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異常世界の歩き方 MDE(国際異常研究機構)  作者: 神代千早


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40/85

Tale「サイト83健康診断」

毎日21時投稿

金土日18時、21時、2本投稿予定

この章は10分ぐらいで読めます

よかったらコメントください!

サイト83で年に一度だけ、異常存在より面倒なものが現れる。


健康診断である。


正確には。


健康診断そのものではない。


健康診断から逃げる職員たちでもない。


その中でも特に面倒な一名。


クレイン博士である。


午前八時。


サイト83医務室前。


長机の上には問診票。


採血用の器具。


血圧計。


視力検査表。


聴力検査装置。


そして。


職員名簿。


梶原は、その名簿を見ながら深いため息をついていた。


金井が横から覗き込む。


「今年もですか」


「今年もです」


「去年は?」


「逃げました」


「一昨年は?」


「逃げました」


「その前は?」


「途中まで受けて逃げました」


金井は少し考えた。


「逆にすごいですね」


「感心しないでください」


梶原は名簿の一番下を見る。


クレイン博士。


未受診。


毎年。


同じ。


「博士って、健康診断嫌いなんですか?」


金井が聞いた。


「嫌いというより」


梶原は言葉を探した。


「面倒なんだと思います」


「それだけ?」


「それだけです」


「じゃあ受ければいいのに」


「それを本人に言ってください」


金井は黙った。


言いたくない。


午前八時十分。


当人。


クレイン博士は、自室でコーヒーを飲んでいた。


机の上には書類。


端末。


研究資料。


そして。


健康診断の案内。


博士はそれを見る。


一秒。


二秒。


裏返した。


「見なかったことにしよう」


そこへ。


ノック。


博士が顔を上げる。


「どうぞ」


扉が開く。


梶原。


博士の表情が固まる。


梶原も笑わない。


「おはようございます」


「おはよう」


「本日、健康診断です」


「そうだね」


「九時からです」


「そうだね」


「受けてください」


「後で」


梶原の目が細くなる。


「何時ですか」


「仕事が片付いたら」


「片付かないですよね」


「失礼だな」


「去年も同じこと言いました」


博士がコーヒーを飲む。


「去年は忙しかった」


「今年は?」


「今年も忙しい」


「一昨年は?」


「すごく忙しかった」


「三年前は?」


博士が少し考える。


「……覚えてない」


「私は覚えてます」


「怖いな」


梶原は問診票を机に置いた。


「記入してください」


博士が見る。


「これ今?」


「今です」


「後で」


「今です」


「梶原」


「はい」


「サイト管理者に命令するの?」


「健康管理についてはします」


博士が黙る。


梶原も黙る。


数秒。


博士が問診票を手に取る。


「分かった」


梶原の表情が少し緩む。


「ありがとうございます」


「書くよ」


「はい」


「ちゃんと行く」


「はい」


「九時に」


「はい」


「絶対」


「はい」


梶原は満足して部屋を出た。


扉が閉まる。


博士は問診票を見る。


時計を見る。


八時十五分。


「……九時まで四十五分あるな」


立ち上がった。


午前八時三十分。


梶原の無線が鳴る。


『梶原さん』


「はい」


『クレイン博士が研究室にいません』


梶原の足が止まる。


「……何ですって?」


『机に問診票だけあります』


「記入済み?」


『名前しか書いてありません』


梶原は目を閉じた。


ゆっくり息を吸う。


「逃げましたね」


金井が横で言う。


「逃げましたね」


二人。


しばらく無言。


梶原が無線を取る。


「警備室」


『はい』


「クレイン博士の現在位置を確認してください」


『了解』


数秒。


『確認します』


さらに数秒。


『……』


「どうしました?」


『監視カメラに映りません』


梶原の眉が上がる。


「最後の記録は?」


『第二研究棟廊下です』


「その後は?」


『ありません』


金井が言う。


「本気ですね」


梶原も頷く。


「本気です」


健康診断から。


本気で逃げている。


午前八時四十分。


サイト83警備室。


監視カメラ映像。


第二研究棟。


第三研究棟。


食堂。


地下通路。


資料室。


職員用休憩室。


どこにもいない。


警備員が言う。


「博士、カメラの死角知ってますからね」


梶原が腕を組む。


「管理者ですから」


金井が困った顔をする。


「これ探すの無理じゃないですか」


「無理ではありません」


梶原は端末を見る。


「博士の予定表」


画面。


午前中。


会議なし。


実験なし。


外出予定なし。


「自由時間が多い」


「最悪ですね」


「最悪です」


そのとき。


警備員が顔を上げる。


「いました」


全員がモニターを見る。


第三倉庫前。


クレイン博士。


何食わぬ顔で歩いている。


梶原が無線を取る。


「第三倉庫前です」


『了解』


警備員二名が向かう。


モニターの中。


博士が歩く。


角を曲がる。


そこへ警備員。


「博士」


博士が止まる。


「何?」


「健康診断の時間です」


「まだ九時前だけど」


「医務室まで同行します」


博士が微笑む。


「必要ないよ」


「梶原研究員からの指示です」


博士の顔が少しだけ変わる。


「梶原か」


「はい」


博士は二人を見る。


二人も見る。


博士の思考読取。


使えば。


相手の考えが分かる。


『右へ逃げたら追う』


『左は行き止まり』


『梶原さん絶対怒ってる』


博士が小さく頷く。


「なるほど」


そして。


右へ走った。


「博士!」


警備員も走る。


『対象逃走!』


梶原の無線。


「対象って言わないでください!」


『すみません!』


金井が笑いをこらえる。


「笑わない」


梶原が言う。


「はい」


「絶対笑わない」


「はい」


少し笑っている。


午前八時五十二分。


サイト83内部。


追跡開始。


クレイン博士。


健康診断受診予定者。


逃走。


警備員二名。


追跡。


博士は速かった。


というより。


追う側の考えを読めるのがずるい。


『次の角で挟む』


博士。


角を曲がる前に反対側へ。


『非常階段へ誘導』


博士。


階段を使わない。


『エレベーター前で待つ』


博士。


貨物用エレベーターへ。


警備員たちが振り回される。


無線が飛ぶ。


『博士、地下へ移動!』


『地下通路閉鎖しますか?』


梶原。


「閉鎖してください」


金井が驚く。


「そこまでやるんです?」


「今年は絶対受けてもらいます」


地下通路。


博士。


閉まる防火扉。


「……本気だな」


博士は足を止める。


前。


閉鎖。


後ろ。


警備員。


左右。


研究区画。


博士は考える。


逃げ道。


そして。


左の扉を見る。


『備品保管室』


入る。


数秒後。


警備員到着。


「どこ行った?」


「左です!」


扉を開く。


無人。


棚。


箱。


清掃用品。


博士はいない。


「え?」


一人が奥を見る。


もう一人が考える。


『まさかダクト?』


天井。


点検口。


開いている。


「嘘でしょ」


無線。


『博士、天井裏へ入りました』


梶原。


「……」


金井。


「博士、何歳でしたっけ」


「聞かないでください」


午前九時。


医務室。


医師が時計を見る。


「クレイン博士は?」


梶原が答える。


「向かっています」


金井が横で小さく言う。


「天井裏を」


梶原が睨む。


金井が黙る。


医師が聞く。


「毎年こうなんですか?」


「今年は少し酷いです」


「去年は?」


「窓から逃げました」


「何階?」


「二階」


医師が黙る。


「怪我は?」


「ありませんでした」


「健康ですね」


「そういう問題ではありません」


午前九時十五分。


博士。


天井裏。


狭い。


埃。


配線。


博士は這っていた。


「何してるんだ私は」


本人も疑問だった。


健康診断。


別に怖くない。


注射も平気。


病院も嫌いではない。


ただ。


朝から全部検査されるのが面倒。


それだけ。


それだけなのに。


もう天井裏まで来ている。


「戻るか」


止まる。


その瞬間。


下から声。


「博士」


梶原。


博士の顔が固まる。


床下。


いや。


天井下。


「そこにいますよね」


博士は黙る。


「聞こえてますよね」


黙る。


「降りてきてください」


博士が答える。


「いない」


梶原。


「……」


金井。


「……」


梶原が言う。


「博士」


「はい」


「今返事しましたよね」


「したね」


「降りてください」


「嫌だ」


「なぜ」


「ここまで来たら意地」


「健康診断で意地張らないでください!」


周囲の職員が聞いている。


全員。


笑いをこらえている。


梶原が続ける。


「降りないなら」


博士が警戒する。


「何」


「機動部隊を呼びます」


博士。


沈黙。


「……健康診断で?」


「健康診断で」


「本気?」


「本気です」


博士は考える。


『さすがに呼ばないだろ』


梶原は。


無線を取った。


「機動部隊待機班」


博士がすぐ言う。


「待って」


「はい」


「話し合おう」


「降りてください」


「それは話し合いじゃない」


「降りてから話します」


「信用できない」


「博士に言われたくありません」


午前九時二十五分。


機動部隊到着。


四名。


今回は軽装。


それでも。


健康診断には過剰だった。


隊長が現場を見る。


天井。


梶原。


金井。


警備員。


「状況は?」


梶原が指を上へ。


「博士が天井裏です」


隊長が天井を見る。


「……異常事案ですか?」


「健康診断です」


隊長が黙る。


後ろの隊員も黙る。


「帰っていいですか?」


「駄目です」


「ですよね」


隊長が無線機を調整する。


「博士」


天井裏。


「聞こえています」


「降りてください」


「君まで言うの?」


「我々も困っています」


「私も困ってる」


「では降りましょう」


「嫌だ」


隊長が少し考える。


「天井裏の出口、三か所ですね」


博士。


嫌な予感。


「一か所を封鎖」


隊員が動く。


「二か所目に人員配置」


別の隊員。


「三か所目を開放」


博士。


「……」


隊長。


「出口は一つです」


博士。


「それ収容手順だよね?」


隊長。


「日頃の経験が活きています」


博士。


「活かす場所を間違えてる」


午前九時四十分。


天井の点検口。


ゆっくり開く。


博士の顔。


下。


機動部隊。


梶原。


金井。


医務室スタッフ。


なぜか十人以上。


「……多くない?」


梶原。


「降りてください」


博士。


「全員見てるけど」


「逃げるからです」


博士はゆっくり降りる。


床。


着地。


その瞬間。


左右に機動部隊。


博士が見る。


「拘束する?」


隊長。


「必要なら」


博士。


「しないで」


「では医務室へ」


博士はため息。


「分かった」


梶原が少し笑う。


「最初からそうしてください」


博士が梶原を見る。


「君、楽しんでない?」


「全然」


『ちょっと楽しい』


博士。


「今聞こえた」


梶原。


「何も言ってません」


「思った」


「勝手に読まないでください」


「聞こえたんだよ!」


午前九時五十分。


移送。


クレイン博士。


中央。


機動部隊二名。


前。


梶原。


後ろ。


金井。


完全に。


重要異常存在の護送。


廊下の職員が見る。


新人職員が先輩に聞く。


「何かあったんですか?」


先輩。


「健康診断」


新人。


「……誰の?」


「博士」


新人はしばらく考える。


「MDEって健康診断もこんなに危険なんですか?」


「博士だけ」


午前十時。


医務室。


博士は椅子に座った。


「はい」


医師。


「ようやく来ましたね」


博士。


「大げさなんだよ、全員」


梶原。


「天井裏に逃げた人が言わないでください」


医師が問診票を見る。


名前だけ。


「記入してください」


博士。


「ここで?」


全員。


「ここで」


博士が書く。


年齢。


既往歴。


現在服用中の薬。


睡眠時間。


飲酒。


喫煙。


運動習慣。


博士が止まる。


「運動習慣」


梶原。


「今日かなり走ってましたね」


博士。


「健康診断から逃げるのは運動に入る?」


医師。


「入りません」


「厳しいな」


身長。


体重。


血圧。


博士は普通。


金井が少し驚く。


「健康ですね」


博士が言う。


「だから受けなくても」


梶原。


「受けるから分かるんです」


「はい」


視力。


右。


左。


問題なし。


聴力。


問題なし。


心電図。


問題なし。


医師。


「次、採血です」


博士の動きが止まる。


梶原が気づく。


「博士?」


「何」


「まさか」


「何が」


「注射苦手なんですか?」


博士。


「違う」


金井。


「今ちょっと嫌そうでしたよ」


「違う」


梶原。


「逃げた理由、もしかして」


博士。


「違う」


医師が採血器具を準備する。


博士。


「別に注射は平気」


梶原。


「じゃあ腕出してください」


博士。


「今出す」


袖をまくる。


少し遅い。


金井が見る。


「顔固いですよ」


「黙って」


針。


博士は見ない。


梶原が笑う。


博士。


「笑ってる?」


「笑ってません」


『ちょっとかわいい』


博士。


顔を上げる。


梶原。


「何です?」


博士。


「何でもない」


梶原。


「今読んだでしょう」


博士。


「読んでない」


「絶対読んだ」


「採血中に揉めるな」


医師が止める。


採血終了。


博士は少し安心。


「終わり?」


医師。


「まだです」


博士。


「まだあるの?」


梶原。


「健康診断なので」


午前十一時。


全検査終了。


博士。


疲労。


健康診断だけで。


妙に疲れている。


医師が言う。


「大きな問題はありません」


博士が梶原を見る。


「ほら」


梶原。


「何がです?」


「健康だった」


「受けたから確認できたんです」


「受けなくても健康だった」


「確認できません」


「でも健康だった」


「子供ですか」


博士は椅子にもたれる。


「来年は簡略化できない?」


医師。


「できません」


「三年に一回とか」


「できません」


「隔年」


「できません」


博士が深いため息。


梶原が言う。


「来年はちゃんと来てください」


博士。


「考える」


梶原。


「今決めてください」


博士。


「来る」


「本当に?」


「本当に」


「逃げません?」


「逃げない」


梶原。


「録音しました」


博士。


「何?」


金井がスマートフォンを持っている。


博士。


「いつから?」


金井。


「『来る』からです」


博士。


「消して」


梶原。


「保存してください」


金井。


「了解」


博士。


「サイト管理者命令」


梶原。


「健康管理担当権限で却下」


博士。


「そんな権限ある?」


梶原。


「今作りました」


博士。


「駄目だろ」


午後。


サイト83会議室。


健康診断終了報告。


受診率。


九十九・数パーセント。


未受診。


一名。


理由。


出張。


クレイン博士。


受診済み。


梶原は結果表を見る。


満足。


金井が横から言う。


「今年は全員いけましたね」


「はい」


「博士一人で機動部隊まで使いましたけど」


「必要な対応でした」


「前も同じこと聞いた気がします」


「気のせいです」


その頃。


機動部隊待機室。


隊員たち。


装備を片付けている。


一人が言う。


「今日の任務、報告書どう書く?」


隊長。


「サイト管理者護送」


「目的は?」


「健康診断」


「そのまま書く?」


「そのまましか書けないだろ」


数日後。


上級管理部門。


報告書。


『サイト83における機動部隊臨時投入について』


内容。


機動部隊四名。


投入理由。


クレイン博士の健康診断受診補助。


担当者から問い合わせ。


『なぜ機動部隊が必要だったのか』


梶原回答。


『通常職員では追跡が困難だったため』


再質問。


『なぜ追跡する必要があったのか』


回答。


『逃走したため』


再質問。


『なぜ健康診断から逃走したのか』


回答。


『本人へお問い合わせください』


問い合わせ。


クレイン博士。


回答。


『面倒だった』


さらに問い合わせ。


『以上ですか』


回答。


『以上です』


その後。


サイト83には、新しい内部規定が追加された。


『管理職員は、定期健康診断を正当な理由なく回避してはならない』


その下。


追記。


『天井裏への退避を含む』


さらに。


手書き。


『誰のせいでこれ書かれたんですか?』


別の筆跡。


『知らない』


さらにその下。


梶原の字。


『博士です』


翌年。


健康診断当日。


午前八時五十五分。


医務室。


梶原。


金井。


医師。


全員。


待機。


時計。


八時五十九分。


廊下。


足音。


クレイン博士が現れた。


普通に。


歩いて。


問診票も記入済み。


梶原が驚く。


「……博士?」


「何」


「来たんですか」


「来いって言ったの君だろ」


「逃げないんですか?」


博士が嫌そうな顔をする。


「去年」


少し間。


「天井裏、思ったより埃っぽかった」


金井が吹き出す。


梶原も笑う。


博士が問診票を渡す。


「ほら」


梶原が受け取る。


「ありがとうございます」


博士が医務室へ入る。


その途中。


採血器具を見る。


ほんの一瞬。


足が止まる。


梶原。


「博士?」


「何でもない」


「注射」


「平気」


「まだ何も言ってません」


博士。


「……」


医務室の扉が閉まった。


――Tale「サイト83健康診断」

次回予告


Tale「紅林零奈は考えない」


9月25日21時投稿予定

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