第十一章 閉会まで、あと一人
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青年が目を覚ました時、真っ白な天井が視界いっぱいに広がっていた。
鼻をつく消毒液の匂い。
規則正しく鳴る医療機器の電子音。
ゆっくりと瞬きを繰り返すたびに、ぼやけていた景色が少しずつ輪郭を取り戻していく。
「目が覚めた!」
誰かが声を上げた。
医療班の職員が駆け寄り、すぐに担当医が病室へ入ってくる。
青年は身体を起こそうとしたが、全身に走る痛みに思わず顔をしかめた。
「無理をしなくていい。」
医師は静かに肩へ手を置く。
「君は丸二日眠っていた。」
青年は掠れた声で尋ねた。
「……みんなは。」
「避難できた。」
その返事に胸をなで下ろす。
医療班。
保全部門。
あの女性研究員。
皆、生きていた。
しかし、青年はすぐにもう一つの名前を口にした。
「議長は。」
病室が静まり返る。
医師と看護師は互いに顔を見合わせた。
「……議長?」
「地下第四会議室で最後まで――」
そこまで言ったところで、誰もが困ったような表情を浮かべる。
「申し訳ない。」
医師は首を横へ振った。
「誰のことを言っているのか分からない。」
青年は笑おうとした。
冗談だと思った。
「そんなはずありません。」
「会議をまとめていた人です。」
「最後に浅倉さんを助けに――」
しかし返ってくるのは、同じ沈黙だけだった。
「事故当日、地下第四会議室には十二名がいた記録になっている。」
「救助されたのも十二名だ。」
「それ以上の職員は確認されていない。」
青年の思考が止まる。
「違います。」
「十三人いました。」
「議長が――」
その瞬間、頭の奥に鋭い痛みが走った。
顔。
思い出せない。
声は覚えている。
笑い方も覚えている。
コーヒーの香りも。
万年筆を持つ手も。
なのに。
名前だけが浮かばない。
顔だけが霧の向こうへ消えていく。
「そんな……。」
青年は震える手で頭を抱えた。
思い出そうとするほど、記憶は崩れていく。
まるで誰かが、その人物だけを静かに消してしまったかのように。
◇
事故から三週間後。
施設の一角に設けられた仮設執務室。
青年は一人、机へ向かっていた。
事故記録の作成。
生還した職員全員へ課せられた仕事だった。
机の上には、救助時に回収された資料が積まれている。
その中に、一冊だけ煤で黒く汚れた革張りの議事録があった。
青年は震える指先で表紙を開く。
見覚えのある、整った筆跡。
定例会議。
緊急対策会議。
避難開始。
職員一名、救助継続。
そして、最後のページ。
そこには、滲みかけた文字で書かれていた。
**出席者 十二名。**
**欠席者 一名。**
**閉会できず。**
青年はその文字を見つめたまま、しばらく動けなかった。
誰が書いたのか。
知っているはずなのに、思い出せない。
ただ、その筆跡だけは胸の奥へ深く刻まれていた。
青年は新しい報告書を取り出す。
事故報告。
参加職員。
被害状況。
一つひとつを書き写していく。
しかし、「会議責任者」の欄で、手が止まった。
空白のまま、何も書けない。
名前が分からない。
思い出せない。
それでも、そこへ誰かがいたことだけは確かだった。
青年は目を閉じ、静かに万年筆を置いた。
「……ありがとうございました。」
誰へ向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
◇
それから数十年。
施設は再建され、組織も大きく姿を変えた。
新しい研究棟が建ち、新しい職員が配属される。
事故を知る者は、年々少なくなっていった。
やがて当時の資料は整理され、多くが失われた。
古い名簿には空白が増え、写真は退色し、記録媒体は更新されていく。
それでも、一つだけ残ったものがあった。
地下第四会議室。
存在しないはずの会議室。
誰も場所を説明できない。
中で何が起きるのかも完全には分からない。
ただ、一つだけ、すべての調査記録に共通する事実があった。
部屋へ入った職員は、必ず報告する。
長机。
十三脚の椅子。
コーヒーの香り。
壁時計。
そして。
議事録が一冊。
最後のページには、決まって同じ文字が残されている。
**出席者 十二名。**
**欠席者 一名。**
**閉会できず。**
その文字を読み終えた者は、決まってもう一つのことを口にする。
「……あと、一人。」
しかし、誰が足りないのかは、誰にも思い出せない。
その日以降、地下第四会議室は新たな識別番号を与えられ、異常存在として正式に登録された。
報告書の末尾には、備考としてたった一行だけが追記されている。
> **現在も会議は継続中と推定される。**
その記録を書いた研究員は、最後に小さく首を傾げた。
「……妙だな。」
「この部屋、どうして十三脚も椅子があるんだ?」
誰も答えない。
答えられる者は、もういない。
それでも地下深く、誰にも見つからない静かな部屋では、今日も一冊の議事録が開かれている。
万年筆が紙を走る音がする。
誰かが静かに頷く気配がする。
そして、穏やかな声が、今も変わらず会議室に響いている。
「出席を確認します。」
「……あと、一人。」
地下第四会議室の時計は、今日も止まったまま動かない。
会議は終わらない。
終わらせる者が、まだ戻ってきていないからだ。
次回予告
Tale-02
# 議長席
## 第一章 存在しない会議室
9月11日21時投稿予定




