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異常世界の歩き方 MDE(国際異常研究機構)  作者: 神代千早


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Tale「お母さんじゃない」

毎日21時投稿

金土日18時、21時、2本投稿予定

この章は5分ぐらいで読めます

よかったらコメント感想など聞かせてください!


 NCO-72-JPの収容室は、静かだった。


 低危険度物品収容区画の最奥。白い壁と白い床、その中央に置かれた保管箱。その中で、市松人形は今日も昨日と同じ姿勢で座っている。


 ██研究員は端末のチェックリストを一つずつ埋めていった。


 外観変化なし。頭髪長の変化なし。衣服の変化なし。新規紙片なし。


 異常なし。


「よし」


 小さく呟き、端末の確認ボタンを押す。


 ██研究員はNCO-72-JPの担当になってまだ二週間だった。もちろん、この人形が何をするのかは知っている。


 だから余計なことは言わない。


 「あげる」「もらう」「あなたのもの」。


 そういった言葉は使わない。


 名前も付けない。


 人形に話しかけない。


 ましてや「この子」などとは絶対に呼ばない。


 確認するだけ。


 記録するだけ。


 それで終わりだ。


「定期確認終了。退室します」


 規定通りの文言を口にし、██研究員は保管箱に背を向けた。


 収容室の扉へ向かう。


 あと三歩。


 あと二歩。


 ――お母さん。


 ██研究員の足が止まった。


「…………」


 振り返らない。


 そのまま扉の横にある非常呼出ボタンを押した。


「管制室。こちらNCO-72-JP収容室。音声らしきものを確認しました」


『了解。退室してください』


「了解」


 扉が開く。


 ██研究員は廊下へ出た。


 扉が閉まる直前、一瞬だけ保管箱の方を見た。


 市松人形は動いていない。


 ただ座っていた。


 こちらを見ながら。


*


「記録にはありません」


 音響担当職員が言った。


「本当に?」


「三回確認しました。あなたが『定期確認終了』と言った後、非常ボタンを押すまで無音です」


 ██研究員はヘッドホンを外した。


「でも、聞こえたんです」


「何と?」


「……お母さん」


 音響担当職員が少しだけ黙った。


「心理検査を受けてください」


「分かってます」


「今日はもう72-JPには近づかないように」


「はい」


 予想通りだった。


 その日の検査では軽度のストレス反応以外、異常は確認されなかった。


 記憶検査も正常。家族認識にも異常なし。


 母親の名前。


 父親の名前。


 生年月日。


 実家の住所。


 幼少期の記憶。


 全部答えられた。


 だから、その日の勤務終了時には██研究員自身も少し安心していた。


 疲れていたのだろう。


 そういうことにしておきたかった。


*


 午後十一時十三分。


 職員居住区の自室で髪を乾かしていると、端末が鳴った。


 画面には「母」と表示されている。


「もしもし?」


『あ、まだ起きてた?』


「起きてるよ。どうしたの?」


『別に用事ってほどじゃないんだけどね。最近連絡ないから』


 いつもの母親の声だった。


 仕事の話。


 実家の猫の話。


 近所のスーパーが改装した話。


 父親がまた腰を痛めた話。


 何でもない会話だった。


 それが嬉しかった。


 今日一日、頭のどこかに引っかかっていた「お母さん」という声が、少しずつ遠ざかっていく。


『ちゃんと食べてる?』


「食べてるよ」


『またコンビニばっかりじゃないでしょうね』


「食堂あるから大丈夫」


『ならいいけど』


 ██研究員は笑った。


 やっぱり大丈夫だ。


 目を閉じれば、ちゃんと母親の顔を思い出せる。


 自分の母親はこの人だ。


 人形じゃない。


 そんな当たり前のことを確認して、安心した。


『あ、そうだ』


「ん?」


『あのお人形、元気?』


 ██研究員の笑顔が消えた。


「……何?」


『お人形よ』


「何の?」


『何のって』


 母親が笑った。


『あなたが小さい頃から大事にしてたでしょう?』


「…………」


『黒い髪の、日本人形』


 ██研究員は立ち上がった。


「お母さん」


『なに?』


「私、日本人形なんて持ってなかったよね?」


 電話の向こうが静かになった。


『……何言ってるの?』


「答えて」


『持ってたじゃない』


「いつ?」


『小さい頃からよ』


「誰にもらったの?」


『それは――』


 母親が止まった。


 ██研究員は端末を握りしめた。


「誰から?」


『……ちょっと待って』


 衣擦れの音が聞こえる。


『写真あったと思うから』


「探さなくていい!」


 間に合わなかった。


 通話が切れた。


「…………」


 数十秒後。


 メッセージが届いた。


 画像が一枚添付されている。


 古い写真だった。


 実家の居間。


 幼い自分。


 母親。


 二人とも笑っている。


 そして幼い自分の膝の上に、一体の市松人形が座っていた。


 ██研究員は息を止めた。


 見間違えるはずがない。


 赤い振袖。


 白い顔。


 黒い髪。


 NCO-72-JPだった。


*


 翌朝。


 ██研究員は始業時刻より一時間以上早くサイト83へ到着した。


 写真はすぐに情報災害分析班へ提出された。


「加工の可能性は?」


「調査中です」


「母は?」


「接触禁止です。こちらから確認班を派遣します」


「昨日まではこんな写真なかったんです」


「分かっています」


「本当に?」


 担当職員が██研究員を見る。


「落ち着いてください」


「……すみません」


 ██研究員は椅子へ座った。


 端末を机に置く。


 その瞬間だった。


 通知音。


 母親からだった。


「…………」


 担当職員と顔を見合わせる。


「開いてください」


 メッセージを開く。


昨日は変なこと言ってごめんね。


 ██研究員は息を吐いた。


 続きが表示される。


写真見てたら思い出した。


あれ、お母さんのお人形だったね。


「…………」


 ██研究員は椅子にもたれた。


「戻った……?」


 担当職員は答えなかった。


 だが██研究員は、ほんの少しだけ安心した。


 やっぱり母親の記憶が一時的に影響を受けただけだったのだ。


 自分のものではない。


 自分は、まだ――。


 通知音。


 もう一件。


 母親からだった。


 ██研究員は画面を見る。


あなたにはまだあげてなかった。


 誰も喋らなかった。


 数秒後。


 サイト83低危険度物品収容区画から、緊急連絡が入った。


 NCO-72-JPの保管箱内部に、新しい紙片が出現していた。


 そこには、子供のような字で一言だけ書かれていた。


もうすぐだね。


《Tale End》

次回予告


Tale「忘れ物」


10月17日21時投稿予定

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