第五章 届かない応答
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金土日18時、21時、2本投稿予定
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地下第四会議室の扉が開く。
冷たい空気が廊下から流れ込み、部屋に残っていたコーヒーの香りを静かに押し流していった。
青年は議長たちの後に続き、初めて地下会議区画の廊下へ足を踏み出す。
さきほどまで歩いてきた通路とは、まるで別の場所のようだった。
非常灯だけが赤く点灯し、天井の照明はところどころ消えている。
壁には細かな亀裂が走り、天井からは白い粉塵が舞い落ちていた。
遠くから、金属同士が擦れ合うような重い音が響く。
ギィ……。
ギギギ……。
それが機械の軋みなのか、それとも別の何かなのかは分からない。
誰もその音について口にしなかった。
「足元に気を付けてください。」
議長が振り返り、落ち着いた声で言う。
「慌てる必要はありません。一人で走る方が危険です。」
その一言だけで、乱れかけていた隊列が自然と整う。
青年は改めて思った。
この人は命令しているのではない。
安心させているのだ。
廊下を進む途中、保全部門の職員が合流した。
肩で息をしながらも、手には施設の簡易見取り図を握っている。
「議長。」
「第四避難路は崩落しています。」
「第二避難路も隔壁が途中までしか開きません。」
「使用可能なのは第一避難路のみです。」
議長は地図を受け取り、短く頷いた。
「地上までの距離は。」
「約八百メートル。」
「……急げば十分ほどです。」
「十分。」
議長はその数字を小さく繰り返した。
誰にも聞こえないほど小さな声だった。
青年だけが、その表情の変化に気付く。
議長は計算していた。
何を、とは分からない。
だが、頭の中で何通りもの可能性を組み立てているようだった。
その時だった。
隊列の後方から声が上がる。
「無線が入りました!」
一人の研究員が携帯無線機を掲げる。
激しい雑音の中、誰かの呼吸音が混じっている。
『……こちら……』
途切れる。
『……聞こえ……ますか……』
青年は思わず足を止めた。
生存者だ。
誰かがまだ生きている。
議長は無線機を受け取る。
「こちら第四会議室班。」
「応答してください。」
「現在地を伝えられますか。」
数秒の沈黙。
そして、小さな声が返ってきた。
『……資料……保管……』
ノイズ。
『動け……ません……』
息を呑む音が隊列に広がる。
資料保管区画。
そこは現在、最も異常反応が強いと報告されている区域だった。
無線はなおも続く。
『棚が……崩れて……』
『脚を……』
そこで激しい雑音が入り、音声が乱れた。
『……一人です。』
青年は思わず顔を上げる。
一人。
さきほど名簿で確認された未確認職員。
その人に違いなかった。
「名前を。」
議長が静かに問い掛ける。
「名前を言えますか。」
返事はすぐには返ってこなかった。
ザーッという雑音だけが流れ続ける。
やがて、かすれた声が聞こえた。
『……浅倉……です。』
その瞬間、隊列の前方にいた女性研究員が息を呑んだ。
「浅倉君……。」
知っている名前だった。
「昨日、異動してきたばかりじゃない……。」
別の職員も小さく呟く。
「まだ二十代だったはずだ。」
青年は胸が締め付けられるような思いがした。
自分とそう変わらない年齢。
今日、会うはずだった人。
同じ施設で働く仲間。
その人が、たった一人で瓦礫の下に取り残されている。
無線から、浅い呼吸が聞こえる。
『議長……。』
その呼び掛けに、議長は即座に答えた。
「聞こえています。」
『……皆さんは……』
「全員無事です。」
議長は一切ためらわずに答えた。
「安心してください。」
短い沈黙。
そして、浅倉の声が少しだけ震えた。
『……よかった。』
その一言に、青年は目を閉じた。
自分のことではない。
仲間の無事を先に喜ぶ。
そんな人が、たった一人取り残されている。
無線が再び途切れ始める。
『……議長。』
「はい。」
『……すみません。』
その謝罪に、議長の表情が初めて曇った。
「謝る必要はありません。」
静かな声だった。
しかし、その奥には強い意志が宿っていた。
「君は職務を果たした。」
「今度は、私たちの番です。」
その言葉を聞いた瞬間、周囲の研究員たちは互いの顔を見合わせた。
誰も口にはしない。
だが、全員が同じことを考えていた。
――議長は、助けに行くつもりだ。
遠くで再び轟音が響く。
施設全体が大きく揺れ、天井からコンクリート片が落ちてくる。
保全部門の職員が時計を見て叫んだ。
「議長!」
「第一避難路の隔壁閉鎖まで、あと十分ありません!」
静まり返る廊下。
議長はゆっくりと目を閉じた。
そしてもう一度、手にした無線機を見つめる。
そこからはもう、何も聞こえてこなかった。
ただ、小さなノイズだけが、静かに鳴り続けていた。
次回予告
第六章 議長の決断
9月 8日21時投稿予定




