第2話
香ばしい匂いが漂う、とある料理店の店内。
「餡掛け炒飯ってやつ? これめっちゃ旨いね。リンリン料理向いてるよ」
「料理人に言うセリフじゃないネ。食ったらハヨ帰れアル、ディ」
厨房には、リンリンと呼ばれた女性が一人立っており、コック帽を身に着け堂々としている様は、この空間を提供している主と言われても納得がいく。
対して、厨房の正面に位置するカウンター席には、ディと呼ばれた青年――ディライトが丸椅子に腰を下ろしている。卵とご飯を和えて炒めてから、餡を乗せた料理を前に舌鼓をうっていた。
こう見れば、気の知れた店主と客の何気ない日常に見えるが、料理を提供したリンリンは、何故かディライトを早々に追い出そうとしていた。ディライト以外には客が一人も見えない、閑古鳥が今にも鳴きそうな店内の状況。本来ならば、少しでも長く居てもらい、客寄せを担って欲しいはずである。
利があるとは思えない行動をとるリンリン、その理由はすぐに告げられた。
「ワタシの休憩削って出してるんダカラ、二倍は請求するヨ」
壁に掛かった時計へと指をさして主張するリンリン。
時計の短針は3と4の間を指し示しており、一日三食という規則正しい生活を送る者にとっては、昼時で口にしたものを消化している頃合いだ。
飲食店にとっては、利益を最も出しづらい時間帯である。普段ならば、リンリンは自身の城である料理屋〈鈴々亭〉の扉を閉め、店内のカウンターに座ってお手製のにんじん茶をシバいている。
「いいよ、俺金持ってるから」
「お前ホント鼻にツクネ。やっぱり三倍ネ」
「暴利だ暴利ー」
「うるさいネ。ワタシはこの店の王女ヨ」
「独裁者じゃん」
普段とは異なる展開を繰り出す店内、ディライトが無理を言って入店したのだ。
リンリンが嫌がっていることは間違いないが、腹を空かせた者へと料理を提供せずに追い返すのは、料理人としての沽券に関わる。それにディライトとは旧知の仲であり、多少の融通は利かせてあげてもいいだろう。
「ま、でも悪いとは思ってるよ? ちょうど仕事終わりでね」
「休暇じゃなかったアルか」
2週間前、ディライトが「休暇ー」と言いながら店内に入ってきたことをリンリンは覚えている。
そんな彼が仕事というのだから、ついに冒険者家業に復帰したのか――そう思ったが、どうやらまだ確定ではないらしい。
思案した顔を浮かべながら、ディライトは液体の入った小瓶を取り出した。
「休暇が明けるかどうかは、液体瓶によるかな」
「それ何ネ」
「魔匠連番」
「っ! マジアルか!?」
「らしいよ」
伝説的な魔道具制作者――魔匠が作り出した作品群が魔匠連番と呼ばれていることは、リンリンも勿論知っている。
それゆえに、テーブルにコトリ、と置かれた小瓶が金塊のごとく光り輝いて目に映るのは、仕方のないことだろう。
料理人だが、店を営んでいる以上、一人の商人でもある。
リンリンの瞳が、ゴールドのように怪しく光った。
「お代金、それでもいいヨ」
「無理に決まってんだろ、欲深料理人」
「じゃあ、5倍ネ」
「えげつな……〈冒極〉の横手に建ってんだから、客ならいくらでも来るでしょ」
「金持ちからは金をふんだくれ、これ料理人の鉄則アル」
「もう商人を自認した方がいいよ」
腰に手を当て踏ん反り返るリンリンに、ディライトは冷めた視線を送った。
ディライトの言う通り、〈鈴々亭〉は冒険の名を冠するギルドの建築物の隣に位置しており、その恩恵は計り知れない。
――冒険者ギルド、通称〈冒極〉。
その名の通り冒険を担うギルドであり、主に魔物討伐や未知の踏破を目的とする営利組織だが、代金を支払って依頼をすれば、大体のことならば受理される。それゆえに、何でも屋の面も大きく、町役場並に人波が途切れることはない。
〈冒極〉へと問題の解決を依頼する側も遂行する側も、飯時になればお腹は空く。そういう時、食の嗜好がよほど尖っていなければ近場の飯屋へ足を運ぶのは当然だろう。
〈鈴々亭〉は、小さな二階建ての建物だ。外装に派手さはなく、利益よりも味や通いやすさを優先するような質実剛健とした店である。飲食店としての立地が最高とくれば、繁盛しないわけがなかった。
営業時間外だとしても、店内でディライトが食べている姿を目にすれば、自分もと後を追いたくなる者も出てくるだろう。
――リィン。
店内へと入店を告げる鈴の音が鳴り響いた。
壮年の男だ。ディライトとリンリンの姿を視界に収めると、二人の元へと歩みを進める。
「ほら。早速ルールを守らない、クソ客が来た」
「――誰がクソ客ですか、失礼な」
「支部チョサン、いらっしゃい。今、全品5倍セール中ネ」
「……確かに。クソ客になりそうだ」
ペルニット街〈冒極〉支部支部長ケイン・ニールデン――思わぬ存在が来店しても、物怖じするどころか、リンリンは平等に吹っかけた値段で料理を提供すると宣った。
何故そんな状況に陥っているのかケインは溜息を吐きつつも、ディライトの横の席へと腰を降ろした。
「何にするヨ」
「では、牛骨拉麺を」
「アイヨ、お冷そこネ」「ありがとうございます」そんなやりとりを交わした後に、リンリンは厨房の奥へと引っ込んだ。
コップに冷水を注ぎ、口内へと一口呷る。さらに、1つ息を吐くと、ケインはディライトへと視線を向けた。
眼鏡のレンズに、黒眼鏡を掛けながら口元へと食事を運ぶ青年の姿が映った。
「ウサナ・スティミュレイトの捕縛、ご協力いただきありがとうございました」
「依頼だからね。礼金よろしく」
「振り込む前にもう1つ確認したいことがあります。例のアレは――」
「魔匠連番でしょ? はい、コレ。ウサナが大事そうに握り込んでたヤツ」
「ちょ、ちょっと! あまり大きな声で言うのはやめてください」
リンリンの動向を気にしつつも、卓上にて差し出された液体瓶へとケインは目を向けた。
ウサナが引き起こした今回の一連の件、おおっぴらにできない秘匿案件であった。ゆえに、潜伏先には評価の厚い信頼できる冒険者を送ったし、ギルド長と支部長自らが赴いたのだ。
ゆえに、魔匠連番であるこの小瓶も内密にしなければならない代物だった。
握られた小瓶に対し、摘んで回収しようとしたケインだったが、ディライトの手中から引き抜くことは出来なかった。
「どういう代物?」
ディライトが引き受けた依頼内容は、ウサナの捕縛ひいては魔匠連番と呼ばれる魔道具の確保だ。その魔道具がどんな物であるのか、依頼内容の背景は何も知らない。
支部長直々の依頼だから引き受けたが、本来であれば休暇の身。現場へと引っ張り出されたからには、事件の背景を聞かずに下がることはできない。
興味という名の探究心に促されるまま、握りしめるディライトへと、それでもケインは否定の言葉を紡いだ。
「箝口令が敷かれています。ここでは話せません」
「ワタシ、何も聞いてないネ」
秘匿性の高い案件ゆえに、ディライト以外に内容を暴露することはできない。だからこそ、〈鈴々亭〉での会話は避けたいのだが、どうやら店主にとってはいらぬ配慮らしい。
カウンターに背を向けながら、リンリンが独り言ちた。
「だってよ」
「ハァ……それは【変幻自在の雫】と呼ばれる代物です」
溜息を交えながらケインは、小瓶の正体を明かした。
ペルニット街に店を構えたときからリンリンとは旧知の仲だ。ディライト同様に信頼のおける相手である。
他者に吹聴することはないだろう――そう判断したケインは、【変幻自在の雫】と呼んだ液体瓶から手を離した。
「拉麺、もう食べましたか?」
具が食され汁だけが残された椀を指す。
「食べたけど。炒飯はやらないからな?」
「違います。容器を借りたいだけです」
餡が掛かった料理を遠ざけるディライトを無視しつつ、汁の入った椀を目前へと運ぶ。
懐から極少量の透明な水が入った小瓶を取り出すと、ディライトが持つ瓶の中でゆらゆらと揺れる水面に、ケインは視線を送った。
「それは原液。こちらは希釈したものです」
そう言うやいなや、ポツリと一滴、椀の中へと垂らした。
変化はない、全くと言っていいほど。
何が起きるのか眺めていたディライトへと、ケインは椀を戻した。
「飲んでみてください」
「嫌だよ。石化するじゃん」
「しませんよ。そういう類のものではありません」
異物が混入された残り汁を差し出されても、飲もうという気には到底なれなかった。ウサナが人間を石化させるために用いた魔道具とあれば、なおさらだった。
だが、ケインの眼差しは真剣そのもの。石化を筆頭に状態異常を起こすような液体瓶ではないという。
それに【変幻自在の雫】の効能も気になる。冒険者として、この未知に挑まないという選択肢はディライトにはなかった。
「分かった。飲むよ」
「リンリンさん、この店は牛骨一本で勝負していると、以前仰っていましたね」
「そうヨ。牛の骨が一番いい味とれるネ。それが何アルか」
スプーンに一杯をすくって、口内へと含むディライトを他所に、ケインは拉麺の味の種類が1つであることをリンリンから確認を取る。
そんな話を横手で聞き流しながら、嚥下したディライトは黒眼鏡の奥で目を見開いた。
「豚骨味、だと……!」
「そう。それこそが【変幻自在の雫】の――」
「駄目だね、牛骨の方が上手いよ。ケイン、センスないね」
「支部チョサン、ワタシの味美味しくなかったアルか……」
「話が進まない……ッ」
スプーンを差し向けるディライトと、悲しげな表情を浮かべるリンリンに挟まれたケインは、思わず天を仰いだ。そこに見えるのは、長年の営業で多少の油に塗れてべっとりとした質感を持った天井だけである。
食器を置いて、小瓶を摘むと、ディライトは頭上へと翳した。
先ほどまでは、魔匠連番といわれて金塊のようにしか見えなかった小瓶が、今は正体の知れぬ不気味なものに見えてきた。
「コレさぁ……ヤバいね」
最初の予想では、ウサナが用いたものと同様で石化を有する液体瓶だと思った。実際は、味を変化させるだけの作用だったが。
しかし、その2つの作用が、もしも同じ魔道具で起こせるとするのであれば――。
魔道具の性能は、全く違うものとなってくる。
「気付きましたか」
「何がネ。味変しただけアル」
自身と同様の解に辿り着いたディライトに、ケインは安堵の息を吐き、リンリンは未だ【変幻自在の雫】の真意を理解できずにいた。
中には無色透明の液体が揺れているだけで、小瓶そのものからは特異な気配は感じられない。
小瓶をツンツンと突っつくリンリンへと、ディライトが口を開く。
「たった一滴で、スーブの――液体の性質が変わったんだ。今のは味のみが対象だったけどね」
「便利な魔道具ネ?」
「性質を変えられるって言ったろ。てことは、石化だとかの状態異常どころじゃない。口に含んだ瞬間、爆発する劇物にだって変わる――でしょ?」
「正解です」
ディライトの推測に、ケインが頷いた。
小瓶が持つ真価を理解したリンリンの表情が青ざめる。
「……とんでもない魔道具ネ」
「使用者が想像したら発動とか、そんな感じ?」
「それも正解です。そして厄介なことに、見た目の判別がつきません」
ディライトはケインの言葉に従って、【変幻自在の雫】が混入した椀の中を見た。牛骨を出汁にした茶がみかかった鈍色――配膳されたときから何1つ変化は見られない。
「万が一、です。悪意を持つ者の手によって、それこそ”水の都”にでも行ったとします」
「――ヤバいね」
ディライトは再び同じ言葉を口にした。
だが、先ほどとは違い、その声には緊迫した響きが宿っていた。
もし――【変幻自在の雫】が生み出す性質に限りがないのだとしたら。
一口含んだ瞬間、喉を掻き毟りたくなるような激痛に襲われ、人目も憚らず地をのたうち回り、その果てに命を落とす――。
そんな毒を想像しながら雫を垂らしてしまえば、どうなるのか。
最悪の筋書きが脳裏に浮かび、ディライトの胸中を冷たいものが這った。
その時、ケインが沈黙を破った。
しかし、それは肯定でも否定でもなく――ただ、決してその可能性が起きることがないと確信した呟きだった。
「原液を渡してもらえれば、そんなことは起きないんですが」
「いや、俺のじゃないよ? リンリンにお代として払ったもん」
「ふざけるなヨ。受け取ってないアル。ワタシのじゃないからネ、支部チョサン」
「……どちらでもいいので、さっさとください」
所有権の所在を押し付け合う二人に、ケインは深い溜息を吐きながらも、【変幻自在の雫】を懐へと仕舞った。
これで公式に依頼した今回の一連の件は終了だ。支部長直々の依頼をディライトは無事に達成したということになる。
それでもケインは席を立とうとはしなかった。料理を注文したからということもあるが、まだ他にやり残したことがある。
そして、それはディライトも同様だった。
「んで、なんで魔匠連番があんな奴の手に渡ってるわけ?」
「そのことなんですが――」
ケインが口を開いたその時、来客を告げるドア鈴が勢いよく鳴った。
「ニールデン支部長、報告です! ウサナ・スティミュレイトが逃走しましたッ」
「――何故!? 職員は!」
「に、二名、石化させられましたッ」
入店してきたのは、〈冒極〉の職員であった。
荒い息を吐きながら、事の顛末を上司であるケインへと報告する。
「……チッ、まだ隠し持っていましたか」
不機嫌を隠そうともせず、ケインは舌打ちを鳴らした。
捕縛したウサナの搬送に数名の職員を充てていたが、【変幻自在の雫】をまだ持ちえていたようだ。
焦りを浮かべるケインへと、ディライトが視線を向ける。
「どうする? 行こうか」
「是非」
餡掛け炒飯を口の中へとかきこむと、ディライトは水を一杯呷って立ち上がった。
出口へと向かうケインは追従する職員へと命令を出す。
「捜索にあたっている職員はくれぐれも近付かないように。私とディライト君が直接捕縛します」
「ハッ」
下手人であるウサナは彫刻家ではあるが、実力の確かな冒険者たちを返り討ちにしたほどの実力を持つ。
多人数とはいえ下手に近寄れば、被害が拡大することは目に見えていた。
店外に続く二人へと、リンリンの声が響いた。
「拉麺取り置きしとくヨ!」
「ありがとうございます」
「ディは食い逃げ許さないアル!」
「俺だけ送り出す言葉に棘あるくない?」
片手を上げて応えたケインに対して、ディライトは呆れた表情でリンリンへと振り返った。
だが、二人共理解していた。送られた言葉に差はあれど、その意味は同じであるということに。
無事に帰ってこい――その意図を理解しているからこそ、歩みを止めることはない。
未だ日中続く街中へと、ディライトとケインは繰り出していった。




