第212話 王子様?
手術台の前にオリバーが立つと、和宮がゆっくりと目を開いた。
火傷で瘢痕となった部分を除けば、春にそっくりのその面差しが、まっすぐにオリバーを見つめる。
そして、柔らかな笑みが浮かんだ。
春とはまた違う意味で、人を包み込むような微笑みだった。
「あんたさんは?」
見とれている場合ではない。
「はい。親王様の治療を担当いたします、オリバー・ツイスト。医師でございます。こちらがエリオット医師です」
「英国から来はったんですね。きれいなお顔をしてはります。異国の王子様みたいやわぁ……よろしゅうお願い申します」
再び向けられる、完璧なロイヤルスマイル。
(お、王子様……!)
その一言に、オリバーの思考が停止する。
エリオットが脇腹を小突いた。
「おい!」
(ぜ、全力を尽くします)
姫君を守る騎士のような錯覚が、胸の奥で静かに燃え上がる。
【素晴らしい気合です】
(黙れよ)
「では、失礼して麻酔を導入します」
麻酔が効いたことを確認する。呼吸安定、瞳孔反応正常、血圧軽度低下。
静寂が落ちる。
そして、デブリードマン開始。
この部分は、本当はエリオットには見せたくなかった。
オリバーには、分子レベルで状態を分析する能力がある。
確実に幹細胞まで破壊された部位と、生き残った部位を細胞単位で識別し、取り除いていく。
この方法なら、皮膚移植は最小限で済む。
和宮の免疫状態、マクロファージの活性、血流、そして毛細血管の残存率から、自己再生の可能性を最大限に引き出せるからだ。
だが、この技術はオリバーにしか扱えない。
どんなに医療技術が進歩したとしても、人間の認知力では決して再現不可能な領域だった。
メスが瘢痕の縁に触れる。
通常なら、安全のために壊死かどうかの境界を「やや多め」に切除するところだ。
だが、オリバーにその必要はない。
視界の奥で、世界が分解されていく。
細胞膜の電位差。
ミトコンドリアの活動。
幹細胞核のDNA損傷率。
毛細血管内皮の生存シグナル。
生きている細胞は微弱に光り、死んだ細胞は沈黙している。
これら全てが情報となって流れ込んでくる。
壊死細胞のみを、ミクロン単位で削る。
健康な真皮を一切傷つけない。
傍目には、慎重に、少しずつ削っているようにしか見えない。
しかし実際は……。
数百万単位の細胞を、瞬時に選別しているのだ。
血管の断端を露出させる。
まだ脈打つ微細な毛細血管。
そこへ、移植皮膚を重ねる。
形成層を合わせる接ぎ木のように、基底膜を一致させる。
指先に装着した極細の針が、高速で走る。
肉眼では追えない精度。
毛細血管同士が、吸い込まれるように接合していく。
通常なら数日を要する血管新生を、今、この場で完了させる。
二時間。
集中は限界域に達していた。
汗がこめかみを伝う。
「大丈夫か、オリバー?」
エリオットの声が遠く聞こえる。
彼には理解できない。
マリー王女の時のように、なぜ一瞬で終わらないのか。
なぜ、この異様な執念で削り続けるのか。
呼吸するように一定のテンポで動き続けていたオリバーの手先が、唐突に止まる。
「……終わりました。手術は成功です」
(完全密着。毛細血管接続率最大。免疫反応は?)
【免疫暴走なし。感染確率0.5%未満。皮膚再生確率99.5%。お見事】
途端に力が抜け、その場に尻もちをついた。
【エネルギー消耗率96%。即時カロリー補給を】
(わかっている……)
「手術は成功です。今後の管理はエリオット医師から説明いたします」
立ち会った御典医たちは、理解不能な怪物でも見るような目でオリバーを見ていた。
控えの間。
勝と岩倉が待っていた。
「ご苦労だったな……で、こんなもん何にするんだい?」
差し出された紙袋。
中には、大量の胡麻大福が詰まっている。
オリバーは無言で袋を抱え込み、ほとんど噛まずに飲み込み始めた。
甘味が血糖値を跳ね上げ、失われたエネルギーが急速に補充されていく。
時折、喉を詰まらせて激しくせき込むオリバーを、勝と岩倉は呆れたように眺めていた。




