第201話 幕末爆速
三日と置かず、オリバーから連絡が入った。
蒸気機関付きの小型帆船を十六隻、すでに確保したという。
魚雷は八十本。そのうち二十本は訓練用の空砲であるらしい。
ほぼ同時期、坂本からも報告が入る。
横須賀に簡易的なドックを設置するため、大工を雇い、すでに作業を開始したというのだ。
報告が届いた頃には、現場の指揮はすでにオリバーへ引き継がれており、坂本はいつの間にか姿を消していた。
勝は大慌てで幕閣の追認を取りに走った。
名目は神戸海軍操練所の関東分所設置。
この理屈で何とか了承を取り付ける。
十六隻の小型帆船は、正式に海軍操練所の所有となった。
その運用は形式的には新設された、坂本の所有する民間企業「海援隊」の運用となる。
今の時点では有名無実な企業に過ぎない。
支払い条件は五年間の分割払い、無利子、無担保。
相手はオランダの貿易商で、すでに契約は成立していた。
どんな魔法を使えば、これほど都合のよい契約が結べるのか。
「全くとんだ貧乏くじだだぜ。あのイギリスのクソガキによろしくな」
その詳細は不明だが、ともかく横浜から曳航してきたオランダ商人は、船を引き渡すと、そんな意味の捨て台詞を残して去っていった。
勝はその意味を、後で通訳から聞かされた。
その日からオリバーは職人を集め、操舵の改造と魚雷発射装置の設置を突貫工事で始めた。
横須賀周辺の鍛冶職人、細工職人、船大工を寄せ集めた、心もとない布陣である。
だが、オリバーの指揮の下、彼らは養成を兼ねた作業として着実に進んでいるように見えた。
勝から見れば、オリバーはかなりの強運の持ち主にも見えた。
なぜなら、彼が集めた職人は都合よく、オリバーが必要とする技能の基礎知識の持ち主たちであったからだ。
『天眼智』を使ったチート級の情報収集能力を知れば、どんな顔になることであろう?
さらに、神戸海軍操練所から二十名の船員を横須賀へ回すよう要請が入る。
(あのイギリス人はいったい何者なのだ。)
日本語を自在に操り、日本の情勢を驚くほど正確に把握している。
現在の日本は尊王攘夷派が闊歩し、その裏で開国派が静かに力を蓄えている状況だった。
下関では、長州が列強四か国艦隊に完膚なきまでに叩きのめされている。
国力、軍事力、技術力、そのすべてにおいて欧州には敵わない。
尊王攘夷など、冷静に考えれば合理性のない、絵に描いた餅に過ぎない。
早期に、西洋の技術を学ばねば、清国やインドの二の舞になりかねない。
だが、それ以前の問題がある。
日本を一つにまとめねばならないのだ。
公武合体。
もし幕府と倒幕派の間で内戦が起これば、列強の介入は避けられない。
清国が踏んだ轍を、日本もまた辿ることになるかもしれない。
そんな折、オリバーからさらなる報告が届く。
プロセインの外交官、ビスマルクが首相に就任したというのだ。
横浜へ人を出し、フランス商館に確認を取る。
すると、同様の無電連絡が入っているとの返答があった。
(あれは、ハッタリではなかった。)
さらにオリバーは、幕府にとって極めて不吉な予言を残していった。
幕府の軍制改革は遅々として進まず、しかもフランス式の戦術思想は、すでに欧州では時代遅れになりつつある。
つまり、学んだところで、新しい戦術思想を持つ軍には勝てない。
長州は「奇兵隊」と呼ばれる新たな軍制を採用し、急速な改革を進めているという。
このままでは、薩摩が長州に同調し、倒幕へ傾く可能性が高い。
幕府は薩摩から見限られる。
そうなれば、公武合体は完全に潰える。
オリバーは、長州さえ公武合体に同意すれば、早期に新政権を樹立できると考えているようだった。
もしビルマで、イギリス海軍が日本の海軍に敗れたらどうなるか。
民間の十六隻の軍船が、乗組員ごと幕府の操練所に編入される。
その衝撃は、薩摩にも長州にも計り知れない。
そのタイミングで、イギリスから平等通商条約の特使が来たら。
条件は一つ……内乱状態にない、統一国家であること。
これでは攘夷派は一気に正当性を失う。
さらにイギリスにオリバーの目論む新政権が出来れば、英仏普と対等な条約が結ばれれば、欧州の植民地主義そのものが揺らぎ始める。
その第一歩が、ビルマの植民地化挫折なのだ。
オリバーの動きは速かった。
神戸から二十名の人材を呼び寄せ、完成した一隻目で試運転を行う。
結果は上々。装備も蒸気機関も問題なく機能した。
「あの軍船の性能は列強のものにも劣りません」
興奮に顔を紅潮させた二十名のうちの一人……横須賀から勝の元へ報告に訪れた士官候補の一人がそう告げた。
坂本がどこからともなく集めてきた船員候補が、次々と横須賀の借り上げ宿に集まってくる。
だが、十六隻を運用するには四百名が必要だ。
簡単に集まる数ではない。
それでも、ここまで事が進んでしまえば、勝も後には引けなかった。
あの日、赤坂の屋敷を訪れた、あの三人の行動力が、すでに大きな流れを生んでいる。
勝は、長州の桂小五郎、薩摩の西郷隆盛、そして京の岩倉卿へと書をしたためた。
夜。
オリバーは寝る前の習慣である「天眼智」のため、瞑想に入る。
プロセインでは予定通りビスマルクが首相に任命されていた。
前世の史実より一年早い。
軍制改革は加速し、デンマークとの緊張も高まっている。
イギリスからエドウィンとエリザベスがプロセインを訪問。
秘密裏の同盟交渉は順調に進んでいた。
一方ビルマでは、エーヤワディー川河口付近で、カナウン王子の指揮の下、陶器製機雷が大量に生産されている。
決戦場は、そこだ。
江戸の町を歩くと、オリバーは意外なほど心が落ち着くのを感じていた。
前世で住んだ東京とはまったく別の街だが、昼の江戸は常に祭りのような活気に満ちている。
露店の食べ物はうまく、街も清潔だ。
それに比べ、京都ははるかに殺伐としていた。
坂本は、その京都に居た。
四条にある長州藩邸の奥座敷で、数人の武士が刺すような目つきで坂本を睨んでいる。
一方の坂本は、至って呑気な表情で、薄笑いを浮かべていた。
「おまんら、よう分かったじゃろう?列強には力では勝てん。そんじゃが、おまんらの気持ちは、わしにもよう分かるぜよ」
長州は下関で、列強の艦隊に完膚なきまでに敗北していた。
坂本の対面に座る男……久坂玄瑞。
その指揮を執っていた当事者である。
「坂本殿、何用でござろうか」
「どがいした?わしとおまん、仲かや。なんで、そがい杓子定規な口を聞くが?」
「黙れ。わしは、もはやその方を同士とは思わん」
「勝先生のことを言うとるがか?ほんなら、そう言うたらえいがやき」
「……先生だと?……まあ良い。用件を言え」
「おまんらにとって、ええ話じゃ」
坂本は、にやりと笑った。
その瞬間、幽体のオリバーは肝を冷やした。
だが、久坂の表情から感じ取れるのは、殺気ではない。
むしろ、押し殺した悔悟の念だった。
「悪いが……そのほうら、少し席を外してもらえるか?」
久坂は、同行していた二人の藩士にそう告げた。
若干の戸惑いを残しながら、二人は座敷を出ていく。
それを見届けてから、久坂はそっと障子を開け、本当に去ったかどうかを確かめた。
「……行ったようだな」
「なにを、こそこそしちょるが……」
揶揄するような坂本の口調に、久坂は目を怒らせる。
「黙れ!おまえと違うての。わしには立場ちゅうもんがあるけえ」
「……ふん」
坂本は鼻を鳴らした。
「ほんで、ええ話ちゅうんは、なんじゃ?」
「おまんら、わしと一緒にビルマへ行かんか?海はええぞ。蒸気機関のついた、ええ船があるんじゃ。給金も出るちゅう話ぜよ」
「ビルマだと?正気か、坂本。おまえ、頭に虫でも湧いたか?」
「正気も正気。わしは大真面目ぜよ」
坂本は、にやりと笑い、久坂の目を見る。
そして、オリバーの計画の全貌を語り始めた。
久坂は、黙然とその話を聞いていた。
張りつめた空気が座敷を満たす。
話が終わると、久坂は身じろぎもせず、瞑目した。
さすがの坂本も、気まずさを覚えたのか、
しばらくの沈黙ののち、口を開く。
「……どうじゃ?久坂、なんとか言え」
その言葉に、久坂はぱっと目を見開いた。
幽体のオリバーは、
(これ、不味いんじゃね?)
と、緊張する。
「坂本……」
ぽつりと、久坂が呟く。
「お……おお……」
坂本も、さすがに表情を引き締める。
……が、次の瞬間。
久坂は、相好を崩した。
「ほんまに、ええ話じゃのぉ。わしは、そんな話を待っとったんじゃ」
「……は?」
「早速、長州へ戻って、高杉さんに相談してみるけえ。横須賀で待っちょれ。ええか?」
そして二人は、そのまま夜の街へと消えていった。
久坂がいなくなったら、前世で起こったはずの……
京の街を焼き払う「蛤御門の変」は、どうなるんだよ?
……と思ったものの、
あんな悲劇は起こらないに越したことはない。
この世界は、前世とはまったく別物のパラレルワールドであることを、改めて実感した。
しかし、これで乗組員の目途は立った。
さすがに、あの坂本龍馬だ。
そう納得せざるを得ない、一幕であった。




