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異常世界の歩き方 MDE(国際異常研究機構)  作者: 神代千早


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55/85

第十一章 十三羽目

毎日21時投稿

金土日18時、21時、2本投稿予定

よかったらコメント感想など聞かせてください!

この章は10分ぐらいで読めます


荒木真介は、倉庫の床へ膝をついた。


 十二の家から流れ込んでくる情報が、頭蓋の内側を埋め尽くしている。


 家族。


 住人。


 建物。


 土地。


 記憶。


 災害。


 死。


 帰れなかった者。


 声だけではない。家を建てた時の音。柱へ刻まれた傷。壁紙の裏に残った落書き。最後に玄関を閉めた者の手の感触。


 それら全てが、荒木自身の記憶であるかのように押し寄せてくる。


「帰して」


「出して」


「ここが家です」


「あなたが管理者です」


「私たちを置いていかないで」


 十二件分の帰属認識が、荒木一人へ接続されていく。


 胸元の赤い文字が脈打った。


 帰還先統合管理者。


 十三羽目。


 その下には、まだ未完成の項目が残っている。


 個別帰還先。


 未固定。


「荒木!」


 紅林の声が、紙の扉の向こうから聞こえる。


「名前を答えてください!」


 荒木は床へ手をつき、どうにか顔を上げた。


「荒木、真介」


「所属」


「MDE、サイト83」


「役割」


 答えようとした瞬間、別の言葉が頭に浮かぶ。


 管理者。


 十三羽目。


 十二の家を維持する者。


 帰ることを許されない者。


 荒木は歯を食いしばり、その言葉を飲み込んだ。


「研究員」


「帰還先」


「まだ」


 家々が一斉に軋んだ。


「ここです」


「あなたの家です」


「管理者は帰れません」


「ここにいてください」


 荒木は両手で頭を押さえる。


「まだ、決めてへん」


 嵯峨野宗一が荒木へ近づいた。


 足音はする。


 だが床板は軋まない。


 男は荒木の前へ膝をつき、胸元に手を当てた。


「管理者の個別帰還先は不要です」


「お前が決めんな」


「管理者は保管庫へ帰属します」


「嫌や」


「十二件を維持するためです」


「知らん」


「内部人格が失われます」


 荒木の動きが止まった。


 嵯峨野は、そこへ正確に言葉を差し込んでくる。


「あなたが残れば、救出できます」


「何年かかる」


「算定不能です」


「その間、ワシはどうなる」


「管理者として維持されます」


「歳は取るんか」


「肉体時間は停止します」


「外には出られる」


「保管庫の管理に必要な場合のみ」


「人間やなくなるやんけ」


「必要な機能は維持されます」


 荒木は笑った。


 乾いた笑いだった。


「東雲は、人間を機能で見るんやな」


「必要な機能を評価しています」


「ほな、お前も機能なんか」


 嵯峨野は答えない。


「二十五年以上、ここにおったんやろ」


「はい」


「生きとるんか」


「機能しています」


「答えになってへん」


 荒木は嵯峨野の手首をつかんだ。


 冷たい。


 脈がない。


 人間の皮膚に似ているだけで、体温が存在しなかった。


「お前が最初の十三羽目やったんちゃうか」


 嵯峨野の眼鏡に、倉庫の照明が反射する。


 表情は見えない。


 解析室側で、新木が術式観測盤をのぞき込んだ。


 嵯峨野の周囲に、人間の生体反応はない。代わりに確認できるのは、管理術式、受領証、帰還先固定、構造維持命令。


 何重もの異常処理が、嵯峨野宗一という形を作っている。


「そうか」


 新木が呟いた。


「こいつ、送り主やない」


「何です」


 紅林が尋ねる。


「前の管理者や」


 荒木にも聞こえた。


 嵯峨野の手に、わずかな力が入る。


「後任を探しとった」


「違います」


「自分が外へ出るために」


「違います」


「荒木へ渡したら、お前は解放される」


「違います!」


 初めて。


 嵯峨野の声に、明確な感情が混じった。


 否定。


 焦り。


 恐怖。


「管理者の交代は、運用上必要です」


「何年ここにおった」


 荒木が尋ねる。


「回答できません」


「二十五年以上か」


「回答できません」


「帰りたいんか」


 嵯峨野の顔が歪んだ。


 倉庫の照明が一斉に明滅する。十二の家がざわめき、窓の中の人影が一斉に動きを止めた。


 嵯峨野の背後。


 空だった中央台座に、一つの部屋が浮かび上がる。


 研究室。


 机。


 書類。


 観測機器。


 部屋の中央には、若い頃の嵯峨野が立っていた。


 窓の外では、妻と思われる女性と幼い子供が待っている。


「帰りたいんやろ」


 荒木が言った。


「違います」


「嘘をつく必要あるんか」


「あります」


 嵯峨野は答えた。


 あまりにも素直な返答だった。


「管理者が帰還を望んだ場合、保管庫はその場所を全構造物の帰還先として認識します」


「お前が家族のところへ帰りたいと思ったら」


「十二件全てが展開されます」


「せやから、帰りたいと思わんようにしとった」


「はい」


「自分を人間やなく、機能やと思い込んで」


「はい」


 千鳥が紙の扉の前へ近づいた。


「私と同じ」


 嵯峨野が少女を見る。


「違います」


「帰りたくないんじゃなくて、帰りたいって思えなくされた」


「違います」


「同じ」


 千鳥は繰り返した。


 嵯峨野の表情が崩れる。


 長い年月。


 十二件の構造物を管理するため。


 それらを現実へ展開させないため。


 自分の帰属を削り。


 家族への記憶を切り離し。


 帰りたいという願いを否定し続けた。


 人間ではなく、管理機能として存在することでしか、保管庫を維持できなかった。


 そして限界を迎えた。


 後任を選んだ。


 荒木を。


「受け取った人へ押しつけたら、自分は帰れると思った?」


 千鳥が尋ねる。


「運用上必要な交代です」


「帰りたい?」


「回答できません」


「帰りたいんでしょ」


「回答できません」


 荒木は嵯峨野の腕を放した。


「ワシは、お前の代わりにはならへん」


「受領は完了しています」


「条件はまだや」


 胸元の文字。


 個別帰還先、未固定。


 管理者登録は完成していない。


「せやけど、お前をここに残す気もない」


 嵯峨野が顔を上げた。


「何をするつもりです」


「十三番目の帰還先を、二人分にする」


「不可能です」


「二人とは言うてへん」


 荒木は倉庫を見回した。


 十二の家。


 保管庫。


 嵯峨野。


 自分。


 そして、紙の扉の向こうにいる者たち。


「管理者の帰還先を、人や場所にせえへん」


「では、何に」


「関係や」


 嵯峨野が黙る。


「ワシ一人が背負うんやない」


 荒木は腰に接続された安全索をつかんだ。


 倉庫と解析室を繋ぐ線。


 クライム。


 黒岡。


 高峰。


 その先にいる紅林。


 新木。


 神楽。


 千鳥。


「この線が繋がっとる間だけ、ワシは管理者になる」


「一時管理」


 新木が荒木の意図を理解する。


「外部に帰属点を分散するんや」


「管理者を保管庫へ固定するのではなく、MDE側との関係を帰還先として登録する」


 紅林が言った。


「可能ですか」


 嵯峨野は答えない。


 荒木が笑う。


「答えへんいうことは、できるんやな」


「安定しません」


「安定させる」


「接続者全員が、管理者との関係を維持する必要があります」


「維持するで」


「一人でも拒絶すれば」


「その時は、その時や」


「関係は変化します」


「当たり前やろ」


 荒木の声が強くなる。


「変わってええねん」


 十二の家がざわめいた。


 千鳥が顔を上げる。


 家族でも。


 仲間でも。


 関係は変化する。


 近づく。


 離れる。


 戻る。


 終わる。


 それでも、自分たちで選ぶ。


「変わらん関係なんか、家が作った偽物と一緒や」


 荒木は胸元へ手を当てる。


「ワシの帰還先は、ワシが帰ろうと思える関係のある場所」


 未固定だった文字が動き始める。


 個別帰還先。


 関係接続網。


 登録候補。


 MDEサイト83。


 γ-9。


 新木慎介。


 千鳥。


 複数の名前と場所が浮かび、一つに固定されることなく、赤い線で繋がっていく。


 嵯峨野が叫んだ。


「登録を中止してください!」


「嫌や!」


「保管庫の制御が分散します!」


「それが目的や!」


「MDEへ管理権限が流出する!」


「知るか!」


 新木が観測盤へ両手を置く。


「隊長! こっちから登録を補助するで!」


「実行してください」


「神楽、サイト83の現行人員登録を接続!」


「了解」


「クライム、安全索を単なる物理線やなく、帰属線として固定!」


「方法を」


「血でも名前でもええ! 荒木とこっちが繋がっとる証拠を刻め!」


 クライムは一瞬考え、安全索の固定器へ自分の部隊識別票を差し込んだ。


 黒岡も。


 高峰も。


 神楽も。


 紅林も。


 一枚ずつ、識別票を固定装置へ重ねる。


 新木は車椅子のポーチを探り、自分の仮IDを投げた。


「荒木!」


「なんや!」


「五千円の借用書、まだ持っとるか!」


「財布の中や!」


「財布どこや!」


「お前の机の上!」


「ワシの財布やった!」


「どっちやねん!」


 荒木が腰の小型財布を探る。


 現場用の予備財布。


 中から折り畳まれた紙が一枚落ちた。


 以前、新木が冗談半分で書かせた借用書。


 荒木真介は、新木慎介より五千円を借用した。


 返済期限。


 未記入。


 保証人。


 なし。


 荒木が紙を広げる。


「これでええか!」


「最高や!」


「金返す気あるんか!」


「今それ聞く!?」


 荒木は借用書を安全索へ巻きつけた。


 紙が赤く光る。


 未完了の関係。


 だが、強制ではない。


 返す。


 返さない。


 請求する。


 忘れる。


 関係を続ける。


 終わらせる。


 後から変えることができる。


 家のように、同じ形へ固定されない。


 だからこそ、帰還先として成立する。


 個別帰還先。


 関係接続網。


 登録完了。


 荒木の胸元から、十三羽目の文字が消えた。


 代わりに新しい文字が浮かぶ。


 一時管理中継者。


 嵯峨野が後退した。


「不可能です」


「できとるやん」


「設計にありません」


「設計外の使い方、東雲重工業は得意やろ」


 荒木は嵯峨野へ手を伸ばした。


「お前も来い」


「私は管理機能です」


「元は人間やろ」


「現在は違います」


「それを自分で決めろ」


 千鳥が言った。


「機能のままでいるか」


「外に出るか」


 嵯峨野の背後。


 研究室の幻影が揺れる。


 妻。


 幼い子供。


 もう存在しないかもしれない。


 二十五年以上の時間が過ぎている。


 帰ったところで、待っている者はいない可能性が高い。


「帰る場所は、もうありません」


 嵯峨野が言った。


 千鳥は答える。


「私もない」


「では、なぜ外へ出るのです」


「自分で選べるから」


 嵯峨野は千鳥を見る。


 かつて自分が、初期管理者候補として選んだ少女。


 帰属が弱いという理由で、異常設備の中へ置き去りにした子供。


 長い沈黙。


 十二の家が揺れ、窓の中の人影が一斉に動き始める。


「管理者交代を中止」


 嵯峨野が言った。


 倉庫全体が震える。


「現管理者権限を、外部関係接続網へ移管します」


 胸元の旧式社章が割れた。


 内部から、木製の小鳥が一羽落ちる。


 羽には、嵯峨野宗一と刻まれていた。


「私は」


 嵯峨野は自分の手を見る。


「現時刻をもって、帰還先統合管理者を辞任します」


 十二の家が一斉に絶叫した。


「管理者がいなくなる」


「帰れない」


「出して」


「ここが家」


 嵯峨野の身体へ亀裂が入る。


 裂けた皮膚の下から現れたのは、肉ではなかった。


 紙。


 木。


 金属線。


 術式札。


 複数の素材が重なり、人間の形を作っている。


 長い時間をかけて、嵯峨野は保管庫の機能と一体化していた。


「荒木!」


 紅林が叫ぶ。


「引き戻します!」


「待ってください!」


 荒木は嵯峨野の腕をつかんだ。


「こいつも一緒に!」


「対象情報が不足しています!」


 神楽が端末を見る。


「生体反応なし! 人格構造も保管庫と重複しています!」


「切り離せ!」


 新木が叫ぶ。


「荒木、お前がこいつを人間として登録せえ!」


「どうやって!」


「名前、所属、役割、帰還先や!」


 荒木は嵯峨野を見る。


「名前!」


「嵯峨野宗一」


「所属!」


 嵯峨野が黙る。


 東雲重工業株式会社。


 旧空間構造研究部。


 だが、その部署はすでに存在しない。


 会社からも、社会からも切り離されている。


「ありません」


「ほな、なし!」


「登録できません!」


「千鳥は自分自身に帰属した!」


 荒木が叫ぶ。


「お前も自分に帰属せえ!」


 嵯峨野の目が揺れる。


「私は」


「役割!」


「管理者」


「辞めたやろ!」


「では」


 嵯峨野は言葉を失う。


 管理者ではない自分。


 機能ではない自分。


 二十五年以上、考える必要のなかったもの。


「人間」


 千鳥が言った。


「それでいい」


 嵯峨野は少女を見る。


 口元が震える。


「役割」


 彼はゆっくりと答えた。


「人間」


「帰還先!」


 荒木が尋ねる。


 嵯峨野は倉庫の外を見る。


 サイト83。


 知らない施設。


 自分へ銃を向ける職員たち。


 外へ出れば、拘束されるかもしれない。


 裁かれるかもしれない。


 家族はいない。


 会社もない。


 待つ者もいない。


「ありません」


「ほな、これから決めろ!」


 荒木は嵯峨野の腕を強く引く。


「ワシらと同じや!」


 嵯峨野の身体から、無数の線が剥がれ始めた。


 倉庫。


 家。


 棚。


 管理台座。


 あらゆる構造との接続が切れていく。


「帰還先」


 嵯峨野が呟く。


「これから選択する場所」


 登録が通った。


 クライムが巻き取り装置を最大出力へ切り替える。


「引くぞ!」


 黒岡。


 高峰。


 神楽。


 紅林。


 全員が安全索をつかむ。


 荒木の身体が解析室側へ引かれる。


 嵯峨野も一緒に。


 紙の扉が激しく揺れた。


 十二件の家が、棚から浮かび上がる。


「管理権限移管失敗」


 倉庫全体から声が響いた。


「構造物の帰還を開始します」


 家の模型が巨大化する。


 屋根が棚を突き破る。


 壁が倉庫の鉄骨を押し潰す。


 十二の玄関が同時に開いた。


 内部から、無数の手が伸びる。


「帰して」


「管理して」


「置いていかないで」


 手が嵯峨野の足へ絡みつく。


 荒木は片手で嵯峨野をつかみ、もう一方の手で伸びてくる腕を振り払った。


「新木!」


「今やっとる!」


 新木は観測盤へ十二件の構造情報を表示する。


「個別に保留領域へ送る! 一件ずつや!」


「時間がありません!」


 神楽が叫ぶ。


「まとめて送ったら、また一つの家族にされる!」


 新木は歯を食いしばる。


「別々にせなあかん!」


 一件目。


 木造住宅。


 個別隔離。


 二件目。


 集合住宅の一室。


 個別隔離。


 三件目。


 廃病院。


 個別隔離。


 新木の鼻から血が流れた。


 車椅子の上で身体が揺れる。


「新木」


 紅林が呼ぶ。


「問題ない!」


「まだ何も聞いていません」


「止めろ言うつもりやろ!」


 四件目。


 学校。


 個別隔離。


 五件目。


 山間部の工場。


 個別隔離。


 六件目。


 古い団地。


 個別隔離。


 観測盤の表面に亀裂が入る。


 七件目。


 新木の右目から血が流れた。


 八件目。


 保留領域から容量警告。


 九件目。


 サイト83の照明が激しく明滅する。


 十件目。


 紙の扉が閉じ始めた。


「あと二件!」


 新木が叫ぶ。


 荒木の身体は半分まで解析室へ戻っている。


 だが、嵯峨野はまだ倉庫側だった。


 無数の手が、腕や足へ絡みついている。


「放してください」


 嵯峨野が言った。


「嫌や!」


「私は十分です」


「勝手に満足すんな!」


「二百四十三名を見捨てました」


「ほな、外へ出てから責任取れ!」


「責任を取る資格がありません」


「資格制やない!」


 十一件目。


 個別隔離。


 最後の一件が残る。


 最も大きな模型。


 東雲重工業旧空間構造研究所。


 窓の中には、白衣を着た研究員たちがいた。


 全員がこちらを見ている。


 その中央には、若い嵯峨野宗一が立っていた。


「最後、お前の家や!」


 新木が叫ぶ。


 嵯峨野が振り返る。


 研究所の玄関。


 若い同僚。


 かつての職場。


 家族と過ごした時間よりも長く、自分の全てを捧げた場所。


「帰還を確認」


 保管庫の声。


「管理者、嵯峨野宗一」


 嵯峨野の身体が、再び倉庫側へ引かれた。


「ちゃう!」


 荒木が叫ぶ。


「お前はもう管理者やない!」


「帰還先、旧空間構造研究所」


「それは昔の話や!」


 荒木は嵯峨野の胸ぐらをつかむ。


「今のお前が決めた場所ちゃう!」


 嵯峨野の顔が歪む。


 帰りたい。


 だが、戻れば再び管理者になる。


 同じ時間。


 同じ職場。


 変化しない研究所。


 永遠に続く観測。


「選べ!」


 荒木が叫ぶ。


「昔に戻るんか!」


 千鳥も叫ぶ。


「外に出るんか!」


 嵯峨野は研究所を見る。


 若い自分が、窓の中から手を伸ばしていた。


「戻れ」


「研究を続けろ」


「結果を完成させろ」


 声は嵯峨野自身のものだった。


 捨てられなかった執着。


 帰りたい場所ではなく、戻ってやり直したい時間。


 嵯峨野は目を閉じた。


「隔離してください」


 新木が手を止める。


「ええんか」


「はい」


「二度と戻れへんかもしれん」


「はい」


「研究も」


「終わりです」


 嵯峨野は目を開く。


「旧空間構造研究所を、帰還先から除外します」


 新木が最後の入力を行った。


「個別隔離!」


 研究所が白い光へ包まれる。


 窓の中の若い嵯峨野が歪んだ。


 笑顔。


 怒り。


 恐怖。


 最後に、何の感情もない顔へ戻る。


 模型が消えた。


 十二件目。


 隔離完了。


 保管庫全体が崩れ始める。


「今や!」


 クライムが巻き取り装置を作動させた。


 荒木と嵯峨野の身体が、一気に解析室へ引き戻される。


 紙の扉が閉じる。


 嵯峨野の足首へ、最後の木製の手が絡みついた。


 紅林が発砲する。


 手が砕ける。


 荒木が解析室の床へ転がった。


 嵯峨野も、その上へ倒れ込む。


「重い!」


「申し訳ありません」


「謝る余裕あるなら退け!」


 神楽と黒岡が二人を引き離す。


 紙の扉が完全に閉じ、白い封筒へ戻った。


 封筒の表面。


 荒木真介様という宛名に、黒い線が引かれる。


 受領済み。


 その下に新しい文字が現れた。


 管理者登録失敗。


 外部移管処理完了。


 封筒は端から灰へ変わっていく。


 最後に、木製の小鳥が一羽だけ残った。


 腹部には名前がない。


 小鳥は床へ降りる。


 荒木を見る。


 嵯峨野を見る。


 千鳥を見る。


 そして、解析室にいる全員へ向けて首を傾げた。


「十三羽目が不在です」


 新木が観測盤から顔を上げる。


「不在やない」


 荒い息を吐きながら答えた。


「分散したんや」


 小鳥は理解しない。


「十三羽目が必要です」


「いらん」


「管理者不在は認められません」


「ほな、認めんでええ」


 新木は笑った。


「こっちは勝手にやる」


 小鳥の身体に亀裂が入る。


 内部から、赤い光が漏れた。


「管理者不在」


「帰還不能」


「構造維持不能」


「新規候補を検索します」


 紅林が銃を上げる。


「停止してください」


「候補を確認」


 小鳥の腹部に文字が浮かぶ。


 荒木ではない。


 新木でも。


 紅林でもない。


 最初の一文字。


 千。


 千鳥の身体が硬直する。


「また私?」


 次の文字。


 鳥。


 千鳥。


 だが、その後も表示は続いた。


 千鳥。


 帰還先。


 自分で選べる場所。


 役割。


 帰らない者。


 管理者適性。


 不適合。


 文字に黒い線が引かれる。


 小鳥は次の候補を探す。


 紅林澪奈。


 不適合。


 新木慎介。


 不適合。


 荒木真介。


 不適合。


 神楽。


 黒岡。


 メアリー。


 クライム。


 高峰。


 嵯峨野宗一。


 全員に、不適合の文字が刻まれる。


「なぜです」


 神楽が尋ねる。


 新木が観測盤を確認した。


「もう皆、帰還先を一つに固定できへん」


「関係接続網の影響ですか」


「せや」


 小鳥は解析室を見回す。


 候補がいない。


 十三羽目が見つからない。


 身体の亀裂が広がる。


「管理者不在」


「管理者不在」


「管理者不在」


 声が増えていく。


 一羽の小鳥から、何人もの声が聞こえる。


 子供。


 老人。


 男。


 女。


 家族。


 職員。


 そして最後に、小鳥は告げた。


「では、家を管理者とします」


 全員の表情が変わる。


 解析室中央。


 黒い隔離立方体の表面に、白い点が一つ浮かんだ。


 家そのものが。


 自分自身の管理者になる。


 帰属を強制する構造が。


 自ら帰還先を選べるようになる。


「まずい!」


 新木が叫ぶ。


 黒い立方体の表面に亀裂が走る。


 内部から、十三羽の小鳥の声が響いた。


「おかえりなさい」


 封じたはずの家が、管理者として目を覚ます。


 嵯峨野が床から顔を上げた。


 その目に、初めて明確な恐怖が浮かんでいる。


「家に管理権限を与えてはいけません」


「止める方法は」


 紅林が尋ねる。


 嵯峨野は、亀裂の入った木製の小鳥を見る。


「十三羽目を消す」


「管理者候補を全てですか」


「違います」


 嵯峨野は答えた。


「十三という枠そのものを、破壊してください」


 黒い立方体の亀裂が広がる。


 内側から、玄関の輪郭が浮かび上がった。


 柱。


 扉。


 表札。


 取っ手がゆっくりと回る。


 がちゃり。


 扉が開く直前。


 サイト83の館内放送が、再び起動した。


『管理者の帰宅を確認しました』


『全構造物の帰還を開始します』


 黒い立方体の向こうで、十二件の隔離領域が一斉にサイト83へ接続された。


 廊下の壁に。


 天井に。


 床下に。


 十二の玄関が現れる。


 木造住宅。


 団地。


 学校。


 病院。


 工場。


 研究施設。


 それぞれの扉の向こうから、帰宅を求める声が響いている。


 そして中央。


 十三番目の玄関が、ゆっくりと形を取った。


 他の十二件よりも大きい。


 どの家にも似ていない。


 同時に、あらゆる家の記憶を重ね合わせた形をしている。


 その表札には。


 ただ一文字だけが刻まれていた。


 家。

次回予告


第十二章 帰ってきた家


10月8日21時投稿予定

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