研究員自身も少し安心していた。
疲れていたのだろう。
そういうことにしておきたかった。
*
午後十一時十三分。
職員居住区の自室で髪を乾かしていると、端末が鳴った。
画面には「母」と表示されている。
「もしもし?」
『あ、まだ起きてた?』
「起きてるよ。どうしたの?」
『別に用事ってほどじゃないんだけどね。最近連絡ないから』
いつもの母親の声だった。
仕事の話。
実家の猫の話。
近所のスーパーが改装した話。
父親がまた腰を痛めた話。
何でもない会話だった。
それが嬉しかった。
今日一日、頭のどこかに引っかかっていた「お母さん」という声が、少しずつ遠ざかっていく。
『ちゃんと食べてる?』
「食べてるよ」
『またコンビニばっかりじゃないでしょうね』
「食堂あるから大丈夫」
『ならいいけど』
██研究員は笑った。
やっぱり大丈夫だ。
目を閉じれば、ちゃんと母親の顔を思い出せる。
自分の母親はこの人だ。
人形じゃない。
そんな当たり前のことを確認して、安心した。
『あ、そうだ』
「ん?」
『あのお人形、元気?』
██研究員の笑顔が消えた。
「……何?」
『お人形よ』
「何の?」
『何のって』
母親が笑った。
『あなたが小さい頃から大事にしてたでしょう?』
「…………」
『黒い髪の、日本人形』
██研究員は立ち上がった。
「お母さん」
『なに?』
「私、日本人形なんて持ってなかったよね?」
電話の向こうが静かになった。
『……何言ってるの?』
「答えて」
『持ってたじゃない』
「いつ?」
『小さい頃からよ』
「誰にもらったの?」
『それは――』
母親が止まった。
██研究員は端末を握りしめた。
「誰から?」
『……ちょっと待って』
衣擦れの音が聞こえる。
『写真あったと思うから』
「探さなくていい!」
間に合わなかった。
通話が切れた。
「…………」
数十秒後。
メッセージが届いた。
画像が一枚添付されている。
古い写真だった。
実家の居間。
幼い自分。
母親。
二人とも笑っている。
そして幼い自分の膝の上に、一体の市松人形が座っていた。
██研究員は息を止めた。
見間違えるはずがない。
赤い振袖。
白い顔。
黒い髪。
NCO-72-JPだった。
*
翌朝。
██研究員は始業時刻より一時間以上早くサイト83へ到着した。
写真はすぐに情報災害分析班へ提出された。
「加工の可能性は?」
「調査中です」
「母は?」
「接触禁止です。こちらから確認班を派遣します」
「昨日まではこんな写真なかったんです」
「分かっています」
「本当に?」
担当職員が██研究員を見る。
「落ち着いてください」
「……すみません」
██研究員は椅子へ座った。
端末を机に置く。
その瞬間だった。
通知音。
母親からだった。
「…………」
担当職員と顔を見合わせる。
「開いてください」
メッセージを開く。
昨日は変なこと言ってごめんね。
██研究員は息を吐いた。
続きが表示される。
写真見てたら思い出した。
あれ、お母さんのお人形だったね。
「…………」
██研究員は椅子にもたれた。
「戻った……?」
担当職員は答えなかった。
だが██研究員は、ほんの少しだけ安心した。
やっぱり母親の記憶が一時的に影響を受けただけだったのだ。
自分のものではない。
自分は、まだ――。
通知音。
もう一件。
母親からだった。
██研究員は画面を見る。
あなたにはまだあげてなかった。
誰も喋らなかった。
数秒後。
サイト83低危険度物品収容区画から、緊急連絡が入った。
NCO-72-JPの保管箱内部に、新しい紙片が出現していた。
そこには、子供のような字で一言だけ書かれていた。
もうすぐだね。
《Tale End》
次回予告
Tale「忘れ物」
10月17日21時投稿予定




