第三章 帰宅した者たち
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金土日18時、21時、2本投稿予定
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玄関の引き戸は、風もないのにゆっくりと開いたままだった。
家の中は暗い。
電気は点いていない。
それなのに、人が暮らしている家特有の匂いだけが、夜風に乗って漂ってくる。
炊き立ての米。
味噌汁。
線香。
そして、どこか懐かしい木の香り。
その温かな匂いが、この家の異様さをかえって際立たせていた。
紅林澪奈は玄関から数メートル離れた位置で立ち止まり、静かに周囲を見渡した。
山は静まり返っている。
虫の鳴き声がしない。
風も吹かない。
先ほどまで聞こえていた鳥のさえずりも、まるで最初から存在しなかったかのように消えていた。
「神楽。」
「はい。」
「周囲警戒。」
「了解。」
神楽は黒岡とともに屋敷の外周へ回る。
高峰は後方警戒につき、メアリーは携帯型認識災害測定器を起動した。
画面には数値が流れ続ける。
しかし、警報は鳴らない。
「異常反応……なし?」
メアリーが戸惑った声を漏らす。
「そんなはず。」
高砂研究員の声が無線から聞こえてきた。
「こちらサイト83。」
「映像は正常に受信しています。」
「生体反応も七名。」
「認識災害指数も基準値以下です。」
紅林は小さく息を吐いた。
「正常すぎる。」
その一言に、新木慎介がゆっくり頷いた。
「そういうことですわ。」
慎介は玄関をじっと見つめたまま続ける。
「異常っていうんは、必ずしも派手に出るもんやありません。」
「ほんまに怖いんは、異常が日常に溶け込んどる時です。」
彼は腰の革袋から数枚の護符を取り出した。
一枚を玄関脇の柱へ貼る。
もう一枚を足元へ置いた。
何も起こらない。
「……やっぱり。」
慎介が眉をひそめる。
「効かへん。」
黒岡が戻ってきた。
「隊長。」
「外周異常なし。」
「裏口も閉まっています。」
「足跡は?」
「玄関だけです。」
「七人分。」
その言葉に、全員が無意識に玄関へ視線を向けた。
紅林は腕時計を見た。
二十三時二十八分。
「入る。」
その短い命令で、全員の表情が引き締まる。
隊列は紅林を先頭に、黒岡、神楽、新木、メアリー、高峰、最後尾をクライムが務めた。
玄関へ一歩踏み込む。
靴を脱ぐ必要はない。
それでも、誰もが家へ「お邪魔する」という感覚ではなく、「帰宅する」という妙な感覚を覚えていた。
その違和感に気付いたのは、紅林だった。
「……止まって。」
全員が静止する。
「今。」
「誰か。」
彼女はゆっくり振り返った。
「『ただいま』って言わなかった?」
沈黙。
誰も返事をしない。
黒岡が首を振る。
「言ってません。」
神楽も否定する。
「俺も聞いてない。」
しかし慎介だけは、顔色を変えていた。
「隊長。」
「俺も聞こえました。」
「男の声でした。」
メアリーも小さく頷く。
「私もです。」
「玄関の奥から。」
クライムは録音データを確認する。
数秒後、小さく息をのんだ。
「……録音されていません。」
誰も何も言わない。
紅林は静かに前を向き直った。
玄関の廊下は長く続いている。
報告書に掲載されていた間取り図では、玄関から廊下を十歩ほど進めば居間へ出るはずだった。
しかし。
十歩歩いても。
二十歩歩いても。
居間は見えてこない。
「隊長。」
高峰が小声で呼ぶ。
「廊下……長くないですか。」
紅林は歩数計を確認した。
三十七歩。
それでも壁の造りは変わらない。
慎介が床へしゃがみ込む。
指先で木目をなぞり、目を閉じた。
「……空間、伸びてます。」
「やっぱり。」
「建物やない。」
「空間そのものが契約で繋がっとる。」
紅林は慎介を見る。
「説明できる?」
「完全には無理です。」
慎介は苦い顔で立ち上がった。
「でも、一つだけ言えます。」
「この家。」
「帰りたい思うた場所へ繋がる家です。」
「せやから出口も入口も意味がない。」
その時だった。
廊下の奥から、誰かが歩いてくる音が聞こえた。
コツ。
コツ。
コツ。
一定のリズム。
軍靴の音。
黒岡が即座に銃口を向ける。
神楽も前へ出た。
「停止!」
返事はない。
足音だけが近づく。
やがて暗闇の向こうから、一人の男が姿を現した。
MDEの戦術装備。
防弾ベスト。
識別章。
泥だらけのブーツ。
そして胸には、
**第一次調査班**
の識別章。
男は紅林たちを見ると、心底安心したように笑った。
「よかった……。」
掠れた声だった。
「やっと迎えが来てくれた。」
その顔を見た瞬間。
黒岡が小さく息をのむ。
「……報告書の。」
神楽も呟く。
「伊吹隊長。」
失踪したはずの第一次調査班指揮官。
伊吹真人が、そこに立っていた。
頬は少し痩せている。
髭も伸びている。
しかし、それ以外に異常は見当たらない。
伊吹はゆっくり歩み寄る。
「みんな無事だ。」
「あと五人もいる。」
「早く帰ろう。」
その一言に、紅林は眉一つ動かさなかった。
「……確認する。」
彼女は冷静に問いかける。
「今日は何年何月何日ですか。」
伊吹は即答した。
「██年██月██日。」
失踪した日付だった。
「任務開始から、どれくらい経ちましたか。」
「四時間くらいだ。」
紅林は黙って神楽を見る。
神楽は静かに首を横へ振った。
現実では、すでに三日が経過している。
伊吹本人だけが、その時間を認識していなかった。
「隊長……。」
黒岡が小さく囁く。
「本人ですか。」
紅林は答えなかった。
代わりに慎介が、一歩だけ前へ出る。
伊吹を見つめる。
そして、静かに呟いた。
「……隊長。」
「この人。」
「生きとる。」
全員が慎介を振り返る。
慎介は額に汗を浮かべながら続けた。
「せやけど。」
「**帰ってきた人間**やない。」
その言葉が落ちた瞬間。
廊下の奥から、さらに足音が響いた。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
五つ。
そして――
六人目の影が、ゆっくりと暗闇から姿を現した。
次回予告
第四章 帰れない家
## 前編①
9月28 日21時投稿予定




