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異常世界の歩き方 MDE(国際異常研究機構)  作者: 神代千早


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54/84

第十章 帰還先統合管理者

毎日21時投稿

金土日18時、21時、2本投稿予定

この章は10分ぐらいで読めます

よかったらコメント感想など聞かせてください

倉庫の中央に立つ男は、荒木真介だけを見ていた。


「お待ちしておりました。荒木真介様」


 紅林澪奈が銃口を男へ向ける。


「所属と氏名を」


 男は紅林を一瞥した。しかし、答えようとはしなかった。


「受取人以外と会話する許可はありません」


「ここはMDE管理区域です」


「正確には、当保管庫への接続口です」


「接続口が存在している場所はサイト83です。こちらの指示に従ってください」


「受取人以外と会話する許可はありません」


 男の返答は一定だった。


 鬼灯産業の担当者ほど機械的ではない。声には人間らしい抑揚がある。それでも、紅林の命令を受け入れる様子はなかった。


 荒木がため息をつく。


「皆そんなんばっかりやな」


 男は荒木へ視線を戻す。


「受領確認をお願いします」


「その前に名前を教えてください」


「東雲重工業株式会社、旧空間構造研究部所属」


 男は一礼した。


「嵯峨野宗一です」


 千鳥の身体が震えた。


「あの人」


 嵯峨野は初めて千鳥を見る。


 眼鏡の奥の目が、わずかに見開かれた。


「試験付属人格」


「違います」


 紅林が即座に訂正する。


 だが、嵯峨野は彼女へ反応しない。視線を千鳥に向けたまま言葉を続ける。


「残っていたのですか」


 千鳥は嵯峨野を睨んだ。


「私を知ってるの」


「記録上は」


「小鳥箱を持ってきたの、あなた?」


「はい」


 解析室の空気が凍りつく。


 榛名は、小鳥箱が輸送中に紛失したと説明していた。


 不正流出。


 個人売買。


 柊木家への偶発的な流入。


 だが、目の前の男は、自分が直接持ち込んだと認めた。


「不正流出ではなかった」


 紅林が言った。


 嵯峨野は彼女を見ようとしない。


「受取人へ説明します」


「ワシを通せば話すんやな」


 荒木が確かめる。


「はい」


「ほな、ワシが聞きます」


 荒木は一歩前へ出た。


 腰へ接続された安全索が張る。クライムが固定装置を確認し、わずかに巻き戻した。


「小鳥箱を柊木家へ置いたんは、意図的やったんですか」


「はい」


「試験のために?」


「はい」


「柊木家には説明したんですか」


「一部のみ」


「何を説明した」


「家を守る装置であると」


「何から」


「喪失からです」


 千鳥が小さく息をのむ。


 嵯峨野は淡々と続ける。


「家族構成員の死亡、離別、転居、記憶変質。家という構造を不安定にする要素を検出し、帰属関係を補正します」


「補正て何や」


「欠員を帰還させます」


「死んだ人間を?」


「当時の試作品単体に、その機能はありません」


「鬼灯産業の設備を、後から入れた」


「当方は関与していません」


「ほんまですか」


「はい」


「東雲重工業は、必要なら嘘をつくんやろ」


 嵯峨野の口元が、わずかに動いた。


「必要であれば」


「今は必要ですか」


「いいえ」


「なら、そこは信じます」


 紅林が荒木を見る。


 荒木は嵯峨野を信用したわけではない。相手が嘘をつく条件を確かめ、その上で話を進めようとしている。


「鬼灯産業の設備が導入されたのは偶然」


「はい」


「それで二つの設備が干渉した」


「はい」


「止めに来んかった理由は」


「観測を継続したためです」


 千鳥が一歩前へ出ようとする。


 黒岡がそっと肩を押さえた。


「観測?」


 荒木が繰り返す。


「事故やと分かってたのに」


「異常技術史上、極めて重要な事例でした」


「人が取り込まれとるのに」


「はい」


「子供が閉じ込められとるのに」


「はい」


 嵯峨野の声は変わらない。


 後悔も。


 弁明も。


 罪悪感もなかった。


 ただ記録された事実を読み上げている。


「救出を試みなかった」


「試みました」


「いつ」


「初期段階で三度」


「失敗した」


「はい」


「その後は」


「観測対象の崩壊を避けるため、直接介入を停止しました」


 新木が車椅子の肘掛けを強く握る。


「ふざけんな」


 嵯峨野は反応しない。


 荒木以外の言葉は、最初から存在しないものとして扱っている。


「何人死んだ」


 荒木が尋ねた。


「死亡の定義によります」


「人として戻れへんようになった数や」


「当保管庫の記録では、二百四十三名」


 人格結晶として救出されたのは二百三十一名。


 未応答者の数を含めても、記録は一致しない。


「MDEが回収できてへん人は、どこにいる」


 嵯峨野は背後の棚を見た。


 無数に並ぶ家の模型。


 窓の中で、小さな人影が動いている。


「帰還済みです」


「どこへ」


「それぞれの家へ」


「その家は、どこにある」


「当保管庫です」


 荒木の顔から表情が消えた。


 棚に並ぶのは模型ではない。


 帰還誘導器によって回収され、縮小された建造物。


 そして、その内部に残された人間たち。


「これ全部」


 荒木は倉庫を見回した。


「実験した家か」


「全てではありません」


「ほな何や」


「回収された構造物です」


「何件ある」


「現在、十二件」


 新木が息をのんだ。


「十二」


 倉庫の左右へ並ぶ十二件の構造物。


 木造住宅。


 集合住宅。


 学校。


 病院。


 工場。


 研究施設。


 用途も規模も異なる建造物が、同じ保管庫へ並べられている。


「柊木家が十三件目」


 紅林が言った。


 嵯峨野が初めて彼女を見る。


 許可されていない相手へ向けた、ほんの一瞬の視線。


 その反応だけで、紅林の推測が核心に近いことが分かった。


「十三件目ではありません」


 嵯峨野が答えた。


「では、何です」


 荒木が尋ねる。


「本試験は、十三件を一組として実施されます」


「十二の家と」


 荒木は嫌な予感を覚えながら続けた。


「一人の管理者」


「はい」


 倉庫の奥。


 十二の家に囲まれた中央に、空の台座がある。


 人一人が立てるほどの円形の台。床には、小鳥の足跡に似た印が十三個刻まれていた。


「十三羽目は、人間や」


 新木が呟く。


「家を運ぶための管理者」


 嵯峨野が荒木を見る。


「正確には、帰還先統合管理者です」


「ワシを、あそこに置く気か」


「はい」


 荒木は笑わなかった。


「なんでワシや」


「適性を確認しました」


「いつ」


「サイト83帰還事象中です」


「勝手に調べたんか」


「装置が自動的に判定しました」


「適性の条件は」


「複数の帰属関係を維持しながら、いずれにも自己を完全帰属させないこと」


 荒木は黙る。


「家族がいる」


「はい」


「MDEに所属している」


「はい」


「新木慎介との未完了関係がある」


「五千円やぞ」


「金額は重要ではありません」


「そこはほんまに重要ちゃうな」


 新木が小声で言う。


「黙っとけ」


 嵯峨野は続ける。


「荒木真介様は、家族、職場、友人関係のいずれも切断していません」


「普通やろ」


「しかし、いずれも帰還先として絶対視していない」


「悪かったな」


「悪いとは申し上げていません」


「何が適性なんや」


「家を持たない者ほど、多数の家を管理できます」


 荒木の目が細くなる。


「自分の帰る場所がない人間を、他人の家の番人にする」


「簡潔に表現すれば」


「最低やな」


「効率的です」


 千鳥が黒岡の手を振り払い、一歩前へ出た。


「私も、そうだったの」


 嵯峨野が少女を見る。


「あなたは初期管理者候補でした」


「子供なのに」


「帰属が弱かったためです」


「家族が怖かったから?」


「当時の記録では、家族集団への帰属意識が低く、自己保存傾向が強いと評価されています」


「それで、十三羽目にしたの」


「はい」


 千鳥の手が震える。


 家族を恐れていた。


 帰りたくないと願っていた。


 助けを求めることもできず、ただ外へ出たがっていた。


 その感情を、東雲重工業は救難信号として扱わなかった。


 管理者への適性と評価した。


 紅林が千鳥の前へ立つ。


「それ以上は後で聞きます」


「今聞きたい」


「あなたを傷つけるための説明です」


「もう傷ついてる」


「だからです」


 千鳥は紅林の背中を見る。


 少しだけ黙り、それ以上前へ進むのをやめた。


 館内放送が響く。


『保管期限まで、残り三分です』


 荒木が嵯峨野を見る。


「受け取らんかったら、実家へ転送するんやな」


「はい」


「受け取ったら、ワシが管理者になる」


「はい」


「断る方法は」


「受領後に、辞退手続きを行えます」


「その手続きは」


「後任管理者の指定です」


「誰かに押しつけるだけやないか」


「管理者不在は認められません」


 新木が苦々しく言う。


「所有権の時と同じや」


「十三羽目が必ず必要」


 紅林は倉庫を見つめた。


 十二の家。


 中央の空席。


「管理者を置かなければ、十二件の構造物が帰還先を失う」


 嵯峨野が答える。


「その場合、自動的に最寄りの帰属地点へ展開されます」


「どこです」


「現在の接続先です」


 サイト83。


 十二件の異常構造物が、一斉に施設内へ展開される。


 先ほどは、柊木家一軒にサイト83全体を侵食された。


 今度は十二件。


「脅迫やんけ」


 荒木が言う。


「仕様です」


「一緒や」


「意図が異なります」


「受け取らせるために、断ったら被害が出る仕組みにしとる」


「管理者不在を防ぐための安全機構です」


「誰にとって安全なんや」


 嵯峨野は答えなかった。


『保管期限まで、残り二分です』


 紅林が荒木の肩をつかむ。


「受領は認めません」


「でも」


「十二件が展開された場合、サイト83を放棄します」


 神楽が紅林を見る。


「隊長」


「全職員を退避。施設を封鎖。必要であれば破壊します」


「人格結晶と保留領域は」


「優先搬出」


「時間が足りません」


「だからといって、荒木を管理者として差し出すことはできません」


 荒木は紅林を見る。


「サイト83を捨てるんですか」


「人員より施設を優先しません」


「収容中の異常は」


「緊急移送手順を実行します」


「間に合わんかったら」


「被害を最小化します」


「それで、何人死ぬ」


 紅林は答えなかった。


「ワシ一人が受け取ったら済むんやろ」


「済みません」


 紅林ははっきりと言った。


「管理者を辞退するには、次の後任が必要になります」


「ワシがずっとやれば」


「あなたが人間でなくなるまでですか」


 荒木の口が止まる。


「家を管理し続け、十二件の帰属を維持し、いずれにも所属できない状態を要求される」


「それでも」


「それは死亡と変わりません」


「でも、生きとる」


「生存しているだけです」


 千鳥が荒木を見る。


 自分と同じだった。


 十三羽目。


 箱を運ぶ者。


 帰ることを許されない管理者。


「受け取らないで」


 千鳥が言う。


 荒木は少女を見た。


「でも、お母さんと皆が」


「受け取ったら、ずっと終わらない」


 千鳥の声は震えている。


「次の人に渡すまで」


「渡さんかったら」


「あなたが、ずっと閉じ込められる」


「家の中やない」


「同じ」


 千鳥は自分の胸を押さえた。


「帰れないのは同じ」


『保管期限まで、残り一分です』


 警報が鳴る。


 解析室の外で、退避命令が発令された。管制室が全サイトへ緊急放送を流す。


『全職員は指定経路に従い退避してください』


『収容区画は緊急閉鎖へ移行』


『第一解析室を中心とした空間異常発生に備えてください』


 嵯峨野は荒木へ手を伸ばす。


「お受け取りください」


 荒木は動かない。


「受領すれば、現在の展開は防止されます」


「受け取らなければ」


「十二件が帰還します」


「中に人がおるんか」


「内部人格を含みます」


「助けられる可能性は」


「管理者となれば、搬出手続きが可能です」


 荒木の目が揺れる。


 十二件の家。


 窓の中の人影。


 生きている人間なのか。


 保存された人格なのか。


 家が作った複製なのか。


 それすら分からない。


 それでも、救出できる可能性がある。


 嵯峨野は、荒木がその可能性を切り捨てられないと理解している。


「荒木」


 新木が呼ぶ。


 荒木は振り返らない。


「受け取るな」


「中の人、助けられるかもしれへん」


「それ言われたら、お前が断れへんの分かっとるんや」


「ほな、見捨てろ言うんか」


「ちゃう」


 新木は車椅子の車輪をつかみ、立ち上がろうとする。


 足に力が入らない。それでも肘掛けを押し、身体を前へ出した。


「一人で背負うな言うとんねん」


「共同管理は二人までやったやろ」


「それは別の装置や」


「せやから?」


「十三羽目が一人やないとあかんいう前提、こいつが言うただけや」


 嵯峨野が新木を見る。


 初めて、その顔に明確な警戒が浮かんだ。


「受取人以外の干渉は禁止されています」


「ほら、反応した」


 新木が笑う。


「何か抜け道があるんや」


『残り三十秒です』


「新木」


 紅林が言う。


「説明してください」


「十三羽目は管理者や。せやけど、小鳥箱の穴は十三個あった」


「はい」


「管理者が箱の外におるなら、十三番目の穴はいらん」


 全員が黙る。


 十三個の穴。


 十二羽の小鳥。


 残された一つの空席。


 十三羽目が箱を運ぶ者なら、箱の中に十三番目の穴を作る必要はない。


「管理者の帰還先や」


 新木が言った。


「十三羽目にも、帰る場所を一つだけ登録できる」


 嵯峨野が初めて声を強めた。


「根拠のない推測です」


「ほな、なんで焦る」


「期限が迫っています」


「ちゃう。お前、今までワシらが何言うても顔を変えへんかった」


 新木は荒木を見る。


「受け取るなら、条件をつけろ」


「どんな」


「十三番目の帰還先を先に指定する」


『残り十五秒です』


「そのような項目は存在しません」


 嵯峨野が言う。


「あります」


 千鳥が叫んだ。


 全員が少女を見る。


「箱の一番奥」


 千鳥は記憶をたどる。


「十三番目の穴の後ろに、小さい扉があった」


「何がありました」


 紅林が尋ねる。


「何も」


「空間があったのですか」


「外」


 千鳥は言った。


「家の外が見えてた」


『残り十秒です』


 荒木は嵯峨野を見る。


「受け取ります」


「荒木!」


 紅林の声が響く。


「条件付きで」


 嵯峨野の手が止まった。


『残り八秒です』


「十三番目の帰還先を、受領前に登録します」


「その手続きは不要です」


「不要なだけで、禁止やない」


 新木が言う。


『残り六秒です』


「登録できへんなら受け取らん」


「十二件が展開されます」


「ほな、一緒に潰れるだけや」


『残り四秒です』


 荒木は手を伸ばす。


 だが、嵯峨野の手には触れない。


「ワシの帰還先を決めます」


『残り三秒です』


「どこです」


 嵯峨野が初めて尋ねた。


 荒木は一瞬だけ新木を見る。


 紅林。


 神楽。


 千鳥。


 解析室にいる全員。


 そして、古い団地の奥から聞こえた声を思い出す。


 帰りたかった場所。


 もう存在しない場所。


 戻ることのできない時間。


「決まった場所やない」


『残り二秒です』


「ワシが、自分で戻ると決めた場所」


 嵯峨野の顔が歪む。


「無効です」


「無効かどうか決めるんは、装置やろ」


『残り一秒です』


 荒木は封筒へ手を伸ばした。


「帰還先は――」


 オルゴールが十三音目を鳴らす。


「ワシが帰ろうと思える、関係のある場所や」


 荒木の指が封筒へ触れた。


 光が弾ける。


 安全索が激しく軋んだ。


 荒木の身体が紙の扉へ引き込まれる。


「荒木!」


 紅林が腕を伸ばす。


 だが間に合わない。


 クライムが固定装置を作動させた。


「引け!」


 黒岡と高峰が安全索をつかむ。


 荒木の右腕だけが解析室側に残り、身体の大半が倉庫へ引き込まれた。


 紙の扉の向こうで、嵯峨野が荒木の左手をつかんでいる。


「受領を確認しました」


 荒木の胸元へ、赤い文字が浮かび上がった。


 帰還先統合管理者。


 十三羽目。


 その下へ、さらに新しい項目が刻まれる。


 個別帰還先。


 未固定。


「未固定や!」


 新木が叫んだ。


「まだ管理者登録は終わってへん!」


 倉庫の棚に並ぶ十二の家へ、一斉に明かりがともる。


 窓の内側から、無数の顔が荒木を見た。


「帰して」


「出して」


「家に帰して」


 十二件分の声が重なる。


 家族。


 住人。


 建物。


 土地。


 記憶。


 災害。


 死。


 帰れなかった者。


 それら全てが、荒木真介一人へ接続されていく。


 十三羽目の登録が、始まった。

次回予告


第十一章 十三羽目


10月6日21時投稿予定

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