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異常世界の歩き方 MDE(国際異常研究機構)  作者: 神代千早


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56/85

第十二章 帰ってきた家

毎日21時投稿

金土日18時、21時、2本投稿予定

この章は10分ぐらいで読めます

よかったらコメント感想など聞かせてください!

十三番目の玄関が開いた。


 表札に刻まれているのは、ただ一文字。


 家。


 扉の向こうには、廊下も部屋もなかった。


 広がっていたのは、夕焼けに染まった住宅街だった。


 どこまでも同じ形の家が並んでいる。


 同じ屋根。


 同じ窓。


 同じ玄関。


 全ての家から、夕食の匂いが漂っていた。


 味噌汁。


 焼き魚。


 煮物。


 炊きたての米。


 誰かが帰ってくることを待つ匂い。


「家が、自分を管理者にした」


 嵯峨野宗一が言った。


 彼は解析室の床へ座り込んでいる。


 紙と木で構成されていた身体は、少しずつ人間に近い形へ戻っていた。だが、肌の下には細い文字列が流れている。保管庫との接続は、まだ完全に切れていない。


「管理者となった家は、帰還先を自由に選択できます」


 紅林澪奈は、玄関の向こうへ銃口を向けた。


「現在の帰還先は」


「ここです」


「サイト83ですか」


「いいえ」


 嵯峨野は住宅街を見る。


「人間が家と認識する、全ての場所です」


 紅林の表情が険しくなる。


 家族のいる場所。


 一人で暮らす部屋。


 学生寮。


 宿泊施設。


 避難所。


 収容室。


 本人が帰る場所だと認識すれば、全てが対象になる。


「このままでは、どこへでも展開できる」


 神楽が言った。


「はい」


「被害範囲は」


「算定できません」


「日本国内だけですか」


「認識に距離は関係ありません」


 世界中。


 誰かが家を思い出すたび。


 帰りたいと願うたび。


 その場所へ、この玄関が現れる可能性がある。


 荒木真介は胸元を押さえた。


 十三羽目の登録は解除された。だが、関係接続網の痕跡が、薄い傷のように皮膚へ残っている。


「向こうから声が聞こえる」


「内容は」


 紅林が尋ねる。


「皆、同じこと言うとる」


 住宅街に並ぶ家々。


 閉ざされた玄関。


 その内側から、無数の声が聞こえていた。


「ただいま」


「ただいま」


「ただいま」


 帰宅する側の言葉。


 これまで家が繰り返していたのは、帰ってきた者を迎える言葉だった。


 おかえりなさい。


 だが、今は違う。


 家そのものが、帰ってきたと告げている。


「家は、どこへ帰ったんや」


 新木慎介が車椅子の上から尋ねた。


 額には冷却材。鼻には止血材。右目の周囲にも応急処置が施されている。


 顔色は悪い。それでも観測盤から目を離さない。


 嵯峨野は答えた。


「人間の帰宅願望へです」


「場所やない」


「はい」


「帰りたいいう願いそのものを、自分の家にした」


「その可能性が高い」


 新木が舌打ちする。


「そら、隔離できへんわ」


 黒い立方体へ封じ込めたのは、構造としての家だった。


 だが家は、帰りたいという感情へ自らの帰属を移した。


 建物を壊しても。


 契約を解除しても。


 小鳥箱を封じても。


 人間が帰りたいと願う限り、家は存在できる。


「十三という枠を破壊する方法を説明してください」


 紅林が言った。


 嵯峨野は、床に残る木製の小鳥を見る。


 小鳥は全身に亀裂が入っている。それでも小さく鳴き続けていた。


 ちち。


 ちち。


「試作十三号は、十二の帰還対象と一人の管理者によって構成されます」


「現在の管理者は家自身」


「はい」


「なら、家を管理者から外す」


「それだけでは、次の管理者を選びます」


 千鳥が小鳥を見る。


「また誰かが、十三羽目になる」


「はい」


「候補がいなかったら」


「新たに作成します」


 澪のように。


 誰かの複製。


 記憶から生まれた人格。


 あるいは、家の内部へ取り込まれた誰か。


 十三番目の席は、必ず埋められる。


「なら、十二の方を消す」


 高峰が言った。


「帰還対象がなければ、管理者も必要ない」


「十二件の構造物には、人格が残されています」


 神楽が答える。


「破壊はできません」


「構造物から人格を分離する」


 メアリーが言った。


「家じゃなく、人として外へ出せばいい」


 紅林は、搬出された人格結晶のケースを見る。


 柊木家から救出した者たち。


 家に取り込まれながらも、人として保存できた。


 同じ処理を十二件へ行えば、家だけを空にできる可能性がある。


「問題があります」


 嵯峨野が言った。


「十二件の一部は、建物と人格の区別を失っています」


「どういう意味です」


「人間の記憶が、壁や床へ変換されています」


「分離すれば、人格が欠損する」


「はい」


「情報損失率は」


「個体によって異なります。最大で八十パーセント以上」


 八十パーセント。


 それは救出とは呼べない。


 名前だけ。


 顔だけ。


 短い記憶だけ。


 人間だったものの欠片しか残らない可能性がある。


「それでも、分離する」


 千鳥が言った。


 全員が少女を見る。


「完全じゃなくても、家の一部にされるよりいい」


「本人の同意を確認できません」


 紅林が答える。


「じゃあ、聞く」


「十二件全てにですか」


「うん」


「家が妨害します」


「それでも」


 千鳥は住宅街を見る。


「私も、聞いてほしかったから」


 帰りたいか。


 残りたいか。


 外へ出たいか。


 誰も千鳥に尋ねなかった。


 家族だから。


 子供だから。


 守るためだから。


 そう決めつけられ、十三羽目にされた。


「意思確認を優先します」


 紅林が決断した。


「十二件の内部へ進入。残存人格を特定し、分離への同意を取得します」


「時間はありません」


 嵯峨野が警告する。


「家の帰還範囲は、すでにサイト83外へ広がり始めています」


 神楽の端末へ、緊急通信が入った。


『サイト83管制室より報告』


『周辺地域で複数の住宅構造異常を確認』


『無人住宅へ居住者が帰宅したとの通報あり』


『死亡者および失踪者を含む人物の目撃情報が増加中』


 家が広がっている。


 サイト83の外へ。


 周辺の住宅街へ。


 人々の記憶へ。


「全員へ確認する時間はない」


 高峰が言った。


「放置すれば、被害が拡大する」


 紅林は住宅街を見つめる。


 全員を救う。


 被害を止める。


 両方を行う時間はない。


 選択が必要だった。


「隊長」


 神楽が呼ぶ。


 決断を求めている。


 紅林は答えようとした。


 その前に、荒木が口を開いた。


「ワシが、家と話します」


「何をするつもりです」


「まだ関係接続が残っとる」


 荒木は胸元を指す。


「家から見たら、ワシは一回選ばれた十三羽目や」


「再登録される危険があります」


「せやからこそ、家もワシを無視できへん」


「交渉は成立しません」


「鬼灯産業との契約ちゃう。東雲重工業の装置でもない」


 荒木は玄関の向こうを見る。


「今の家は、自分で帰りたいと思っとる」


「それが何を意味するのです」


「願いがあるなら、話を聞く可能性もある」


 新木が顔をしかめる。


「相手は家やぞ」


「家族みたいに扱う気はない」


「ほな、どう扱う」


 荒木は少し考えた。


「迷子や」


 住宅街から、声が聞こえる。


「ただいま」


「ただいま」


「ただいま」


 帰ってきたと繰り返している。


 だが、誰も迎えていない。


「こいつ、一回も帰ったことないんちゃうか」


 荒木が言った。


「人を帰すことも、取り込むことも知っとる。でも、自分が帰る場所は知らん」


 新木は観測盤を見る。


 家から流れ出している帰還信号。


 無数の場所へ向けて発信されている。


 どれも接続している。


 だが、どれも完了していない。


「可能性はある」


 新木が呟く。


「家は帰った言うとるのに、帰還処理が完了しとらん」


「帰る場所が定まっていない」


 紅林が言う。


「せや」


 荒木は頷いた。


「だから、あちこちを家に変えとる」


「交渉の目的は」


「こいつ自身に、帰る場所を選ばせる」


 千鳥が首を振った。


「駄目」


「なんでや」


「家は、自分で選べない」


「お前は選べた」


「私は人間だから」


「こいつも願いを持っとるんやろ」


「家が選んだら、そこにいる人をまた取り込む」


 千鳥の声が強くなる。


「帰る場所をあげたら駄目」


 荒木は少女を見る。


「ほな、どうする」


「帰らなくていいって言う」


 千鳥は住宅街へ向き直った。


「家にも」


 空気が揺れた。


 その言葉に、住宅街全体が反応する。


 全ての家の窓へ明かりがついた。


 玄関が一斉に開く。


 扉の内側に立っていたのは、人間ではなかった。


 木。


 紙。


 土。


 髪。


 写真。


 無数の素材で作られた、家族の人形。


 それぞれが千鳥を見る。


「帰らなくていい」


 千鳥はもう一度言った。


 人形たちの顔が歪む。


「帰れなければ、家ではありません」


「家じゃなくていい」


「家でなければ、何ですか」


「知らない」


 千鳥は正直に答えた。


「自分で決めて」


「家は、家です」


「それしかないの」


「家は、帰る場所です」


「誰も帰ってこなかったら」


「待ちます」


「ずっと?」


「はい」


「嫌じゃないの」


 返答が止まった。


 住宅街に設置された時計。


 全ての針が、同時に動きを止める。


「待つことは、家の役割です」


「役割じゃなくて」


 千鳥は尋ねる。


「あなたは、どうしたいの」


 家が沈黙した。


 これまで、誰も尋ねなかった質問。


 家は、人間の願いを満たす機能だった。


 家族を揃える。


 帰宅させる。


 関係を維持する。


 家自身の意思は、最初から考慮されていない。


 だが今。


 家は、自ら管理者になった。


 願いを持つ存在になった。


「答えられません」


「どうして」


「定義がありません」


「なら、考えて」


「家は考えません」


「今、答えてる」


 住宅街の一軒が崩れた。


 屋根が落ちる。


 壁が傾く。


 だが、崩れた内部から新しい家が生えてくる。


「家は帰ります」


「どこへ」


「家へ」


「そこはどこ」


「家です」


 言葉が循環する。


 帰る。


 家へ。


 家とは。


 帰る場所。


 家は、自分の定義から出られない。


「やっぱり壊れとる」


 新木が言った。


「概念が閉じとる。自分自身を帰還先にし続けとるんや」


「それが増殖の原因」


 紅林が答える。


 家が、家へ帰る。


 自分自身を帰還先に指定する。


 帰還するたび、家が増える。


 終わりのない自己複製。


「循環を断つには」


 神楽が尋ねる。


「家を、家でなくする」


 新木が言った。


「十三の枠を壊すいうんは、そういうことや」


「十二件を家として認識させない」


「せや。建物でも、保管領域でもええ。帰る場所やなくせばええ」


「内部人格は」


「先に分離する必要がある」


 結局。


 十二件の人格を救出しなければならない。


 時間がない。


 外では被害が拡大している。


「同時に行います」


 紅林が言った。


「十二件を分担します」


「一班一件でも人数が足りません」


 神楽が指摘する。


「γ-9だけでは行いません」


 紅林は通信端末を開いた。


「サイト83全職員へ通達」


 管制室が通信を接続する。


『発言してください』


「現在、十二件の異常構造物がサイト83内部へ展開しています」


 施設図へ、十二の新しい区画が表示される。


 木造住宅。


 集合住宅。


 病院。


 学校。


 工場。


 研究所。


 既存区画へ重なるように存在している。


「各部門より救出班を編成。異常構造内部へ進入し、残存人格の意思確認を行ってください」


『危険度評価が未完了です』


「承知しています」


『通常職員の投入には、管理者承認が必要です』


「私の権限で緊急対応を申請します」


『隊長権限を超えています』


「では、サイト83管理者へ接続してください」


 数秒の雑音。


 やがて、別の声が通信へ入った。


『聞こえているよ』


 クレイン博士。


 サイト83管理者。


 いつもの穏やかな声。


『面倒なことになったね』


「博士。全施設規模の救出作戦を提案します」


『危険性は』


「高いです」


『成功率は』


「不明です」


『失敗した場合は』


「帰宅概念を媒介とした異常構造が、世界規模で拡散する可能性があります」


『なるほど』


 クレイン博士は短く笑った。


『断る理由がないね』


 紅林は眉をひそめる。


「思考を読まないでください」


『読んでいないよ』


「まだ説明していない部分まで理解していました」


『管理者として察しただけだ』


「信用できません」


『それは後で話そう』


 通信の向こうでも、警報音が鳴っている。


『サイト83全職員へ、緊急異常災害対応命令を発令する』


 クレイン博士の声が、施設全体へ流れた。


『所属部門を問わず、指示された者は救出活動へ参加せよ』


『ただし、目の前に現れた家族を信用するな』


『君たちが会いたいと願った者ほど、慎重に疑え』


 一瞬。


 博士の声が柔らかくなる。


『それでも、本当に会えたのなら』


『別れを言う時間くらいは取って構わない』


 通信が切れた。


 紅林は各班へ指示を出す。


「救出班は十二件へ同時進入。人格分離への同意を取得後、対象を保留領域へ移送してください」


 施設図上で、各部署の職員が十二の班へ振り分けられていく。


「γ-9は中央構造へ進入。家の管理権限を抑えます」


「中央構造とは」


 神楽が尋ねる。


 紅林は十三番目の玄関を見る。


 表札。


 家。


「家自身の内部です」


 荒木が安全索を確認する。


「ワシも行きます」


「接続を利用しますか」


「せや。ワシがおったら、家は十三羽目を探す必要がなくなる」


「再登録された場合は」


「新木が切る」


「簡単に言うなや」


 新木が車椅子から答える。


「お前も来るんか」


「当たり前やろ」


「歩けへんやん」


「車椅子で行く」


「家の中、段差だらけやぞ」


「押せ」


「ワシが?」


「五千円分働け」


「返済扱いにするんか」


「一部だけな」


 黒岡が新木の車椅子の背後へ立った。


「俺が押す」


「助かるわ」


「荒木に任せると、壁へぶつける」


「さっきの根に持っとるやん」


 メアリーは、人格結晶のケースを抱えた。


「澪も連れていく」


「危険です」


 紅林が言う。


「家の中で生まれた人格なら、家の声が分かるかもしれない」


「結晶が破損する可能性があります」


「置いていったら、家が消えた時に影響が出るかも」


 紅林はケースを見る。


 透明な結晶。


 内部で眠る、もう一人の自分。


「携行を許可します」


 神楽が隊員たちの装備を確認する。


 弾薬。


 照明。


 認識固定用端末。


 安全索。


 契約遮断材。


 異常構造標識。


 準備が整う。


 千鳥は玄関の前へ立った。


 扉の向こう。


 住宅街では、家族の人形たちが道の両側へ並んでいる。


「おかえりなさい」


 人形たちが言った。


 千鳥は首を横に振る。


「帰ってきたんじゃない」


 彼女は一歩、玄関を越えた。


「終わらせに来た」


 紅林が続く。


 神楽。


 黒岡。


 新木。


 メアリー。


 荒木。


 クライム。


 高峰。


 γ-9の全員が、家の中へ入る。


 最後に、嵯峨野が玄関の前で立ち止まった。


 紅林が振り返る。


「あなたも来てください」


「私は、東雲重工業の元職員です」


「知っています」


「二百四十三名を見捨てました」


「知っています」


「拘束しないのですか」


「作戦終了後に行います」


「逃げる可能性があります」


「逃げますか」


 嵯峨野は玄関の向こうを見る。


 十二の家。


 自分が管理していた者たち。


 自分が見捨てた者たち。


「いいえ」


「なら、来てください」


 嵯峨野は小さく頷いた。


 玄関を越える。


 全員が入った瞬間、背後の扉が閉じた。


 住宅街から夕日の光が消える。


 空が黒く染まった。


 全ての家の窓へ、同時に明かりがつく。


 道の両側に並んでいた人形たちが振り返る。


 同じ角度。


 同じ笑顔。


「おかえりなさい」


 今度の声は、歓迎ではなかった。


「十三羽目」


 荒木の胸元に、赤い文字が浮かぶ。


 帰還先統合管理者。


 登録処理再開。


「新木!」


「分かっとる!」


 新木が観測盤を開く。


 だが、表示されたのは荒木の名前ではない。


 十三羽目。


 候補者。


 γ-9。


 複数の名前が、一つの欄へ重なっている。


 紅林澪奈。


 神楽。


 黒岡。


 新木慎介。


 メアリー。


 クライム。


 高峰。


 荒木真介。


 嵯峨野宗一。


 千鳥。


 そして、人格結晶の中にいる澪。


 最後に。


 解析室へ残されていた、名前のない木製の小鳥。


「十二体」


 神楽が数える。


「現在、十二の帰還対象が登録されています」


 紅林は周囲を見る。


 家族の人形たち。


 その奥。


 住宅街の中央に、一軒だけ灯りのついていない家がある。


 玄関の上には、小鳥箱。


 十三個の穴。


 十二の穴には、彼らの識別情報を刻まれた小鳥が入っている。


 最後の一つだけが空いていた。


「家は、管理者を一人選ぶんやない」


 新木が言った。


 観測盤の文字が変化する。


 帰還対象。


 十二体。


 管理者。


 生成中。


「ワシらを十二羽にした」


「十三羽目は」


 メアリーが、灯りのない家を見る。


 玄関が開いた。


 中から一人の少女が出てくる。


 紅林と同じ顔。


 同じ髪。


 同じ戦術服。


 左肩には、乾いた血の跡まで再現されている。


 だが、肩に小鳥はいない。


 メアリーが抱える人格結晶のケースが、強く震えた。


「澪」


 紅林が呼ぶ。


 ケースの中には、澪の結晶が存在している。


 なら、目の前の少女は澪ではない。


 少女は微笑んだ。


「いいえ」


 その声には、紅林、千鳥、荒木、新木、そして無数の家族の声が混ざっていた。


「私は家です」


 少女は両手を広げる。


「皆さんを帰すために、人になりました」


 小鳥箱の最後の穴から、木製の嘴が突き出した。


 十三羽目が。


 内側から、生まれようとしていた。

次回予告


第十三章 家をやめる


10月8日21時投稿予定

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