第十章 帰還先統合管理者
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倉庫の中央に立つ男は、荒木真介だけを見ていた。
「お待ちしておりました。荒木真介様」
紅林澪奈が銃口を男へ向ける。
「所属と氏名を」
男は紅林を一瞥した。しかし、答えようとはしなかった。
「受取人以外と会話する許可はありません」
「ここはMDE管理区域です」
「正確には、当保管庫への接続口です」
「接続口が存在している場所はサイト83です。こちらの指示に従ってください」
「受取人以外と会話する許可はありません」
男の返答は一定だった。
鬼灯産業の担当者ほど機械的ではない。声には人間らしい抑揚がある。それでも、紅林の命令を受け入れる様子はなかった。
荒木がため息をつく。
「皆そんなんばっかりやな」
男は荒木へ視線を戻す。
「受領確認をお願いします」
「その前に名前を教えてください」
「東雲重工業株式会社、旧空間構造研究部所属」
男は一礼した。
「嵯峨野宗一です」
千鳥の身体が震えた。
「あの人」
嵯峨野は初めて千鳥を見る。
眼鏡の奥の目が、わずかに見開かれた。
「試験付属人格」
「違います」
紅林が即座に訂正する。
だが、嵯峨野は彼女へ反応しない。視線を千鳥に向けたまま言葉を続ける。
「残っていたのですか」
千鳥は嵯峨野を睨んだ。
「私を知ってるの」
「記録上は」
「小鳥箱を持ってきたの、あなた?」
「はい」
解析室の空気が凍りつく。
榛名は、小鳥箱が輸送中に紛失したと説明していた。
不正流出。
個人売買。
柊木家への偶発的な流入。
だが、目の前の男は、自分が直接持ち込んだと認めた。
「不正流出ではなかった」
紅林が言った。
嵯峨野は彼女を見ようとしない。
「受取人へ説明します」
「ワシを通せば話すんやな」
荒木が確かめる。
「はい」
「ほな、ワシが聞きます」
荒木は一歩前へ出た。
腰へ接続された安全索が張る。クライムが固定装置を確認し、わずかに巻き戻した。
「小鳥箱を柊木家へ置いたんは、意図的やったんですか」
「はい」
「試験のために?」
「はい」
「柊木家には説明したんですか」
「一部のみ」
「何を説明した」
「家を守る装置であると」
「何から」
「喪失からです」
千鳥が小さく息をのむ。
嵯峨野は淡々と続ける。
「家族構成員の死亡、離別、転居、記憶変質。家という構造を不安定にする要素を検出し、帰属関係を補正します」
「補正て何や」
「欠員を帰還させます」
「死んだ人間を?」
「当時の試作品単体に、その機能はありません」
「鬼灯産業の設備を、後から入れた」
「当方は関与していません」
「ほんまですか」
「はい」
「東雲重工業は、必要なら嘘をつくんやろ」
嵯峨野の口元が、わずかに動いた。
「必要であれば」
「今は必要ですか」
「いいえ」
「なら、そこは信じます」
紅林が荒木を見る。
荒木は嵯峨野を信用したわけではない。相手が嘘をつく条件を確かめ、その上で話を進めようとしている。
「鬼灯産業の設備が導入されたのは偶然」
「はい」
「それで二つの設備が干渉した」
「はい」
「止めに来んかった理由は」
「観測を継続したためです」
千鳥が一歩前へ出ようとする。
黒岡がそっと肩を押さえた。
「観測?」
荒木が繰り返す。
「事故やと分かってたのに」
「異常技術史上、極めて重要な事例でした」
「人が取り込まれとるのに」
「はい」
「子供が閉じ込められとるのに」
「はい」
嵯峨野の声は変わらない。
後悔も。
弁明も。
罪悪感もなかった。
ただ記録された事実を読み上げている。
「救出を試みなかった」
「試みました」
「いつ」
「初期段階で三度」
「失敗した」
「はい」
「その後は」
「観測対象の崩壊を避けるため、直接介入を停止しました」
新木が車椅子の肘掛けを強く握る。
「ふざけんな」
嵯峨野は反応しない。
荒木以外の言葉は、最初から存在しないものとして扱っている。
「何人死んだ」
荒木が尋ねた。
「死亡の定義によります」
「人として戻れへんようになった数や」
「当保管庫の記録では、二百四十三名」
人格結晶として救出されたのは二百三十一名。
未応答者の数を含めても、記録は一致しない。
「MDEが回収できてへん人は、どこにいる」
嵯峨野は背後の棚を見た。
無数に並ぶ家の模型。
窓の中で、小さな人影が動いている。
「帰還済みです」
「どこへ」
「それぞれの家へ」
「その家は、どこにある」
「当保管庫です」
荒木の顔から表情が消えた。
棚に並ぶのは模型ではない。
帰還誘導器によって回収され、縮小された建造物。
そして、その内部に残された人間たち。
「これ全部」
荒木は倉庫を見回した。
「実験した家か」
「全てではありません」
「ほな何や」
「回収された構造物です」
「何件ある」
「現在、十二件」
新木が息をのんだ。
「十二」
倉庫の左右へ並ぶ十二件の構造物。
木造住宅。
集合住宅。
学校。
病院。
工場。
研究施設。
用途も規模も異なる建造物が、同じ保管庫へ並べられている。
「柊木家が十三件目」
紅林が言った。
嵯峨野が初めて彼女を見る。
許可されていない相手へ向けた、ほんの一瞬の視線。
その反応だけで、紅林の推測が核心に近いことが分かった。
「十三件目ではありません」
嵯峨野が答えた。
「では、何です」
荒木が尋ねる。
「本試験は、十三件を一組として実施されます」
「十二の家と」
荒木は嫌な予感を覚えながら続けた。
「一人の管理者」
「はい」
倉庫の奥。
十二の家に囲まれた中央に、空の台座がある。
人一人が立てるほどの円形の台。床には、小鳥の足跡に似た印が十三個刻まれていた。
「十三羽目は、人間や」
新木が呟く。
「家を運ぶための管理者」
嵯峨野が荒木を見る。
「正確には、帰還先統合管理者です」
「ワシを、あそこに置く気か」
「はい」
荒木は笑わなかった。
「なんでワシや」
「適性を確認しました」
「いつ」
「サイト83帰還事象中です」
「勝手に調べたんか」
「装置が自動的に判定しました」
「適性の条件は」
「複数の帰属関係を維持しながら、いずれにも自己を完全帰属させないこと」
荒木は黙る。
「家族がいる」
「はい」
「MDEに所属している」
「はい」
「新木慎介との未完了関係がある」
「五千円やぞ」
「金額は重要ではありません」
「そこはほんまに重要ちゃうな」
新木が小声で言う。
「黙っとけ」
嵯峨野は続ける。
「荒木真介様は、家族、職場、友人関係のいずれも切断していません」
「普通やろ」
「しかし、いずれも帰還先として絶対視していない」
「悪かったな」
「悪いとは申し上げていません」
「何が適性なんや」
「家を持たない者ほど、多数の家を管理できます」
荒木の目が細くなる。
「自分の帰る場所がない人間を、他人の家の番人にする」
「簡潔に表現すれば」
「最低やな」
「効率的です」
千鳥が黒岡の手を振り払い、一歩前へ出た。
「私も、そうだったの」
嵯峨野が少女を見る。
「あなたは初期管理者候補でした」
「子供なのに」
「帰属が弱かったためです」
「家族が怖かったから?」
「当時の記録では、家族集団への帰属意識が低く、自己保存傾向が強いと評価されています」
「それで、十三羽目にしたの」
「はい」
千鳥の手が震える。
家族を恐れていた。
帰りたくないと願っていた。
助けを求めることもできず、ただ外へ出たがっていた。
その感情を、東雲重工業は救難信号として扱わなかった。
管理者への適性と評価した。
紅林が千鳥の前へ立つ。
「それ以上は後で聞きます」
「今聞きたい」
「あなたを傷つけるための説明です」
「もう傷ついてる」
「だからです」
千鳥は紅林の背中を見る。
少しだけ黙り、それ以上前へ進むのをやめた。
館内放送が響く。
『保管期限まで、残り三分です』
荒木が嵯峨野を見る。
「受け取らんかったら、実家へ転送するんやな」
「はい」
「受け取ったら、ワシが管理者になる」
「はい」
「断る方法は」
「受領後に、辞退手続きを行えます」
「その手続きは」
「後任管理者の指定です」
「誰かに押しつけるだけやないか」
「管理者不在は認められません」
新木が苦々しく言う。
「所有権の時と同じや」
「十三羽目が必ず必要」
紅林は倉庫を見つめた。
十二の家。
中央の空席。
「管理者を置かなければ、十二件の構造物が帰還先を失う」
嵯峨野が答える。
「その場合、自動的に最寄りの帰属地点へ展開されます」
「どこです」
「現在の接続先です」
サイト83。
十二件の異常構造物が、一斉に施設内へ展開される。
先ほどは、柊木家一軒にサイト83全体を侵食された。
今度は十二件。
「脅迫やんけ」
荒木が言う。
「仕様です」
「一緒や」
「意図が異なります」
「受け取らせるために、断ったら被害が出る仕組みにしとる」
「管理者不在を防ぐための安全機構です」
「誰にとって安全なんや」
嵯峨野は答えなかった。
『保管期限まで、残り二分です』
紅林が荒木の肩をつかむ。
「受領は認めません」
「でも」
「十二件が展開された場合、サイト83を放棄します」
神楽が紅林を見る。
「隊長」
「全職員を退避。施設を封鎖。必要であれば破壊します」
「人格結晶と保留領域は」
「優先搬出」
「時間が足りません」
「だからといって、荒木を管理者として差し出すことはできません」
荒木は紅林を見る。
「サイト83を捨てるんですか」
「人員より施設を優先しません」
「収容中の異常は」
「緊急移送手順を実行します」
「間に合わんかったら」
「被害を最小化します」
「それで、何人死ぬ」
紅林は答えなかった。
「ワシ一人が受け取ったら済むんやろ」
「済みません」
紅林ははっきりと言った。
「管理者を辞退するには、次の後任が必要になります」
「ワシがずっとやれば」
「あなたが人間でなくなるまでですか」
荒木の口が止まる。
「家を管理し続け、十二件の帰属を維持し、いずれにも所属できない状態を要求される」
「それでも」
「それは死亡と変わりません」
「でも、生きとる」
「生存しているだけです」
千鳥が荒木を見る。
自分と同じだった。
十三羽目。
箱を運ぶ者。
帰ることを許されない管理者。
「受け取らないで」
千鳥が言う。
荒木は少女を見た。
「でも、お母さんと皆が」
「受け取ったら、ずっと終わらない」
千鳥の声は震えている。
「次の人に渡すまで」
「渡さんかったら」
「あなたが、ずっと閉じ込められる」
「家の中やない」
「同じ」
千鳥は自分の胸を押さえた。
「帰れないのは同じ」
『保管期限まで、残り一分です』
警報が鳴る。
解析室の外で、退避命令が発令された。管制室が全サイトへ緊急放送を流す。
『全職員は指定経路に従い退避してください』
『収容区画は緊急閉鎖へ移行』
『第一解析室を中心とした空間異常発生に備えてください』
嵯峨野は荒木へ手を伸ばす。
「お受け取りください」
荒木は動かない。
「受領すれば、現在の展開は防止されます」
「受け取らなければ」
「十二件が帰還します」
「中に人がおるんか」
「内部人格を含みます」
「助けられる可能性は」
「管理者となれば、搬出手続きが可能です」
荒木の目が揺れる。
十二件の家。
窓の中の人影。
生きている人間なのか。
保存された人格なのか。
家が作った複製なのか。
それすら分からない。
それでも、救出できる可能性がある。
嵯峨野は、荒木がその可能性を切り捨てられないと理解している。
「荒木」
新木が呼ぶ。
荒木は振り返らない。
「受け取るな」
「中の人、助けられるかもしれへん」
「それ言われたら、お前が断れへんの分かっとるんや」
「ほな、見捨てろ言うんか」
「ちゃう」
新木は車椅子の車輪をつかみ、立ち上がろうとする。
足に力が入らない。それでも肘掛けを押し、身体を前へ出した。
「一人で背負うな言うとんねん」
「共同管理は二人までやったやろ」
「それは別の装置や」
「せやから?」
「十三羽目が一人やないとあかんいう前提、こいつが言うただけや」
嵯峨野が新木を見る。
初めて、その顔に明確な警戒が浮かんだ。
「受取人以外の干渉は禁止されています」
「ほら、反応した」
新木が笑う。
「何か抜け道があるんや」
『残り三十秒です』
「新木」
紅林が言う。
「説明してください」
「十三羽目は管理者や。せやけど、小鳥箱の穴は十三個あった」
「はい」
「管理者が箱の外におるなら、十三番目の穴はいらん」
全員が黙る。
十三個の穴。
十二羽の小鳥。
残された一つの空席。
十三羽目が箱を運ぶ者なら、箱の中に十三番目の穴を作る必要はない。
「管理者の帰還先や」
新木が言った。
「十三羽目にも、帰る場所を一つだけ登録できる」
嵯峨野が初めて声を強めた。
「根拠のない推測です」
「ほな、なんで焦る」
「期限が迫っています」
「ちゃう。お前、今までワシらが何言うても顔を変えへんかった」
新木は荒木を見る。
「受け取るなら、条件をつけろ」
「どんな」
「十三番目の帰還先を先に指定する」
『残り十五秒です』
「そのような項目は存在しません」
嵯峨野が言う。
「あります」
千鳥が叫んだ。
全員が少女を見る。
「箱の一番奥」
千鳥は記憶をたどる。
「十三番目の穴の後ろに、小さい扉があった」
「何がありました」
紅林が尋ねる。
「何も」
「空間があったのですか」
「外」
千鳥は言った。
「家の外が見えてた」
『残り十秒です』
荒木は嵯峨野を見る。
「受け取ります」
「荒木!」
紅林の声が響く。
「条件付きで」
嵯峨野の手が止まった。
『残り八秒です』
「十三番目の帰還先を、受領前に登録します」
「その手続きは不要です」
「不要なだけで、禁止やない」
新木が言う。
『残り六秒です』
「登録できへんなら受け取らん」
「十二件が展開されます」
「ほな、一緒に潰れるだけや」
『残り四秒です』
荒木は手を伸ばす。
だが、嵯峨野の手には触れない。
「ワシの帰還先を決めます」
『残り三秒です』
「どこです」
嵯峨野が初めて尋ねた。
荒木は一瞬だけ新木を見る。
紅林。
神楽。
千鳥。
解析室にいる全員。
そして、古い団地の奥から聞こえた声を思い出す。
帰りたかった場所。
もう存在しない場所。
戻ることのできない時間。
「決まった場所やない」
『残り二秒です』
「ワシが、自分で戻ると決めた場所」
嵯峨野の顔が歪む。
「無効です」
「無効かどうか決めるんは、装置やろ」
『残り一秒です』
荒木は封筒へ手を伸ばした。
「帰還先は――」
オルゴールが十三音目を鳴らす。
「ワシが帰ろうと思える、関係のある場所や」
荒木の指が封筒へ触れた。
光が弾ける。
安全索が激しく軋んだ。
荒木の身体が紙の扉へ引き込まれる。
「荒木!」
紅林が腕を伸ばす。
だが間に合わない。
クライムが固定装置を作動させた。
「引け!」
黒岡と高峰が安全索をつかむ。
荒木の右腕だけが解析室側に残り、身体の大半が倉庫へ引き込まれた。
紙の扉の向こうで、嵯峨野が荒木の左手をつかんでいる。
「受領を確認しました」
荒木の胸元へ、赤い文字が浮かび上がった。
帰還先統合管理者。
十三羽目。
その下へ、さらに新しい項目が刻まれる。
個別帰還先。
未固定。
「未固定や!」
新木が叫んだ。
「まだ管理者登録は終わってへん!」
倉庫の棚に並ぶ十二の家へ、一斉に明かりがともる。
窓の内側から、無数の顔が荒木を見た。
「帰して」
「出して」
「家に帰して」
十二件分の声が重なる。
家族。
住人。
建物。
土地。
記憶。
災害。
死。
帰れなかった者。
それら全てが、荒木真介一人へ接続されていく。
十三羽目の登録が、始まった。
次回予告
第十一章 十三羽目
10月6日21時投稿予定




