第211話 朝廷
エリオットと自分自身の安全のため、オリバーはどうしても会っておかなければならない人物がいた。
岩倉具視だ。
幕府側には松平春嶽や勝海舟のような現実派の幕臣がいる。
そして朝廷側の若手公卿で、当時、時代の現実を直視していた人物。それが彼であった。
彼を通して、手術の条件を認めさせなければならない。
第一に、本日中の執刀。
第二に、術後措置の厳守。
第三に、翌朝、オリバーとエリオットが京を離れ神戸へ向かうことの許可。
この三つである。
幸い岩倉は御所にいる。現時点での彼の影響力は強い。
オリバーに遅れること一時、勝が早籠で神戸から到着した。
岩倉との交渉は勝に任せ、オリバーはただちに準備を始める。
やがて勝は、岩倉と共に姿を現した。
「貴殿がオリバー・ツイスト殿か。話は勝殿より聞いた」
「では……」
「尽力はいたそう。すぐに御所へ向かわれるか?」
「お願いできますか。準備は済んでおります」
オリバーは胸をなでおろした。
もし岩倉の協力が得られぬなら、もはや時間はない。
即時の手術と即時撤退が認められねば、強行突破も辞さぬ覚悟であった。
使えるものは何でも使う。
フランス皇帝の信任状。
ビルマ駐在英国大使の要請書。
そしてビルマ国王ミンドンの直書。
これらの権威が通用するかが問題であった。
オリバーは英国人ではあるが、敵ではない。
ビルマでの行動が成功すれば、日本に大きな益をもたらす。
それを信じるかどうかは、孝明天皇にかかっている。
御所は夕刻の光に包まれていた。
砂利を踏む音が妙に大きく響く。
勝が一歩前を歩く。
道すがら、岩倉がふと口を開いた。
「オリバー殿。急ぎビルマへ戻られるとのこと。だが、今一度、日本へ参られる御所存はござらぬか」
「岩倉卿は、あんたの計画に乗り気らしいぜ」
勝が小さく笑う。
「それは……」
おそらく無理だ。今は自由に動いているが、オリバーは英国で一度死刑判決を受けた身である。
それにしても勝海舟という男、転んでもただでは起きぬ。
岩倉が計画に加われば、公武合体は一気に前進する。
やがて通されたのは、関白・九条尚忠の控間であった。
畳の縁を踏まぬよう、オリバーは静かに膝を折る。
「異国の医師とやら……岩倉より仔細は聞いておる」
岩倉が進み出る。
「此度の件、幕府にとっても重大にございます。しかしながら時は一刻を争います」
勝が続ける。
「本日中に手術を行わねば、御命は保証できませぬ」
静寂。
九条尚忠の声は静かであったが鋭い。
「条件とは何だ」
オリバーは顔を上げずに答えた。
「第一に、本日中の執刀。第二に、術後の厳重管理。第三に……明朝、我らが京を離れること」
「逃亡する……と申すか」
「ビルマ王との約定がございます。明日出航の船に乗らねばなりません。もし果たせねば、ビルマが……インドや清国と同じ道を歩むことになりましょう」
九条はわずかに肩を震わせた。
清国の阿片戦争は彼も良く知るところであった。
日本とて他人事ではない。
「帝の御心に叶う保証はあるのか」
オリバーは三通の書状を差し出した。
フランス皇帝の信任状。
ビルマ駐在英国大使の要請書。
そしてミンドン王の直書。
岩倉がそれを九条へ渡す。
部屋の空気が変わった。
九条尚忠はしばし黙考し、やがて言った。
「陛下の御前にて、直接申し述べよ」
勝の目が細くなる。
ここまで来た。
まず岩倉一人が通された。
後に知ることになるが、そこで岩倉は想像を超える奏上を行っていた。
一、欧米各国の制度・風習・産物を知るため、使節を派遣すべし。
二、英国を対等の同盟国とする千載一遇の機会、逃すべからず。
三、国内一致防禦のため徳川家は改易せず、思し召しに心服させるべし。
四、新政権樹立の勅命を発し、諸藩代表を召集すべし。
和宮手術を大義名分に、そこまで踏み込むとは。
時代を十年早めるつもりか。
勝もさることながら、岩倉という男の胆力には舌を巻いた。
結果は、予想外にオリバーの要求通りとなった。
即時執刀の許可。
オリバーとエリオットへの最大限の便宜。
さらに、医療行為に関しては一切の異論を差し挟まぬことが厳命された。
典薬寮へ勅命が下る。
岩倉の行った奏上はオリバーの立場を、もはや一介の医師以上のものに変えていた。
白衣に着替え、機材を抱え、小部屋へ入る。
和宮は静かに横たわっている。
御典医たちが、複雑な表情で二人を見据えていた。
その視線は、疑念と、屈辱と、そして……わずかな期待。
「始めます」
灯火が静かに揺れていた。




