Tale-02 # 議長席 ## 第一章 存在しない会議室
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金土日18時、21時、2本投稿予定
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Site-83の朝は、いつもコーヒーの香りから始まる。
地下施設である以上、窓から差し込む朝日など存在しない。それでも、廊下を歩く研究員たちは、それぞれの紙コップやマグカップを片手に、まるで地上のオフィスへ出勤するような足取りで実験室へ向かう。
異常を扱う場所だからこそ、日常は意図して守られている。
クレイン博士は、その光景を嫌いではなかった。
朝の巡回を終え、第三研究棟へ続く連絡通路を歩く。
白い照明。
磨き上げられた床。
壁一面に並ぶ非常用設備。
そして、職員同士が交わす何気ない挨拶。
「おはようございます、博士。」
「おはよう。」
「昨日のNCO-218、結局どうなったんです?」
「眠らせてある。起きたらまた報告を聞かせてもらうさ。」
そんな他愛ない会話が、この施設の日常だった。
クレイン博士は異常を研究対象として見ていた。
恐れるべきものではある。
だが、未知である以上、理解しようとする姿勢を失ってはならない。
それが彼の信条だった。
◇
その日の午前九時過ぎ。
管理部門から一通の電子通知が届いた。
件名。
**NCO-404-JP 担当研究員変更通知**
博士は眉をわずかに動かす。
「404……?」
端末を開く。
しかし表示されたのは数行だけだった。
**対象:NCO-404-JP**
**管理権限:レベル3以上**
**詳細閲覧には追加認証が必要です。**
「珍しいな。」
博士は独り言を漏らした。
通常、担当研究員へ任命される時点で最低限の概要は閲覧できる。
ここまで情報が伏せられている案件は多くない。
さらに気になったのは、末尾に添えられた一文だった。
**現地調査を優先すること。**
「報告書より先に現場を見ろ、か。」
研究部門らしからぬ指示だった。
◇
昼休憩。
食堂では職員たちが思い思いに昼食を取っていた。
クレイン博士がトレーを持って席に着くと、向かいへ槇原が腰を下ろした。
書類仕事を一手に引き受けることの多い槇原は、研究員たちの間では「Site-83で最も忙しい男」と半ば冗談交じりに呼ばれている。
「博士、珍しく難しい顔ですね。」
そう言って味噌汁をすすりながら笑う。
博士も苦笑した。
「そんなに分かりやすいか。」
「長年見てますから。」
「新しい案件です?」
「ああ。」
博士は端末を槇原へ向ける。
「404-JPだ。」
その瞬間だった。
槇原の笑みが、ぴたりと止まった。
周囲で談笑していた職員たちも、なぜか一瞬だけ口数が少なくなる。
食堂の空気が、ほんの数秒だけ静まり返った。
「……担当ですか。」
「ああ。」
「何か知っているか?」
槇原は少し考え込み、静かに頷いた。
「知っていると言えば知っています。」
「でも説明はできません。」
「妙な言い方だな。」
「自分でも妙だと思います。」
槇原は苦笑した。
「存在しない会議室。」
「職員の間では、そう呼ばれています。」
「地下にあるのか?」
「そう聞きます。」
「場所は?」
「分かりません。」
「図面にも載っていません。」
「だが見た者はいる?」
「います。」
「ただし全員、同じことを言います。」
槇原は少しだけ声を落とした。
「『見た覚えはある。でも、どこにあったか説明できない。』」
博士は腕を組む。
「記憶改変か。」
「私もそう考えました。」
「ですが、それだけじゃ説明がつかない。」
「というと?」
槇原は遠くを見るような目をした。
「私も一度だけ……あの部屋の夢を見たことがあります。」
「夢?」
「ええ。」
「長い机と、十三脚の椅子。」
「誰かがコーヒーを淹れていて。」
「誰も話していないのに、不思議と会議が始まるのを待っている空気だけがあった。」
「顔は思い出せません。」
「でも、議長席だけは、なぜかずっと見ていた気がするんです。」
博士は黙って耳を傾けていた。
「目が覚めると全部忘れる。」
「なのに、コーヒーの香りだけは一日中残っていました。」
「それ以来、404-JPの話だけは深追いしないことにしています。」
「……博士。」
槇原は真剣な表情になる。
「調査するなとは言いません。」
「でも、もし本当に第四会議室へ辿り着いたら。」
「空いている椅子には、絶対に座らないでください。」
「理由は?」
「分かりません。」
「ただ……それだけは、なぜか確信があるんです。」
◇
午後。
博士は正式な閲覧権限を受け取り、404-JPの資料室へ入った。
厚い防火扉。
指紋認証。
虹彩認証。
二重の電子錠。
異常そのものより、資料の方が厳重に保管されている。
棚には十数冊のファイルが並んでいた。
しかし、そのほとんどが薄い。
ページ数は少なく、内容も断片的だった。
共通しているのは最後の一文。
**調査は中断。**
**理由:対象の位置を再確認できず。**
ある報告書には、こう書かれていた。
> 地下第四会議室を確認した。
>
> 帰還後、場所を説明できなくなった。
別の報告書には。
> 室内に十三脚の椅子を確認。
>
> 写真撮影を試みたが、保存データには十二脚しか写っていなかった。
さらに別の報告書。
> 室内でコーヒーを確認。
>
> 採取した液体は分析不能。
>
> 帰還後、試料は空のカップへ変化していた。
博士は無意識にページをめくる速度を落とした。
そして最も古い報告書の末尾には、他とは異なる筆跡で、たった四文字だけが静かに書き添えられていた。
**会議継続。**
その瞬間、資料室のどこからともなく、淹れたてのブラックコーヒーの香りがふわりと漂ってきた。
博士は静かにファイルを閉じる。
胸に芽生えたのは恐怖ではない。
未知を前にした研究者としての、抑えきれない探究心だった。
「なるほど。」
誰もいない資料室で、博士は静かに呟く。
「君は、ここから始めろと言いたいわけか。」
返事はない。
だが部屋を出ようとした、その瞬間。
止まっていたはずの壁掛け時計が、一度だけ――
**カチリ。**
と、小さな音を立てた気がした。
次回予告
第二章 地図にない部屋
9月12日18時投稿予定




