第25話
路地を徘徊していたのは、ゴブリンのようでありながら、人の面影を歪に残した異形だった。
口元も手も血に濡れ、既に何人もの命を奪ったことは疑いようもない。
更なる獲物を求めて、魔法生物がギラついた視線を巡らせた、その瞬間。
――頭上から、その全身をすっぽり覆うほどの巨大なフライパンが振り下ろされた。
悲鳴を上げる暇もなく、異形は地面に叩き潰され、動きを止めた。
血飛沫すら寄せつけぬように、リンリンはフライパンをひょいと振り上げる。
するとその巨躯はみるみる縮み、彼女の手の中には、いつもの調理器具ほどの大きさに戻っていた。
リンリンはそれを軽くクルリと回し、満足気に腰へと収める。
「これで13体目ネ……いつ終わるアル」
魔法生物を倒すということは、〈冒極〉の職員を倒しているという事。そして、その存在を前に犠牲となった街民もいる。
街の安全を維持するために働いていた職員たちが、敵の手により真逆の行為をさせられている。
余りにも無情な現実に、リンリンはただ、やりきれなさを溢すしかなかった。
「違う――14体目、だよ」
そんなリンリンの背後へと、二足歩行のネズミのような魔法生物が路地裏から忍び寄っていた。
しかし次の瞬間、サミアの得物が一閃し、異形は無惨に地へ伏した。
倒れた魔法生物を見下ろしながら、サミアが冷ややかに数を訂正する。
リンリンは小さく肩を竦める。もちろん気付いてはいたが――それよりも彼女の目を引いたのは、錆びたはずの刃でありながら、まるで研ぎ澄まされた名刀で断ち切ったかのような切り口だった。
あの少女が体内に取り込んだ魔匠連番――【アヨングの魔法石】。
やはり、異常だ。
(戦闘経験の全くなかった子が、これほどまでに……やはり魔匠連番は危険ネ)
リンリンの胸の奥に冷えた感覚が走る。
【アヨングの魔法石】にしても、人を魔法生物へと変異させる【互酬匣】にしても、いずれも魔匠の手によって生み出されたものである。
それらは強大な力を宿す反面、所有者のみならず、その周囲すら滅ぼしかねない。だからこそ、危険そのものと断じる他ない。
――それでも、目の前の少女の力を否定することはできなかった。
「やるアル……頼もしいネ。その調子でいくヨ」
「……うん」
返事の割に、サミアの顔には陰が差している。
リンリンは、その理由を察した。
「心配アルか? ディライトのこと」
「……」
サミアの浮かべる渋面は、きっとディライトを一人残してきたことへの負い目ゆえだ。
2対1の構図では、誰が見てもディライトの方が不利に思える。
加えて――スティレオは、かつてサミアが世話になっていた老人を殺した相手でもある。各地に点在する魔法生物を無力化するため仕方のないことだとしても、仇を放置するなど、心穏やかでいられるはずがない。
そんな彼女の負の感情を宥めるように、リンリンはそっと声をかけた。
「フフ。大丈夫ヨ。アイツ、めちゃくちゃ強いネ。ランク4は飾りじゃないアル」
コートを羽織り、黒眼鏡をかけて飄々と笑う青年の姿が、リンリンの脳裏に浮かぶ。
戦闘力において、ディライトの右に出る者はそういない。同じランク帯にある自分でさえ、勝ち筋を想像できない――それほどまでに次元が違う。
ギルドごとに昇格の基準は異なる。中でも、探索と戦闘に重きを置く冒険者ギルド〈冒極〉は、戦闘力を最重要視している。
その〈冒極〉で、ランク4に昇格する条件はただ一つ。
――未知という存在を、切り拓くこと。
人の知が及ばぬ領域――未踏の地や未解明の現象を、己独りの力で切り拓けるかどうか。
ディライトは、それを可能とする存在なのだ。
「昔、未踏破の迷宮で1つ目の巨人が群れをなして外に溢れ出したコトがあったネ。もし放っておけば、近くの街は壊滅していたアル」
「……」
「それを全部、一人で片づけて迷宮も踏破したのがディライトの奴ヨ。数十体の巨人の屍が山みたいに積もってたって話。有名な武勇伝ネ」
あの惨状は、今も語り草だ。
冒険者だけでは到底手に負えぬと判断され、近隣ギルドに緊急依頼が発令された。誰もが死地へ赴く覚悟を固め、帰還の保証など微塵もなく、それでも進軍せねばならなかったほどの大事である。
だが、いざ蓋を開けてみれば――巨人の屍が山のように積み上がるその中心で、悠然と立っていたのはただ一人の青年であった。
その光景を目にした者たちは言葉を失い、やがて畏怖と共に彼の名を広めていった。
“巨人殺し”――それが彼に与えられた異名。冒険者たちの間では、もはや知らぬ者はいない。
「……巨人殺し」
「ワタシ実際見てないから、ホントの所、どんな戦いをしたかは分からないヨ。でも、バカみたいな強さを持ったアイツは――」
リンリンの視線がサミアへと向く。
その瞳には、ディライトへの絶対的な信頼感が宿っていた。
「――絶対、負けないネ」
そう言い切るリンリンの笑みには、一遍の疑いもない。
リンリンの表情を見て、サミアの尻尾がわずかに揺れた。顔立ちは依然として乏しいままだが、先ほどまで漂っていた陰りは、もうどこにも見えなかった。
「さ、この調子でどんどん無力化していくヨ。今頃、支部チョサン泣いてるアル――背中に活入れてやるネ」
「うん」
このまま悠長に言葉を交わしている暇はない。
魔法生物を野放しにしておけば、その分だけ犠牲は増えていく。
何より――この状況下で、自らの手で身内を斬らねばならないケインが、一番苦しいはずだ。今頃、失意の底に沈んでいるであろうその背中を、叩き起こさねばならない。
リンリンとサミアは、戦火に呑まれた街を駆け抜けていった。




