第195話 尊王攘夷
折よく宿場では二丁の籠が見つかり、春は約束通り、駕籠かきに代金をはずんで急ぎの旅であることを伝えた。
籠に乗り込み、移動を始めると、予想通りかなり揺れる。
正直に言って、走った方が早かった。
だが、ここまで来た以上、もう引き返せない。
とはいえ、まさか自分が籠に乗る体験をすることになるとは思いも寄らず、意外にも楽しんでいる自分がいた。
……瞬間。
(殺気だな?)
【後方に五名。武装した侍です】
(物取りか?)
【それにしては、殺意が強すぎます】
(尊王攘夷派の侍か……)
「そこな籠、天狗党の御用である!」
大音声で、一人の大柄な侍が叫んだ。
前方を行く、春の乗った籠がどさりと音を立てて落ちる。
間を置かず、オリバーの籠も落とされ、四人の駕籠かきは悲鳴を上げながら四散した。
オリバーは即座に籠を飛び出し、春のもとへ駆け寄る。
「天誅!」
裂帛の気合とともに、一人がいきなり上段から剣を振り下ろしてきた。
必殺を期した剣筋である。
それを、オリバーは『真剣白刃取り』で受け止めた。
ただし、それは柳生新陰流の『無刀取り』ではない。
『天眼智』による感覚強化と筋肉硬化……鋼鉄と化した掌で、正確に受け止めただけだ。
次の瞬間、剣はもろくもポキリと折れた。
男は驚愕に目を見開き、即座に間合いを切って飛び退く。
かなり実戦慣れした動きだった。
だがその顔には、まだ十代の少年の面影が残っている。
「ご無体な!無辜の民を、いきなり切り捨てるのが水戸のご家中のお侍のやり方ですかい!」
オリバーは大音声で叫んだ。
『威圧』のレベルを抑えて発動したためか、五人は一斉に間合いを取る。
天狗党……水戸学に心酔する尊王攘夷派の急進強硬派。
その特徴は、命令より思想、和解より殉教、妥協は裏切り。
一切の融和を許さない存在だ。
この先、彼らは母体である水戸藩自身からも持て余され、最後は幕府の命により処刑される運命にある。
その多くは、純粋に国を憂える十代後半から二十代前半の若者たちだった。
「黙れい!わしらの目を誤魔化せると思うたか、南蛮の侵略者が!」
先ほど大音声で叫んだ大柄な男だ。
どうやら、この徒党の首領らしい。
年の頃は三十代前半と見える。
「春さん、下がって……」
オリバーは三度笠を足元に落とし、静かに五人を見渡した。
「俺はイギリス人だ。だが、少なくとも今日、今この場で、お前たちと刃を交えるつもりはない」
「戯れ言を!」
首領が一歩踏み出す。
「南蛮は皆、同じ穴の狢じゃ!銃を売り、金を吸い、国を食い荒らす外道よ!」
「それは半分、正しい」
オリバーは即座に返した。
「だが、半分は間違っている」
若い天狗党の面々が、ざわりと動く。
「イギリスは国を奪うために来たんじゃない。商いをしに来ただけだ。
奪えば反乱が起きる。統治すれば金がかかる。割に合わない」
「ならば、なぜアジアを踏みにじる!」
「踏みにじられた国が、武器を持たなかったからだ」
オリバーの声は穏やかだった。
「そして、学ばなかったからだ」
「黙れ!学ぶだと? 異国の穢れを学べと申すか!」
「違う」
オリバーは首を振る。
「奪われないために、奪う側の理屈を知れと言っている」
一瞬、沈黙が落ちた。
「お前たちが信じる水戸学は、美しい。天皇を想い、国を憂い、身を捧げる覚悟がある。だが……それだけだ」
「なに……?お前などに、何が分かる」
「水戸学は、敵を斬る理由は教える。だが、国を守る方法は教えない。
死ぬ覚悟は教えるが、生き延びる知恵は教えない。それでは足りない」
若者の一人が、唇を噛んだ。
「ええい!黙れい!清国や天竺での所業、我らが知らぬとでも思ったか!」
「清国の失敗を見て、なぜ学ぼうとしない」
「そのような必要はない!」
「刃を振るえば国を救ったつもりになれるのか。だとしたら、とんだお笑い草だ」
「おのれ……」
首領は歯噛みし、目を血走らせた。
……次の瞬間。
「私も、そう思います」
凛とした声が、場を裂いた。
「力の計算も、金の流れも、外交も、技術も、国情も学ばぬ者に、国を救うことなど出来ませぬ」
「は、春さん……」
オリバーは驚き、思わず仰け反る。
「この方……オリバー様は、日本に技術を伝えに来てくださったのです。
イギリスの国情も、つぶさに語ってくださいました。そのために命を賭して江戸へ向かう、大恩人を斬るなど、もってのほか!」
首領の目が、細くなる。
「それが何じゃ。我らとて身命を賭しておる。命を惜しんで国が守れるか!」
「守れない」
オリバーは即答した。
「だが、命を捨てても守れない」
ざわめきが広がる。
「考えてみろ。今日、俺を斬ったとしよう。明日、イギリス艦隊が横浜に現れる。それで、この国は守られたと言えるか?」
沈黙。
「お前たちの行いは、敵に名分を与えるだけだ。扇動されて動くほど、交渉は楽になる」
「貴様……水戸学を侮辱する気か!」
「侮辱はしない」
オリバーは一歩、前に出た。
「だが、どんな学問であれ、完全なものなどない。状況に応じて変われぬ思想は、ただの狂信だ」
「水戸学は学問だ!宗教ではない!」
「……だが、今のお前たちは殉教者の目をしている」
「その目で見える世界は、もう狭すぎる」
一瞬、首領の背後で、若い天狗党の一人が揺れた。
だが……
「もうよい!」
首領が刀を構える。
「言葉遊びは終わりじゃ!南蛮は南蛮……斬って捨てるのみ!」
「そうか」
オリバーは静かに息を吐いた。
「ならば、せめて覚えておけ」
彼は春を庇う位置に立ち直る。
「今日、ここで俺を斬れば、お前たちこそが、国賊になるだけの話だ」
「うぉおおお!」
絶叫とともに、男の剣先が高く上がる。
その動きを、オリバーの『天眼智』の目が、悲痛な色で捉えていた。




