『十三羽目』 第一章 召集
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サイト83は、夜になると静かになる。
昼間は研究員や調査員、機動部隊員が絶えず行き交い、警報や館内放送が鳴り響くこの施設も、二十一時を過ぎれば人影はまばらになる。
それでも完全な静寂が訪れることはない。
どこかで収容セルの監視装置が低く唸り、遠くの搬送エレベーターがゆっくりと上下する音が響く。その音だけが、この巨大な地下施設が今も生きていることを静かに物語っていた。
地下五階、戦術会議室。
窓のない室内には白い照明だけが落ち、中央の長机には一冊の分厚い報告書が置かれている。
表紙には、まだ新しい管理番号が印字されていた。
NCO-318-JP
『おかえりなさいの小鳥箱』
その報告書を、一人の女性が静かに閉じた。
「……なるほど。」
短く漏れた声には驚きも恐怖もない。
ただ、事実を受け止めた者だけが持つ冷静さがあった。
紅林レイナ。
サイト83所属機動部隊隊長。
年齢は二十代半ば。
肩口で切り揃えた黒髪に、鋭さを秘めた琥珀色の瞳。白衣ではなく濃紺の戦術服をまとい、机の上に肘をついて報告書の最後のページを見つめていた。
そこには、たった一文だけが記されている。
第一次調査班六名、消息不明。
回収対象の危険性を再評価し、機動部隊「マジックナンバーズ」へ案件を移管する。
レイナはページを閉じると、椅子の背にもたれた。
「六人、か。」
その言葉は独り言のようでもあり、誰かに向けた確認のようでもあった。
コンコン、と軽いノックが響く。
「隊長、全員集まりました。」
ドアを開けた隊員の声に、レイナは静かに頷く。
「入って。」
ほどなくして、四人の隊員が会議室へ入室した。
彼らはサイト83でも特殊な部隊、《マジックナンバーズ》の中核メンバーだった。
全員が異常存在への対処訓練を受けているだけではない。
「数」「認識」「存在改変」といった、人間の知覚そのものを侵す異常事案を専門に扱う実働部隊である。
部屋に入った隊員たちは自然と席に着く。
誰も雑談をしない。
机の中央に置かれた報告書を見ただけで、今回の任務が軽いものではないと理解していた。
レイナは立ち上がり、会議室前方の大型モニターを操作する。
映し出されたのは、一枚の写真だった。
山奥にぽつんと建つ古い木造住宅。
報告書で見た、旧████家住宅である。
「今日からこの案件を担当する。」
レイナの声は静かだった。
「対象はNCO-318-JP。《おかえりなさいの小鳥箱》。」
モニターが切り替わる。
今度は、失踪した第一次調査班六名の顔写真。
全員が笑顔で写った、任務前の記録写真だった。
「この六人は、三日前にここで消息を絶った。」
さらに画面が変わる。
住宅内部。
仏間。
小鳥箱。
玄関。
七足並んだ安全靴。
誰も言葉を発しない。
レイナはそこで一度、言葉を切った。
「……報告書は読んだと思う。」
隊員たちは頷く。
「違和感はあった?」
静かな問いだった。
しばらく沈黙が流れる。
やがて、一人の隊員が口を開く。
「はい。」
「最後の点呼です。」
「六人編成なのに、誰かが『七』まで数えている。」
別の隊員も続ける。
「映像解析でも、一瞬だけ七人目が映っています。」
「でも誰も反応していない。」
「まるで最初からそこにいたみたいに。」
レイナは腕を組み、小さく頷いた。
「そう。」
「この案件で一番危険なのは、小鳥箱そのものじゃない。」
彼女はモニターを消す。
部屋が静まり返る。
そして、はっきりと言った。
「"人数"を信用できなくなること。」
その一言だけで、室内の空気が変わった。
誰もが息をのみ、自分の隣に座る仲間を無意識に見た。
本当に、全員知っている顔だろうか。
本当に、最初からここにいたのだろうか。
そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎる。
レイナはその反応を見逃さなかった。
「今、不安になった人。」
誰も返事をしない。
「正常。」
彼女は淡々と続ける。
「この案件では、自分の認識を疑うことが生き残る第一条件。」
「だから今日から、部隊内では本名を使わない。」
隊員たちは顔を上げた。
「呼称は番号。」
「点呼は三十分ごと。」
「誰か一人でも違和感を覚えたら、その時点で全員が立ち止まる。」
レイナは机の上の報告書をもう一度手に取る。
「第一次調査班は、小鳥箱を危険視していた。」
「でも私は違う。」
そう言って、最後のページを静かに開いた。
「この家そのものが、帰る場所になっている。」
その瞬間、会議室の電話が鳴った。
夜のサイト83では珍しい、内線ではない外部回線。
一度。
二度。
三度。
誰も出ない。
レイナは受話器を見つめる。
「……こんな時間に?」
通信担当が首を振る。
「発信元、不明です。」
レイナはゆっくりと受話器を取った。
耳に当てる。
数秒の沈黙。
そして、受話器の向こうから、小さな子どもの声が聞こえた。
「ねえ。」
「あと、六人。」
その直後、電話は切れた。
部屋中の誰も、声を発することができなかった。
レイナは静かに受話器を戻すと、短く言った。
「……作戦開始を一時間繰り上げる。」
誰も異論はなかった。
会議室の空気は、任務前の緊張ではない。
"何か"が、自分たちより先にこちらを知っている。
そんな確信だけが、隊員たちの胸に重く残っていた。
# Tale
## 『十三羽目』
### 第一章 召集 後編
会議室を出ると、サイト83の廊下には夜特有の静けさが広がっていた。
昼間であれば研究員や機動部隊員が絶えず行き交う通路も、この時間帯になると足音だけが長く響く。
その静寂の中を、紅林澪奈は先頭に立って歩いていた。
表情に焦りはない。
だが、その歩幅は普段よりわずかに速かった。
第一次調査班六名。
全員消息不明。
現場には七足の安全靴。
そして、最後の通信。
> 「……誰だ。」
その一言が、何度も頭の中で反響していた。
地下四階、機動部隊専用装備区画。
自動扉が開くと、すでに隊員たちが集まっていた。
最初に敬礼したのは、神楽だった。
マジックナンバーズ副隊長。
部隊内では紅林の右腕として行動し、作戦中は部隊全体の統率を補佐する。
「隊長、全員集合しています。」
「ありがとう。」
紅林は短く頷いた。
神楽の後ろには、黒岡が腕を組んで立っている。
大型の防弾ベストを軽々と着こなし、その横には大型ライフルケースが置かれていた。
「隊長。」
「久々に嫌な案件ですね。」
「まだ始まってもいないわ。」
紅林が苦笑すると、黒岡も肩をすくめた。
「始まる前から嫌な予感しかしません。」
その隣では、一人の青年が収容用護符や呪符を机いっぱいに並べていた。
新木慎介。
古代魔術と異常儀式の研究を専門とする研究員であり、マジックナンバーズの現場顧問でもある。
彼は木札を一枚一枚確認しながら、頭をかいた。
「隊長、この案件なぁ……。」
「嫌な匂いしかしませんわ。」
紅林が視線を向ける。
「どういう意味?」
「鬼とか呪いやったら、まだ理屈立つんです。」
慎介は木札を指で弾いた。
「せやけど今回のんは違います。」
「"家"そのものが異常化しとる。」
「しかも契約型。」
「鬼灯産業絡みやったら、一番相手したないタイプですわ。」
黒岡が苦笑する。
「珍しいな。お前が弱気なの。」
「弱気ちゃいます。」
慎介は即座に否定した。
「危険なん知っとるだけです。」
「鬼灯産業は戦ってくれへん。」
「契約通り動くだけや。」
「せやから、理屈が一番通じへん。」
部屋の空気が少し重くなる。
その空気を変えるように、明るい声が響いた。
「暗い顔ばっかりじゃダメですよ。」
メアリーだった。
彼女は認識災害と心理異常への対応を専門としており、隊員たちの精神状態を維持する役割も担っている。
「緊張するのは分かります。でも、緊張しすぎると判断を誤ります。」
そう言って微笑む姿は穏やかだったが、その視線だけは真剣だった。
「今回は、心が一番狙われるでしょうから。」
「そうね。」
紅林も同意する。
「だからこそ、冷静でいて。」
部屋の隅では、クライムが携帯端末を操作していた。
「隊長。」
「住宅周辺の衛星写真です。」
大型モニターに山間部の航空写真が映し出される。
旧████家住宅。
周囲を深い森に囲まれ、一本道だけが外界へ続いている。
クライムは映像を拡大した。
「妙なんです。」
「三年前の写真と現在を比較しても、建物の劣化がほとんどありません。」
「周囲の木だけ成長して、家だけ時間が止まっているように見えます。」
「時間異常か……。」
紅林は小さく呟いた。
その横では、高峰が隊員たちの装備を最終確認していた。
予備弾倉。
通信機。
生体センサー。
認識災害対策ゴーグル。
すべてを一つずつ点検しながら、静かに報告する。
「装備異常なし。」
「認識阻害タグ、全員分装着済み。」
「予備通信機も携行しています。」
さらにモニターが切り替わる。
画面の向こうには、高砂研究員の姿が映っていた。
「聞こえますか、皆さん。」
サイト83中央解析室。
数え切れないほどのモニターに囲まれながら、高砂は苦笑した。
「現場の生体情報はこちらで常時監視します。」
「少しでも異常があれば、こちらから通信を入れます。」
「頼むわ。」
黒岡が短く返す。
「あと一つ。」
高砂の表情が真剣になった。
「現場の監視映像を解析していたところ、気になる点がありました。」
第一次調査班の最後の映像が映し出される。
玄関。
六人の隊員。
その後ろ。
ほんの一瞬だけ。
誰かが立っている。
静止画にしても顔は判別できない。
だが、その人物は確かにこちらを見ていた。
部屋の空気が凍り付く。
「……七人目。」
神楽が小さく呟いた。
高砂は頷いた。
「問題はここからです。」
画面が切り替わる。
「この人物。」
「次のフレームでは消えています。」
「でも。」
さらに次の画像。
「玄関の靴だけ、一足増えています。」
誰も言葉を発しなかった。
その沈黙を破ったのは、通信回線に割り込んできた低い声だった。
「諸君。」
画面が切り替わる。
高野博士だった。
「今回の作戦について、一つだけ覚えておいてほしい。」
博士はゆっくり全員を見回した。
「異常存在と戦うことはできる。」
「異常現象を解析することもできる。」
「だが。」
「契約は、戦っても壊れない。」
慎介が静かに頷く。
「……その通りですわ。」
高野博士は続けた。
「鬼灯産業は契約を履行する。」
「だからこそ、現場で見えるものを鵜呑みにするな。」
「"帰ってきた"という事実だけで、それを本人だと決めつけるな。」
紅林は静かに敬礼した。
「了解しました。」
時計を見る。
二十二時十分。
出発予定時刻だった。
「マジックナンバーズ。」
紅林の一声で、全員が立ち上がる。
「出動。」
短い返答が重なる。
「了解。」
「了解です。」
「了解。」
「了解や。」
「了解。」
装備区画の自動扉がゆっくりと開く。
夜のサイト83から、隊員たちは一列になって歩き出した。
この時、誰も気付かなかった。
装備区画の壁に掛けられた監視用ミラー。
その鏡の中だけで。
出撃する隊員は――
**六人**になっていたことを。
誰一人として、その六人目の顔を覚えてはいなかった。
次回予告
第二章 帰還者
9月27日18時投稿予定




