第四章 欠席者
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金土日18時、21時、2本投稿予定
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議事録へ浮かび上がった文字を見つめたまま、クレイン博士は身じろぎ一つしなかった。
**議題 新規出席者について**
整った筆跡。
癖のない文字。
それでいて、どこか温かみを感じさせる不思議な筆致だった。
博士はゆっくりと議事録へ手を伸ばす。
インクはまだ乾いていない。
指先で触れることは避け、慎重に顔を近づける。
独特の匂い。
万年筆のインクと紙、それに淹れたてのコーヒーが混ざり合った、どこか懐かしい香りだった。
「……書き立てだ。」
誰へ聞かせるでもなく呟く。
記録端末は動き続けている。
映像も音声も、すべて保存されているはずだった。
博士は机へ端末を置き、部屋全体をもう一度見回した。
十三脚の椅子。
壁時計。
掲示板。
花瓶。
コーヒーメーカー。
どれも数分前と変わらない。
変わったのは、議事録の一行だけ。
それだけのはずだった。
◇
博士は会議室を一周することにした。
壁面を確認する。
壁紙は古く、ところどころ日焼けの跡がある。
しかし破れは一つもない。
本棚には古い専門書が整然と並んでいた。
異常工学。
収容理論。
危機管理。
組織運営。
どれも現在では絶版となった資料ばかりだった。
背表紙へ指を滑らせる。
埃がない。
毎日のように誰かが掃除をしているような状態だった。
博士は一冊を取り出す。
ページを開く。
中には鉛筆で書き込みが残されていた。
> 「報告書とは、未来の誰かへの手紙である。」
短い一文。
署名はない。
博士はその言葉を手帳へ書き写す。
「報告書は未来への手紙……か。」
その考え方は嫌いではなかった。
◇
再び机へ戻る。
今度は一脚ずつ椅子を観察した。
どの椅子にも使用感がある。
木製の肘掛けは擦り減り、座面には僅かな沈み込みが見られる。
長年使われ続けてきた証拠だ。
だが、その中で一脚だけ。
入口に最も近い席だけは様子が違った。
他の椅子より新しい。
傷も少ない。
座面も硬い。
まるで途中から追加されたような印象を受ける。
博士は椅子の背へ手を添えた。
その瞬間だった。
不意に背筋へ冷たいものが走る。
誰かが。
すぐ後ろへ立った。
そんな感覚だった。
博士は勢いよく振り返る。
誰もいない。
会議室は相変わらず静まり返っている。
聞こえるのは時計の音だけ。
――カチ。
――カチ。
止まっているはずの時計が、相変わらず音だけを刻み続けていた。
◇
博士は自分を落ち着かせるように深呼吸をした。
「主観的印象は記録から除外。」
「客観的事実のみ。」
自分へ言い聞かせる。
そして椅子へ視線を戻した。
机の上には名札が置かれている。
十二枚。
どれも名前は書かれていない。
白紙だった。
博士は一枚を持ち上げる。
裏返す。
何もない。
隣の名札も同じ。
すべて白紙。
「妙だな。」
その時。
部屋のどこからともなく、小さくページをめくる音がした。
――パラリ。
博士は議事録を見る。
閉じたはずのページが、一枚だけめくられていた。
誰も触れていない。
風もない。
それでもページだけが静かに開いている。
博士は慎重に近づいた。
新しく開かれたページ。
そこには、さきほどまで存在しなかった文章が、一行だけ増えていた。
> **定刻となりました。**
その下へ。
さらに一文字ずつ。
目の前で。
ゆっくりと文字が浮かび上がっていく。
> **出席確認を開始します。**
万年筆は動いていない。
それでも文字だけが現れる。
まるで見えない誰かが書き続けているようだった。
博士は息を呑む。
その瞬間。
部屋の空気がわずかに揺れた。
椅子が軋む。
衣服が擦れる。
誰かが席へ着くような音。
一つ。
また一つ。
十二脚。
誰もいないはずなのに、十二人分の気配だけが会議室を満たしていく。
博士は周囲を見回す。
視界には誰も映らない。
しかし、空席だった椅子には、それぞれ「誰か」が座っているような圧迫感があった。
視線。
息遣い。
紙を整える音。
コーヒーカップを持ち上げる音。
どれも姿だけが欠けている。
博士の研究者としての理性が、現実との折り合いをつけようと必死に働く。
幻覚か。
集団暗示か。
認識災害か。
そのどれも、この状況を説明しきれない。
◇
そして。
部屋の最奥。
議長席。
そこだけ空気が変わった。
暖かな気配。
威圧感ではない。
誰かを安心させるような、不思議な存在感。
博士は無意識にその席を見つめていた。
姿は見えない。
輪郭もない。
それでも、そこには確かに「誰か」が座っていると理解できた。
やがて静寂の中、一つの声が聞こえた。
男性とも女性とも判別できない、穏やかな声。
年齢すら分からない。
けれど、その声には長い年月、多くの会議をまとめてきた者だけが持つ落ち着きがあった。
「……人数は、そろいましたか。」
博士の心臓が大きく脈打つ。
返事をするつもりはなかった。
研究者として観察を続けるつもりだった。
しかし、言葉は自分の意思とは無関係に口をついて出た。
「……あと、一人です。」
その瞬間だった。
止まっていた壁時計の長針が、静かに一目盛だけ進む。
――カチ。
会議室に流れる空気が、ほんのわずかに和らいだ。
まるで、誰かがその答えに満足したかのように。
そして議事録の最後のページへ、新たな一行が静かに書き加えられる。
> **議題継続。**
> **欠席者の帰還を待つ。**
クレイン博士は、その文字から目を離すことができなかった。
気づけば、自分は入口ではなく、十三脚の椅子を囲む円の中に立っていた。
まるで最初から、この会議の出席者であったかのように。
次回予告
第五章 議長席
9月14日21時投稿予定




