第十一章 十三羽目
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荒木真介は、倉庫の床へ膝をついた。
十二の家から流れ込んでくる情報が、頭蓋の内側を埋め尽くしている。
家族。
住人。
建物。
土地。
記憶。
災害。
死。
帰れなかった者。
声だけではない。家を建てた時の音。柱へ刻まれた傷。壁紙の裏に残った落書き。最後に玄関を閉めた者の手の感触。
それら全てが、荒木自身の記憶であるかのように押し寄せてくる。
「帰して」
「出して」
「ここが家です」
「あなたが管理者です」
「私たちを置いていかないで」
十二件分の帰属認識が、荒木一人へ接続されていく。
胸元の赤い文字が脈打った。
帰還先統合管理者。
十三羽目。
その下には、まだ未完成の項目が残っている。
個別帰還先。
未固定。
「荒木!」
紅林の声が、紙の扉の向こうから聞こえる。
「名前を答えてください!」
荒木は床へ手をつき、どうにか顔を上げた。
「荒木、真介」
「所属」
「MDE、サイト83」
「役割」
答えようとした瞬間、別の言葉が頭に浮かぶ。
管理者。
十三羽目。
十二の家を維持する者。
帰ることを許されない者。
荒木は歯を食いしばり、その言葉を飲み込んだ。
「研究員」
「帰還先」
「まだ」
家々が一斉に軋んだ。
「ここです」
「あなたの家です」
「管理者は帰れません」
「ここにいてください」
荒木は両手で頭を押さえる。
「まだ、決めてへん」
嵯峨野宗一が荒木へ近づいた。
足音はする。
だが床板は軋まない。
男は荒木の前へ膝をつき、胸元に手を当てた。
「管理者の個別帰還先は不要です」
「お前が決めんな」
「管理者は保管庫へ帰属します」
「嫌や」
「十二件を維持するためです」
「知らん」
「内部人格が失われます」
荒木の動きが止まった。
嵯峨野は、そこへ正確に言葉を差し込んでくる。
「あなたが残れば、救出できます」
「何年かかる」
「算定不能です」
「その間、ワシはどうなる」
「管理者として維持されます」
「歳は取るんか」
「肉体時間は停止します」
「外には出られる」
「保管庫の管理に必要な場合のみ」
「人間やなくなるやんけ」
「必要な機能は維持されます」
荒木は笑った。
乾いた笑いだった。
「東雲は、人間を機能で見るんやな」
「必要な機能を評価しています」
「ほな、お前も機能なんか」
嵯峨野は答えない。
「二十五年以上、ここにおったんやろ」
「はい」
「生きとるんか」
「機能しています」
「答えになってへん」
荒木は嵯峨野の手首をつかんだ。
冷たい。
脈がない。
人間の皮膚に似ているだけで、体温が存在しなかった。
「お前が最初の十三羽目やったんちゃうか」
嵯峨野の眼鏡に、倉庫の照明が反射する。
表情は見えない。
解析室側で、新木が術式観測盤をのぞき込んだ。
嵯峨野の周囲に、人間の生体反応はない。代わりに確認できるのは、管理術式、受領証、帰還先固定、構造維持命令。
何重もの異常処理が、嵯峨野宗一という形を作っている。
「そうか」
新木が呟いた。
「こいつ、送り主やない」
「何です」
紅林が尋ねる。
「前の管理者や」
荒木にも聞こえた。
嵯峨野の手に、わずかな力が入る。
「後任を探しとった」
「違います」
「自分が外へ出るために」
「違います」
「荒木へ渡したら、お前は解放される」
「違います!」
初めて。
嵯峨野の声に、明確な感情が混じった。
否定。
焦り。
恐怖。
「管理者の交代は、運用上必要です」
「何年ここにおった」
荒木が尋ねる。
「回答できません」
「二十五年以上か」
「回答できません」
「帰りたいんか」
嵯峨野の顔が歪んだ。
倉庫の照明が一斉に明滅する。十二の家がざわめき、窓の中の人影が一斉に動きを止めた。
嵯峨野の背後。
空だった中央台座に、一つの部屋が浮かび上がる。
研究室。
机。
書類。
観測機器。
部屋の中央には、若い頃の嵯峨野が立っていた。
窓の外では、妻と思われる女性と幼い子供が待っている。
「帰りたいんやろ」
荒木が言った。
「違います」
「嘘をつく必要あるんか」
「あります」
嵯峨野は答えた。
あまりにも素直な返答だった。
「管理者が帰還を望んだ場合、保管庫はその場所を全構造物の帰還先として認識します」
「お前が家族のところへ帰りたいと思ったら」
「十二件全てが展開されます」
「せやから、帰りたいと思わんようにしとった」
「はい」
「自分を人間やなく、機能やと思い込んで」
「はい」
千鳥が紙の扉の前へ近づいた。
「私と同じ」
嵯峨野が少女を見る。
「違います」
「帰りたくないんじゃなくて、帰りたいって思えなくされた」
「違います」
「同じ」
千鳥は繰り返した。
嵯峨野の表情が崩れる。
長い年月。
十二件の構造物を管理するため。
それらを現実へ展開させないため。
自分の帰属を削り。
家族への記憶を切り離し。
帰りたいという願いを否定し続けた。
人間ではなく、管理機能として存在することでしか、保管庫を維持できなかった。
そして限界を迎えた。
後任を選んだ。
荒木を。
「受け取った人へ押しつけたら、自分は帰れると思った?」
千鳥が尋ねる。
「運用上必要な交代です」
「帰りたい?」
「回答できません」
「帰りたいんでしょ」
「回答できません」
荒木は嵯峨野の腕を放した。
「ワシは、お前の代わりにはならへん」
「受領は完了しています」
「条件はまだや」
胸元の文字。
個別帰還先、未固定。
管理者登録は完成していない。
「せやけど、お前をここに残す気もない」
嵯峨野が顔を上げた。
「何をするつもりです」
「十三番目の帰還先を、二人分にする」
「不可能です」
「二人とは言うてへん」
荒木は倉庫を見回した。
十二の家。
保管庫。
嵯峨野。
自分。
そして、紙の扉の向こうにいる者たち。
「管理者の帰還先を、人や場所にせえへん」
「では、何に」
「関係や」
嵯峨野が黙る。
「ワシ一人が背負うんやない」
荒木は腰に接続された安全索をつかんだ。
倉庫と解析室を繋ぐ線。
クライム。
黒岡。
高峰。
その先にいる紅林。
新木。
神楽。
千鳥。
「この線が繋がっとる間だけ、ワシは管理者になる」
「一時管理」
新木が荒木の意図を理解する。
「外部に帰属点を分散するんや」
「管理者を保管庫へ固定するのではなく、MDE側との関係を帰還先として登録する」
紅林が言った。
「可能ですか」
嵯峨野は答えない。
荒木が笑う。
「答えへんいうことは、できるんやな」
「安定しません」
「安定させる」
「接続者全員が、管理者との関係を維持する必要があります」
「維持するで」
「一人でも拒絶すれば」
「その時は、その時や」
「関係は変化します」
「当たり前やろ」
荒木の声が強くなる。
「変わってええねん」
十二の家がざわめいた。
千鳥が顔を上げる。
家族でも。
仲間でも。
関係は変化する。
近づく。
離れる。
戻る。
終わる。
それでも、自分たちで選ぶ。
「変わらん関係なんか、家が作った偽物と一緒や」
荒木は胸元へ手を当てる。
「ワシの帰還先は、ワシが帰ろうと思える関係のある場所」
未固定だった文字が動き始める。
個別帰還先。
関係接続網。
登録候補。
MDEサイト83。
γ-9。
新木慎介。
千鳥。
複数の名前と場所が浮かび、一つに固定されることなく、赤い線で繋がっていく。
嵯峨野が叫んだ。
「登録を中止してください!」
「嫌や!」
「保管庫の制御が分散します!」
「それが目的や!」
「MDEへ管理権限が流出する!」
「知るか!」
新木が観測盤へ両手を置く。
「隊長! こっちから登録を補助するで!」
「実行してください」
「神楽、サイト83の現行人員登録を接続!」
「了解」
「クライム、安全索を単なる物理線やなく、帰属線として固定!」
「方法を」
「血でも名前でもええ! 荒木とこっちが繋がっとる証拠を刻め!」
クライムは一瞬考え、安全索の固定器へ自分の部隊識別票を差し込んだ。
黒岡も。
高峰も。
神楽も。
紅林も。
一枚ずつ、識別票を固定装置へ重ねる。
新木は車椅子のポーチを探り、自分の仮IDを投げた。
「荒木!」
「なんや!」
「五千円の借用書、まだ持っとるか!」
「財布の中や!」
「財布どこや!」
「お前の机の上!」
「ワシの財布やった!」
「どっちやねん!」
荒木が腰の小型財布を探る。
現場用の予備財布。
中から折り畳まれた紙が一枚落ちた。
以前、新木が冗談半分で書かせた借用書。
荒木真介は、新木慎介より五千円を借用した。
返済期限。
未記入。
保証人。
なし。
荒木が紙を広げる。
「これでええか!」
「最高や!」
「金返す気あるんか!」
「今それ聞く!?」
荒木は借用書を安全索へ巻きつけた。
紙が赤く光る。
未完了の関係。
だが、強制ではない。
返す。
返さない。
請求する。
忘れる。
関係を続ける。
終わらせる。
後から変えることができる。
家のように、同じ形へ固定されない。
だからこそ、帰還先として成立する。
個別帰還先。
関係接続網。
登録完了。
荒木の胸元から、十三羽目の文字が消えた。
代わりに新しい文字が浮かぶ。
一時管理中継者。
嵯峨野が後退した。
「不可能です」
「できとるやん」
「設計にありません」
「設計外の使い方、東雲重工業は得意やろ」
荒木は嵯峨野へ手を伸ばした。
「お前も来い」
「私は管理機能です」
「元は人間やろ」
「現在は違います」
「それを自分で決めろ」
千鳥が言った。
「機能のままでいるか」
「外に出るか」
嵯峨野の背後。
研究室の幻影が揺れる。
妻。
幼い子供。
もう存在しないかもしれない。
二十五年以上の時間が過ぎている。
帰ったところで、待っている者はいない可能性が高い。
「帰る場所は、もうありません」
嵯峨野が言った。
千鳥は答える。
「私もない」
「では、なぜ外へ出るのです」
「自分で選べるから」
嵯峨野は千鳥を見る。
かつて自分が、初期管理者候補として選んだ少女。
帰属が弱いという理由で、異常設備の中へ置き去りにした子供。
長い沈黙。
十二の家が揺れ、窓の中の人影が一斉に動き始める。
「管理者交代を中止」
嵯峨野が言った。
倉庫全体が震える。
「現管理者権限を、外部関係接続網へ移管します」
胸元の旧式社章が割れた。
内部から、木製の小鳥が一羽落ちる。
羽には、嵯峨野宗一と刻まれていた。
「私は」
嵯峨野は自分の手を見る。
「現時刻をもって、帰還先統合管理者を辞任します」
十二の家が一斉に絶叫した。
「管理者がいなくなる」
「帰れない」
「出して」
「ここが家」
嵯峨野の身体へ亀裂が入る。
裂けた皮膚の下から現れたのは、肉ではなかった。
紙。
木。
金属線。
術式札。
複数の素材が重なり、人間の形を作っている。
長い時間をかけて、嵯峨野は保管庫の機能と一体化していた。
「荒木!」
紅林が叫ぶ。
「引き戻します!」
「待ってください!」
荒木は嵯峨野の腕をつかんだ。
「こいつも一緒に!」
「対象情報が不足しています!」
神楽が端末を見る。
「生体反応なし! 人格構造も保管庫と重複しています!」
「切り離せ!」
新木が叫ぶ。
「荒木、お前がこいつを人間として登録せえ!」
「どうやって!」
「名前、所属、役割、帰還先や!」
荒木は嵯峨野を見る。
「名前!」
「嵯峨野宗一」
「所属!」
嵯峨野が黙る。
東雲重工業株式会社。
旧空間構造研究部。
だが、その部署はすでに存在しない。
会社からも、社会からも切り離されている。
「ありません」
「ほな、なし!」
「登録できません!」
「千鳥は自分自身に帰属した!」
荒木が叫ぶ。
「お前も自分に帰属せえ!」
嵯峨野の目が揺れる。
「私は」
「役割!」
「管理者」
「辞めたやろ!」
「では」
嵯峨野は言葉を失う。
管理者ではない自分。
機能ではない自分。
二十五年以上、考える必要のなかったもの。
「人間」
千鳥が言った。
「それでいい」
嵯峨野は少女を見る。
口元が震える。
「役割」
彼はゆっくりと答えた。
「人間」
「帰還先!」
荒木が尋ねる。
嵯峨野は倉庫の外を見る。
サイト83。
知らない施設。
自分へ銃を向ける職員たち。
外へ出れば、拘束されるかもしれない。
裁かれるかもしれない。
家族はいない。
会社もない。
待つ者もいない。
「ありません」
「ほな、これから決めろ!」
荒木は嵯峨野の腕を強く引く。
「ワシらと同じや!」
嵯峨野の身体から、無数の線が剥がれ始めた。
倉庫。
家。
棚。
管理台座。
あらゆる構造との接続が切れていく。
「帰還先」
嵯峨野が呟く。
「これから選択する場所」
登録が通った。
クライムが巻き取り装置を最大出力へ切り替える。
「引くぞ!」
黒岡。
高峰。
神楽。
紅林。
全員が安全索をつかむ。
荒木の身体が解析室側へ引かれる。
嵯峨野も一緒に。
紙の扉が激しく揺れた。
十二件の家が、棚から浮かび上がる。
「管理権限移管失敗」
倉庫全体から声が響いた。
「構造物の帰還を開始します」
家の模型が巨大化する。
屋根が棚を突き破る。
壁が倉庫の鉄骨を押し潰す。
十二の玄関が同時に開いた。
内部から、無数の手が伸びる。
「帰して」
「管理して」
「置いていかないで」
手が嵯峨野の足へ絡みつく。
荒木は片手で嵯峨野をつかみ、もう一方の手で伸びてくる腕を振り払った。
「新木!」
「今やっとる!」
新木は観測盤へ十二件の構造情報を表示する。
「個別に保留領域へ送る! 一件ずつや!」
「時間がありません!」
神楽が叫ぶ。
「まとめて送ったら、また一つの家族にされる!」
新木は歯を食いしばる。
「別々にせなあかん!」
一件目。
木造住宅。
個別隔離。
二件目。
集合住宅の一室。
個別隔離。
三件目。
廃病院。
個別隔離。
新木の鼻から血が流れた。
車椅子の上で身体が揺れる。
「新木」
紅林が呼ぶ。
「問題ない!」
「まだ何も聞いていません」
「止めろ言うつもりやろ!」
四件目。
学校。
個別隔離。
五件目。
山間部の工場。
個別隔離。
六件目。
古い団地。
個別隔離。
観測盤の表面に亀裂が入る。
七件目。
新木の右目から血が流れた。
八件目。
保留領域から容量警告。
九件目。
サイト83の照明が激しく明滅する。
十件目。
紙の扉が閉じ始めた。
「あと二件!」
新木が叫ぶ。
荒木の身体は半分まで解析室へ戻っている。
だが、嵯峨野はまだ倉庫側だった。
無数の手が、腕や足へ絡みついている。
「放してください」
嵯峨野が言った。
「嫌や!」
「私は十分です」
「勝手に満足すんな!」
「二百四十三名を見捨てました」
「ほな、外へ出てから責任取れ!」
「責任を取る資格がありません」
「資格制やない!」
十一件目。
個別隔離。
最後の一件が残る。
最も大きな模型。
東雲重工業旧空間構造研究所。
窓の中には、白衣を着た研究員たちがいた。
全員がこちらを見ている。
その中央には、若い嵯峨野宗一が立っていた。
「最後、お前の家や!」
新木が叫ぶ。
嵯峨野が振り返る。
研究所の玄関。
若い同僚。
かつての職場。
家族と過ごした時間よりも長く、自分の全てを捧げた場所。
「帰還を確認」
保管庫の声。
「管理者、嵯峨野宗一」
嵯峨野の身体が、再び倉庫側へ引かれた。
「ちゃう!」
荒木が叫ぶ。
「お前はもう管理者やない!」
「帰還先、旧空間構造研究所」
「それは昔の話や!」
荒木は嵯峨野の胸ぐらをつかむ。
「今のお前が決めた場所ちゃう!」
嵯峨野の顔が歪む。
帰りたい。
だが、戻れば再び管理者になる。
同じ時間。
同じ職場。
変化しない研究所。
永遠に続く観測。
「選べ!」
荒木が叫ぶ。
「昔に戻るんか!」
千鳥も叫ぶ。
「外に出るんか!」
嵯峨野は研究所を見る。
若い自分が、窓の中から手を伸ばしていた。
「戻れ」
「研究を続けろ」
「結果を完成させろ」
声は嵯峨野自身のものだった。
捨てられなかった執着。
帰りたい場所ではなく、戻ってやり直したい時間。
嵯峨野は目を閉じた。
「隔離してください」
新木が手を止める。
「ええんか」
「はい」
「二度と戻れへんかもしれん」
「はい」
「研究も」
「終わりです」
嵯峨野は目を開く。
「旧空間構造研究所を、帰還先から除外します」
新木が最後の入力を行った。
「個別隔離!」
研究所が白い光へ包まれる。
窓の中の若い嵯峨野が歪んだ。
笑顔。
怒り。
恐怖。
最後に、何の感情もない顔へ戻る。
模型が消えた。
十二件目。
隔離完了。
保管庫全体が崩れ始める。
「今や!」
クライムが巻き取り装置を作動させた。
荒木と嵯峨野の身体が、一気に解析室へ引き戻される。
紙の扉が閉じる。
嵯峨野の足首へ、最後の木製の手が絡みついた。
紅林が発砲する。
手が砕ける。
荒木が解析室の床へ転がった。
嵯峨野も、その上へ倒れ込む。
「重い!」
「申し訳ありません」
「謝る余裕あるなら退け!」
神楽と黒岡が二人を引き離す。
紙の扉が完全に閉じ、白い封筒へ戻った。
封筒の表面。
荒木真介様という宛名に、黒い線が引かれる。
受領済み。
その下に新しい文字が現れた。
管理者登録失敗。
外部移管処理完了。
封筒は端から灰へ変わっていく。
最後に、木製の小鳥が一羽だけ残った。
腹部には名前がない。
小鳥は床へ降りる。
荒木を見る。
嵯峨野を見る。
千鳥を見る。
そして、解析室にいる全員へ向けて首を傾げた。
「十三羽目が不在です」
新木が観測盤から顔を上げる。
「不在やない」
荒い息を吐きながら答えた。
「分散したんや」
小鳥は理解しない。
「十三羽目が必要です」
「いらん」
「管理者不在は認められません」
「ほな、認めんでええ」
新木は笑った。
「こっちは勝手にやる」
小鳥の身体に亀裂が入る。
内部から、赤い光が漏れた。
「管理者不在」
「帰還不能」
「構造維持不能」
「新規候補を検索します」
紅林が銃を上げる。
「停止してください」
「候補を確認」
小鳥の腹部に文字が浮かぶ。
荒木ではない。
新木でも。
紅林でもない。
最初の一文字。
千。
千鳥の身体が硬直する。
「また私?」
次の文字。
鳥。
千鳥。
だが、その後も表示は続いた。
千鳥。
帰還先。
自分で選べる場所。
役割。
帰らない者。
管理者適性。
不適合。
文字に黒い線が引かれる。
小鳥は次の候補を探す。
紅林澪奈。
不適合。
新木慎介。
不適合。
荒木真介。
不適合。
神楽。
黒岡。
メアリー。
クライム。
高峰。
嵯峨野宗一。
全員に、不適合の文字が刻まれる。
「なぜです」
神楽が尋ねる。
新木が観測盤を確認した。
「もう皆、帰還先を一つに固定できへん」
「関係接続網の影響ですか」
「せや」
小鳥は解析室を見回す。
候補がいない。
十三羽目が見つからない。
身体の亀裂が広がる。
「管理者不在」
「管理者不在」
「管理者不在」
声が増えていく。
一羽の小鳥から、何人もの声が聞こえる。
子供。
老人。
男。
女。
家族。
職員。
そして最後に、小鳥は告げた。
「では、家を管理者とします」
全員の表情が変わる。
解析室中央。
黒い隔離立方体の表面に、白い点が一つ浮かんだ。
家そのものが。
自分自身の管理者になる。
帰属を強制する構造が。
自ら帰還先を選べるようになる。
「まずい!」
新木が叫ぶ。
黒い立方体の表面に亀裂が走る。
内部から、十三羽の小鳥の声が響いた。
「おかえりなさい」
封じたはずの家が、管理者として目を覚ます。
嵯峨野が床から顔を上げた。
その目に、初めて明確な恐怖が浮かんでいる。
「家に管理権限を与えてはいけません」
「止める方法は」
紅林が尋ねる。
嵯峨野は、亀裂の入った木製の小鳥を見る。
「十三羽目を消す」
「管理者候補を全てですか」
「違います」
嵯峨野は答えた。
「十三という枠そのものを、破壊してください」
黒い立方体の亀裂が広がる。
内側から、玄関の輪郭が浮かび上がった。
柱。
扉。
表札。
取っ手がゆっくりと回る。
がちゃり。
扉が開く直前。
サイト83の館内放送が、再び起動した。
『管理者の帰宅を確認しました』
『全構造物の帰還を開始します』
黒い立方体の向こうで、十二件の隔離領域が一斉にサイト83へ接続された。
廊下の壁に。
天井に。
床下に。
十二の玄関が現れる。
木造住宅。
団地。
学校。
病院。
工場。
研究施設。
それぞれの扉の向こうから、帰宅を求める声が響いている。
そして中央。
十三番目の玄関が、ゆっくりと形を取った。
他の十二件よりも大きい。
どの家にも似ていない。
同時に、あらゆる家の記憶を重ね合わせた形をしている。
その表札には。
ただ一文字だけが刻まれていた。
家。
次回予告
第十二章 帰ってきた家
10月8日21時投稿予定




