第200話 分岐
やがて、このオリバーというイギリス人の意図が、勝の中で明瞭になってきた。
「イギリス艦隊が敗退する……それを、このアジア……アジアの艦隊が成し遂げる。そのことが重要だって言うのかい?」
「その通りです。これはチャンスです。今、ビルマを征服しようとしている六隻の艦隊には、法律上も道義上も、正当性がありません。イギリス本国議会の承認を受けていない、海軍の独断です。ですが、このままビルマ王が屈服すれば、議会はこの行動を追認するでしょう」
「なるほど……つまり、おいらの出方次第で、今後の世界情勢が大きく変わるってことかい?」
少し、大きく出てみた。
だが、それに対してオリバーは……
「いえ、そうではありません……」
……と答えた。
勝は、少し拍子抜けした気分になった。
知らぬ間に、年甲斐もなく気分が高揚していたらしい。
「賭けてもいいです」
「はぁ? 何をだい?」
「ビルマでの一戦……勝利した場合、今後、少なくとも二百年先の未来にまで、大きな変化をもたらします。これは、歴史の大きな分岐です。それができるのは……勝さん、このアジアでは今、あなた以外にいません」
昨晩、あれほど饒舌だった春と龍馬は、黙然と話を聞いていた。
「ちょっと待ちねえ。隣に清国って、でっけえ国があるじゃねえかよ」
「残念ですが、今の清国には、世界を変えるほどの強固な信念がありません。阿片戦争によって傷ついたのは、国としてのアイデンティティーです。よく考えてください。清国は、かつて強力な指導者のもと、周辺国を従えた覇権国家でした。ですが、多民族国家としての権威が失墜した結果、今後数十年は混乱状態から回復できないでしょう」
「だがよ! 日本だって似たようなもんだぜ。尊王攘夷が吹き荒れて、おいらだって、いつ殺されるか分かったもんじゃねえ。アイデンティティー……つまり民族の意思って言っていいのか?そんなもんが、どこにある」
「本当に、そう思っていますか?……違うんじゃありませんか?」
「どういう意味だい?」
「あなたの目的は、幕府の延命ではない。日本という国を一つにまとめ、再起動させることだ。確かにこの国は今、分裂しています。ですが、それは国を守る。その一つの目的のためです。」
沈黙の中に、夜の江戸の喧騒が流れ込んでくる。
やがて、勝が口を開いた。
「……おいらに、何をやらせたい」
「艦隊を貸してください。それと、乗組員と技術者。ビルマで決戦をする意思のある人間を集めてください。それができるのは、あなたしかいません」
「おいらが断ったら、どうなる」
「欧州列強によるアジア支配が、百年以上続きます。その間、アジア諸国の発展は大きく停滞するでしょう。ですが、それより深刻なのは、列強同士が覇権を争う大きな戦争に突入することです。そして、この日本も……あなたの手で樹立される日本国は発展します。ですが、例外なく列強の一国として、戦争に巻き込まれることになります」
「買い被り過ぎだ!日本一国で手いっぱいのおいらに、なんで他所の国を助ける余裕があるってんだい。なんで、そんなことが分かる。未来でも見てきたってのか!」
「今、日本で起こっていることは、すべて世界の動きとつながっています。ビルマのカナウン王子が、あなたとよく似た立場にあるのは、なぜだと思いますか?お願いします。なすべきことを、なさってください」
「無理だ。確かに神戸には海軍操練所がある。だが、おまえの言うような魚雷艇なんぞ、どこにもねえじゃないか」
「あります!」
「なんだと!」
「蒸気機関付きの小型帆船が十六隻、最新式魚雷が八十本、横浜にあります。それに、ビルマでは今ごろ、水中機雷千個が製造されているはずです。あとは、乗組員と技術者だけ。それを指揮できるのは、あなたしかいません」
「……おいらに、人を集めろってことかい」
「その通りです」
すぐに返事ができる話ではない。
「返事は、急ぐんだな?」
「明日中に、お願いできますか」
「……分かった。だがよ。おいらは幕臣だ。出来ることは限られている。それでも良いのかい?」
オリバーが頷く。
とんでもない話が持ち込まれたものだ。
だが、自分は、よほどの大バカなのだろう。
その話が、面白くてならなかった。
気持ちが大きく傾いていくのを、どうしても止められない自分が恨めしい。
その時、突然、浪人者の坂本が畳に額を押し付け、平伏した。
「わしを、使ってくれんじゃろうか。勝先生、オリバー先生。わしもビルマへ行くぜよ。弟子にしてつかあさい」
勝はオリバーと顔を見合わせ、笑った。
ここにも、大バカが一人いた。
大バカの弟子が、大バカ……
それも、悪くない。
「それはいいけどよ。おいらの弟子……いや、それより、イギリス人の弟子になんぞなったら、命を狙われるぜ。それでもいいのかい?」
「承知の上じゃ。今まで、何をやったらええか分からんかった。じゃが、それが今日、はっきり分かった気がする。よろしくお願い申す」
再び、龍馬が平伏する。
「わ、私も、何かお手伝いさせてください」
春も、平伏していた。
……もう一人、いた。
清々しいほどのバカばかりだ。
勝は、晴れやかな笑いを、どうしても止められなかった。
そうは言っても、オリバーの言っていることが現実になるとはどうしても信じられなかった。
だが、この三バカが、翌日から動き始め、その行動力に、自分が瞠目する羽目になるとは……この時は、まだ、予想だにしていなかった。




