第213話 人切り
意識が拡大する。
世界は情報へと変貌していく。
オリバーは自分への殺意を検索した。
(あった!)
その悪意の源泉へ、幽体を飛ばす。
次の瞬間、オリバーの意識は、暗雲垂れ込める京都の片隅、奥まった一室に浮かんでいた。
そこには、二人の男が向かい合っていた。
一人は、先ほどの手術に立ち会っていた御典医だ。
オリバーが予測した通りの人物だった。
顔色は土気色で、執刀中のオリバーを見ていた時の驚愕は、今はどす黒い嫉妬と憎悪に変色している。
微細な表情筋の変化から感情を読み取れるオリバーにとって、それは直接怒りをぶつけられたも同然だった。
御典医たちにしてみれば、自分たちが逆立ちしても不可能な術を難なく行う者の出現など、あってはならないことだった。
それは彼らの権威を失墜させる「敵対行為」に他ならない。
「……あれは医術ではない。物の怪の類だ」
御典医が、震える声で吐き捨てた。
「和宮様の御体にメスを振るい、あのような呪術的な手際で肉を繋ぎ合わせる……。英国の獣に、神聖なる御所を汚されたのだ」
もう一人は、小柄で色が白く、女と見まがうばかりの青年であった。
「イギリス人か?」
青年は御典医の怒りには興味がなさそうに、淡々と問う。
「そうだ! そればかりではない。帝が英国との交渉に深く興味を持たれた。勝や岩倉同様、異国の物の怪にたぶらかされたに違いない」
青年の目に、奇妙な光が宿る。
「左様か……ふふふ、また一人、売国の輩が」
青年が、低いが透明感のある声で応じる。
「もう一人はどうでもよろしい。だが、あの若い方は必ず。国のためでござる」
「承知いたした」
「やってくれるか、河上殿」
「無論……」
(あれは、誰だ?)
【データベース照合結果を表示します】
男の名は『河上彦斎』。幕末四大人斬りの一人として知られる刺客です。
【強敵ですね。戦闘レベルは10、サイラスと同等です。
ですが、非常に手強い。
一閃目の太刀筋が読めない可能性が高いです。
その一閃で勝負が決まります。まともにやり合えば分が悪いでしょう】
(あれって、もしかして……)
【はい。あなたの前世では、アニメの主人公のモデルにもなったと言われている人物です】
(人斬り抜刀斎かよ、マジかよ!)
御典医は、懐から一枚の書き付けを取り出した。
「明朝、早駕籠で神戸へ向かう……。日没前、東海道を下り伏見を抜けるはずだ」
彦斎の口元が、歪な笑みに吊り上がる。
その男の背後から噴き出す殺気のスペクトルが、オリバーにはどす黒い炎のように見えていた。
オリバーの意識は、一瞬で肉体へと引き戻された。
河上彦斎……。
そんな怪物が大手を振って京の街を闊歩しているのだから、当時の治安の悪さは極めつけだ。
歴史マニアとしては一度拝んでみたい相手ではあるが、今回は別だ。
明確な殺意を向けてくる暗殺者など、御免被る。
オリバーは即座に出発を決意した。
全速で走る自分に、彦斎は決して追いつけない。
もし馬で追ってきても、石礫で馬を潰せばいい。
この時代、オリバーの脚力に追いつける乗り物など存在しないのだ。
問題は、エリオットの安全確保だった。
オリバーはすぐさま勝海舟の元へ向かった。
「勝さん、お願いがあります。すぐにエリオットさんを連れて、津の港から横浜まで逃げてもらえますか? そこでエリオットさんをビルマ行きの船に乗せてほしいんです」
こうなればエリオットは別経路を行った方が安全だ。
「そりゃ一体、どうしたってんだい?」
「危険な臭いがするんです。津までは京都見廻組の護衛を頼めますか?」
勝は何か言いたげな表情を浮かべたが、それを飲み込んだ。
オリバーが自ら囮を引き受ける算段だと察したのだ。
「そりゃ構わねえが……。早い方がいいんだな?」
「早ければ早いほど安全です」
「誰かに狙われてるってことかい。だがよ、おめえはどうするんだ」
「俺は、今から神戸まで走ります」
「走るだと?」
「はい。今から御所へ行って、すぐに出発することを伝えてきます」
「なんだと! 敵は御所か? わざわざ危ない橋を渡るこたあねえ。岩倉卿に後を任せる手だってあるんだぜ」
「いいえ、御典医様に少し、話しておきたいことがありまして」
「おい、あんまり無理すんじゃねえぞ」
勝は即座に動き始めた。
京都見廻組との交渉、岩倉への挨拶。
幕臣である勝と、護衛の見廻組がいれば、ひとまずはエリオットの安全は確保されたと言っていい。
それに、御典医の狙いはオリバー自身だ。
彦斎を街道の奥深く、東海道まで誘い出してしまえば、あとは一気に走り抜けて逃げ切れる。
時速20キロを維持すれば、四時間程度で神戸に着ける自信があった。
御所へ戻ると、御典医はすぐに会ってくれた。
「先ほどは見事な治療を見せていただきました。私に何かお話でも?」
愛想よく笑うその顔は、先ほどのどす黒い表情とは似ても似つかない。
「はい。術後の処置についての確認です」
「重々、承知しております。すべてお任せください」
「ありがとうございます。これで安心して旅立てます。……話はそれだけです」
「明朝、ご出立とか?」
「いえ、これから神戸に向けてすぐに出発します。慌ただしく申し訳ありませんが、ご容赦を」
御典医の表情が一瞬強張るが、すぐに取り繕った。
「そうでしたか、それは残念。ですが、しばしお待ちを。今、茶など用意させますから」
そう言うと、慌ただしく立ち上がって部屋を出ていく。
明確な足止めだ。
オリバーの幽体がその後を追うと、案の定、男の顔は「逃がしてなるものか」という形相に変わっていた。
男は手紙をしたため、それを家人らしき人物に託した。
【引っかかりましたね】
(これでエリオットさんの方は大丈夫だな。あとは逃げるだけだ)
御典医が下女を伴って戻り、茶を振る舞った。
「それにしても、あの手術、お見事なお手前でした」
「あの……」
「何でしょうか?」
「手術の技術そのものは、医療においてさほど大きな意味はありませんよね?」
「……どういう意味ですかな?」
「私のような一介の医師がどれほど高い技能を振るったとしても、救える命はたった一人。それに比べて、多くの医師を率い、医術の道を説く。その道が広がれば、どれほど多くの人が救われることか。それこそが、誇るべきことでしょう?」
その言葉に、御典医の顔が青ざめる。
医術を権力の道具としか考えていない男の胸に、オリバーの皮肉が深く突き刺さったのだ。
「それは……また、ご立派なご意見ですな」
引き攣った笑顔が、ひくひくと震えている。
【ほら、やっぱり怒らせたじゃないですか】
(いいだろ、俺はただ公衆衛生と保健行政の大切さを教えてやっただけだ)
【それが『上から目線』だって言ってるんですよ。でも、挑発は成功ですね。さっさと逃げましょう】
(了解!)
「あはは、余計なことを申し上げました。では、私はこれで……」
オリバーが腰を浮かすと、御典医も慌てて腰を浮かす。
だが、その時……。
「失礼いたします」
障子の向こうから、遠慮がちな女性の声がした。
「なんじゃ?」
「オリバー様がおいでと伺いまして……」
「うむ、ここにおられるが」
「和宮様がお目覚めで、オリバー様とお話をなさりたいとのことにございます」
御典医の口元に、微かな笑みが浮かんだ。
足止めをするまでもなかった。
これで逃げられまい……そう確信したに違いない。
【まずいですね。出発が遅れたら、逃げ切れない可能性が出てきますよ】
(抜刀斎の居合って、そんなに凄いのか?)
【感覚強化で見えるとは思いますが、見えた瞬間にはもう斬られている……というレベルです】
(厄介なことになったな……)
だが、行かないわけにはいかない。
オリバーは迎えの女中に連れられ、渋々と和宮の部屋へと向かうのだった。




