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第208話 因果は巡る糸車

幕府の政権維持にはもはや執着せず、日本の置かれた国際環境を痛いほど理解している二人は、まさにこの時代の「政治的盟友」であった。

「春嶽様」

勝は意を決し、現在進行中のオリバーや龍馬、そして「春」が関わっている極秘ミッションの全貌を打ち明けた。

オリバーを中心に編成された商船艦隊――だがその実は、最新鋭の武装を施された強力な艦隊であること。

「なんということだ……!」

さすがの春嶽も、あまりに大胆な策略に驚き、目を剥いた。

「これをご覧ください」

勝が差し出したのは、イギリス大使宛てに出された、ビルマ王ミンドンからの要請書であった。

日本の国際的立場を慮ってか、勝個人に宛てた形になっている。


「お分かりになりますよね。ビルマで大英帝国艦隊がアジアの艦隊に敗れれば、英国議会は解散総選挙に追い込まれます。新政権は植民地政策に懐疑的になるでしょう。そうなれば、日本が通商条約を改めて締結する際、徳川一門の都合だけでは対応できません。諸藩も含めた統一的な意志を示す必要があるのです」

「立憲君主制による、議会政治……。それが必要だと言うのだな」

「そうです。春さんには悪いが、ここで、話をご破算するわけにはいかない。和宮様の身代わりとして降嫁していただく。これを利用させてもらうわけにはまいりませんか?」


勝は幼い頃の春をよく知っていた。春嶽が春をどれほど不憫がり、可愛がっていたかも。

「しかし、春は我々のこうした意向をどう思うであろうか。女だてらに医師になりたいと、あれほど熱望しておったのだぞ」

確かにそうだ。勝とて、できれば春の願いを叶えてやりたい。

だが、朝廷の意向である以上、春に拒否する選択肢はない。


これは奇縁としか言いようがなかった。

あの浪人者――おそらくは将軍家茂に相違あるまい。

楽しそうに夕餉を囲んでいたあの二人。

互いに満更でもない様子だった。

勝の目から見ても、これほどの「運命」は見たことがなかった。

問題は、家茂が身代わりの春を即座に見抜くのではないか、ということだ。

そうなれば春は、一時しのぎのためのにえになってしまう。

だが、もし……家茂に、春と共に大政奉還をやり遂げる意思があり、彼女を「同盟者」として受け入れるのであれば。

新政権を樹立し、英仏とも対等な関係を築けるに違いない。


だが、それは大きな賭けだ。

その種銭たねせんに、若い娘の夢を張ってもよいものだろうか。

春の夢――医師になる道は、これで潰えてしまうのか。

(いや、そうだろうか?)

もし大政奉還が成ったならば、家茂は将軍ではなくなる。

その時、春にはより自由な立場が開けるのではないか。


「勝殿……いかがなされた?」

長い沈黙に、春嶽が心配そうな目を向ける。

「あ、いや、その……」

勝はわずかな逡巡の後、決意を固めた。

「実は……」

春と家茂の密かな交流について、勝はありのままを語って聞かせた。

「なんと……!」

今度は春嶽が絶句し、黙り込んでしまった。

長い沈黙の後、ようやく重い口を開く。

「では、春が身代わりになったとしても、即座に上様に見破られると……」

「その可能性は極めて高いですな。そもそも、最初から『バレても黙認せよ』とのご意向かもしれませんぜ」

「だが、もし上様も大政奉還に乗り気であるならば……」

「春さんの存在は、この上なく心強い味方となってくれるでしょう」

「……陛下の真意を確認する術はありますまいな?」

「無論、それは無理でしょう」

二人は苦しげに数刻唸った。

「勝殿、あなたのご意見を。恨み言は申しません、本音で話してくだされ」


勝は膝を崩して向き直った。

「おいらは……」

「うむ」

「春さんはうまくやると思うぜ。しっかりした娘さんだ。与えられた試練が、困難が大きければ大きいほど強くなる。そんな娘さんだ」

「……それしかないであろうな」

「おいら、今度、将軍さんに会うことになってる」

「左様か」

「ああ。おいらに会いたいって意味が、ようやく得心が行った気がする」

家茂の胸中にも、自分たちと同様の新政権構想があるのではないか。


(おい! マジかよ!)

それを傍らで聞いていた幽体のオリバーは、思わずのけ反った。

【ここは家茂の考えを探っておく必要がありますね】

(探ってどうするんだよ! 俺は次の神戸に寄ったら日本を離れるんだぞ!)

【問題はそこですね。春さんにコンタクトをとって必要な情報を与えておかなければ、先の予測が困難です】


春嶽が話を継ぐ。

「いずれ、春の身代わりは一時しのぎ。和宮様がご快復なされた後に密かに入れ替わる。それをそれがしに成せとのご意向のようだ」

「そりゃまた、無理難題が過ぎるってもんだ。それに大火傷って話だが、それはどうするんで?」

「それなのだ。実は宮中の医者では埒が明かず、神戸に滞在しておった英国人医師が呼ばれたのだ」

「そいつなら治療ができると?」

「いや、そうではないのだ」

「はあ? どういうことだい?」

「その医師、エリオット氏によれば、今、この日本の江戸に治療ができる男が一人いるというのだ」

「なんだって? そいつは何者だい?」

「なんでも、英国王室のマリー王女殿下が大怪我を負われ、宮廷医師団が手をこまねいていた際、奇跡的な外科手術で一命を救ったばかりか、完全に回復させた男がいるという。エリオット医師自身がその場に立ち会ったので間違いないと申しておるとか」

「そいつは英国人だね。江戸にそんな奴がいれば……待てよ……」

英国人なら昨晩、ここに一人いたではないか。だが、まさか……。

「そうなのだ。今、朝廷はその英国人を血眼で探しているようなのだが、江戸に英国人などおるわけはあるまいな?」

「そうとは限んないぜ。春嶽さん、その男の名前は?」

「たしか……織部おりべなんたらと……」

「織部? オリバー・ツイストじゃねえのかい?」

「おお、それです!」

「なんだって!」

勝が素っ頓狂な声を上げた。


同時に、幽体のオリバーも――。

(おい! なんだよそれ!)

と、声にならない絶叫を上げていた。

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