第二章 帰還者
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第二章 帰還者
夜の山道は、不気味なほど静かだった。
機動部隊専用の大型車両が、舗装の剥がれた県道をゆっくりと進んでいく。
窓の外には街灯一つなく、ヘッドライトだけが細い道路を白く照らしていた。光の外側は、深い闇に沈んでいる。
車内にも、誰一人として無駄口を叩く者はいなかった。
エンジン音とタイヤが砂利を踏む音だけが、一定のリズムで響き続ける。
紅林澪奈は助手席でタブレットを開き、報告書と第一次調査班の通信記録をもう一度読み返していた。
『……誰だ。』
最後の通信。
たった三文字。
しかし、その三文字には、言いようのない恐怖が凝縮されていた。
「隊長。」
運転席の神楽が静かに声を掛ける。
「現場まで残り十分です。」
「ありがとう。」
紅林は画面を閉じると、後部座席へ振り返った。
「最終確認をする。」
隊員たちは一斉に視線を向ける。
「今回の目的は二つ。」
「第一に、第一次調査班六名の捜索。」
「第二に、NCO-318-JPの異常性を把握し、必要であれば収容方法を見直すこと。」
彼女は一拍置き、言葉を続けた。
「敵を倒す任務じゃない。」
「生きて帰ることを最優先にする。」
黒岡が腕を組んだまま頷く。
「了解。」
新木慎介は窓の外を見つめながら、小さく息を吐いた。
「……空気がちゃいますね。」
誰に言うでもなく呟く。
紅林が視線を向ける。
「何か感じる?」
慎介は首を横に振った。
「霊気でも呪気でもない。」
「もっと嫌なもんです。」
「家そのものが、人を待っとる。」
その一言で、車内の空気がさらに重くなる。
メアリーは膝の上で手帳を開き、静かに何かを書き込んでいた。
「緊張が伝染しています。」
「皆さん、呼吸が浅くなっていますよ。」
高峰が苦笑する。
「そう言われると余計に意識するな。」
「それでも深呼吸してください。」
メアリーは柔らかく微笑んだ。
「恐怖は判断力を鈍らせます。」
クライムは車載モニターを操作しながら報告する。
「周辺一キロ圏内、人の反応なし。」
「野生動物も異常に少ない。」
「静かすぎます。」
神楽がハンドルを握ったまま小さく呟いた。
「……来るたびに思うんだ。」
「異常が強い場所ほど、生き物がいなくなる。」
誰も否定しなかった。
やがて車は緩やかに減速し、林道の入口で停止する。
ヘッドライトの先には、古びた木製の案内板が立っていた。
文字は風雨で消えかけている。
『██村』
その下には、誰かが後から彫ったような細い文字。
『おかえり』
黒岡が眉をひそめる。
「……報告書にありましたか?」
「ない。」
紅林は短く答えた。
「最近刻まれた可能性がある。」
慎介が車を降りると、案内板へ近づいた。
指先で文字をなぞる。
数秒間黙っていたが、やがて手を離した。
「血でも墨でもありません。」
「焼き目です。」
「最初から木の中にあったみたいな焼き方や。」
「普通の人間にはできません。」
全員が無言になる。
高峰が装備ケースを開いた。
「通信確認。」
「各自、応答。」
「隊長。」
「神楽。」
「黒岡。」
「新木。」
「メアリー。」
「クライム。」
「高峰。」
七人。
紅林は人数を目で確認した。
七人。
携帯端末の表示も七。
「出発。」
一列になり、細い山道を歩き始める。
湿った土の匂い。
葉の擦れる音。
どこからか流れる沢の音。
それ以外は何も聞こえない。
十五分ほど歩いた頃だった。
先頭を歩く黒岡が足を止める。
「隊長。」
「どうした。」
黒岡は懐中電灯を地面へ向けた。
「足跡があります。」
全員が集まる。
泥の上には、複数人分の靴跡が残っていた。
MDE支給の安全靴。
第一次調査班のものと同型だった。
高峰がしゃがみ込み、慎重に観察する。
「新しい。」
「二日以内です。」
神楽が足跡を追う。
一本道を進み、森の奥へ消えている。
「六人分……。」
そう言いかけた瞬間、慎介が首を振った。
「ちゃう。」
全員が彼を見る。
慎介は泥を指差した。
「七人や。」
黒岡がもう一度数え直す。
一。
二。
三。
四。
五。
六。
そして――
「……七。」
誰も声を出さない。
足跡は確かに七人分ある。
しかし報告書では、第一次調査班は六名だった。
紅林はしゃがみ込み、静かに泥へ触れた。
乾き具合を確認し、ゆっくり立ち上がる。
「歩幅が違う。」
神楽が眉を上げる。
「違う?」
「六人は同じ方向へ歩いている。」
「でも一人だけ。」
彼女は森の奥を見つめた。
「家から出てきている。」
その言葉と同時に、森を風が吹き抜けた。
葉がざわめく。
誰も動かない。
その風の中へ、小さな子どもの笑い声が混じった。
「……聞こえたか。」
黒岡が低く呟く。
メアリーは周囲を見回す。
「女の子の声です。」
慎介は険しい表情で首を振った。
「いや。」
「子どもやない。」
「……鳥や。」
全員が空を見上げる。
枝の上には一羽の鳥もいない。
それなのに。
森の奥から。
まるで誰かを歓迎するように。
無数のさえずりが、一斉に響き始めた。
その音は次第に重なり合い、人の笑い声にも泣き声にも聞こえる、不気味な響きへ変わっていく。
そして、その音がぴたりと止んだ瞬間――。
木々の隙間から、一軒の古い日本家屋が姿を現した。
旧████家住宅。
報告書の写真と寸分違わぬその家は、月明かりを浴びながら静かに佇んでいた。
だが、一つだけ違う点があった。
玄関の引き戸が、ゆっくりと音を立てて開く。
家の中には誰の姿も見えない。
それでも、暗闇の奥から、確かに誰かの声が聞こえた。
> 「……おかえりなさい。」
七人は誰一人として返事をしなかった。
だが、その声はまるで彼らが帰宅した家族を迎えるような、優しく穏やかな響きを帯びていた。
紅林は無線機を握り直し、小さく息を吸う。
「全員。」
「ここから先は、報告書にない領域へ入る。」
「絶対に単独行動はしない。」
「私の指示があるまで、この家には入らない。」
誰もが頷く。
しかし、その瞬間。
紅林の胸元に付けられた識別端末の表示が、一度だけ点滅した。
**7**
その数字は、一瞬だけ――
**8**
へと変わった。
次回予告
第三章 帰宅した者たち
9月27日21時投稿予定




