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母なる世界樹がいまわの際に示した新たな光の在処については〈亀〉が知っていた。重く堅固な甲羅を生まれ持っていたがゆえに動き回る機会の少なかった〈亀〉は、森に住まっていた無数の獣たちの中で最も長い時を世界樹の傍で過ごし、最も長くその声に耳を傾けていたのだった。
「新たな光は七つの沙漠を越えたところにある」
〈亀〉は健在だった頃の世界樹の預言めいた言葉をなぞるように語った。十一頭の獣はそれに従い、〈獅子〉を先頭に立てて光を求めての旅路に就いたのである。
一つ目の沙漠は枯れ果てた大森林の残骸だった。即ち残された十一頭が生まれ育った場所であり、そこを越えること自体にさしたる苦痛はなかった。ただ、よく見知った地が滅びに褪色した様は新たな希望を目指さんとする十一頭の心を挫くには十分だった。
森の端に辿り着いた獣たちはそこから遙か彼方の地平を目にした。二つ目の沙漠にはぽつりぽつりと足跡が残されていたが、それはかつて世界樹の庇護による安寧をよしとせず森から出ていった数少ない獣たちが刻んだものだった。独立心に溢れる足取りであったことは容易に察することができたものの、しかしどの足跡も爪先が森の外へと向いたものばかりで森に帰還するものは一つとしてなかった。さりとてそこを越えた先人がいるという事実だけで、十一頭は少なからざる心強さを感じたのである。
第三の沙漠こそが十一頭が初めて対峙した試練だった。砂が一時たりとも留まることなく流れ続けるその様は、まるで地面が感情を持ち、獣たちの行く手を阻んでいるかのようだった。羽根を持つ〈鷹〉や〈蝙蝠〉、〈蜂〉にとっては何の苦もなかったが、小柄な者や鈍重な者は足を取られ、進んでしばらくも経たずに体力の大半を奪われた。中でも堅牢な甲羅を背負った〈亀〉の疲労は著しく、第三の沙漠の半ばに至る前に息が上がってしまった。今にも仰向けになって倒れそうな〈亀〉を〈獅子〉が拾い上げ、休むようにとその豪奢なたてがみの内に招き入れた。
最初の脱落者は〈亀〉ではなかった。ようやく第三の沙漠の終わりが見え、気が緩んだ獣たちを巨大な流砂の渦が捕らえた。その渦の中心に呑まれたが最後、無明の淵へと引きずり込まれて二度と戻って来られないだろうことを十一頭は直感した。まず幸いにも勢いの弱い渦の端にいた〈熊〉が逃れ、〈亀〉をたてがみに包んだ〈獅子〉が瞬発的に跳び退いた。羽根ある三頭は上空から取り残された者を確かめ、流されまいと抗う〈兎〉と〈鼠〉を救い出した。〈狼〉は〈蛇〉をくわえて渦の外に放り投げた。
不運な悲鳴を上げたのは〈山羊〉だった。突如出現した渦の中心近くにいた〈山羊〉は、すでに後ろ足の付け根までを呑まれ、必死に前足で砂を掻き、泡を吹きながらもがいていた。
「待っていろ!」
叫ぶなり、助かる場所にいたはずの〈狼〉が渦の流れに乗りつつ〈山羊〉の元へと駆けた。
「愚かな……」
それを見て、〈狼〉によって救われた〈蛇〉が呟く。
「おれも行く!」
と吼え、回転を狭めながら勢いを増す渦に再び飛び込もうとする〈獅子〉を〈熊〉が力づくで抑えた。〈山羊〉を引き上げようとする〈狼〉の元へと羽根ある三頭が向かう。〈蜂〉は〈山羊〉の角の根元をくわえて離そうとしない〈狼〉の首筋に毒針を刺して昏倒させた。半身を飲み込まれた〈山羊〉は手遅れであったが、〈狼〉だけならば〈鷹〉と〈蝙蝠〉の力で何とか運ぶことができたのである。
「……同化だ」
瞳に諦めの色を浮かべた〈山羊〉の呟きを聞いたのは、非力であるため〈狼〉の運搬に加わらなかった〈蜂〉だけだった。〈蜂〉は頭以外を呑み込まれた〈山羊〉の額に小さな顎で噛みついた。母なる世界樹に与えられた七色の奔流が二頭を包み、一頭の獣へと変じさせていく。それは〈山羊〉の角を生やした〈蜂〉だった。
犠牲を払いながらも難を乗り越えた十頭は次なる沙漠に足を踏み入れた。第四の沙漠は細かい塵芥が濛々(もうもう)と立ち込め、千里を見通す〈鷹〉ですら視界の自由が利かなかった。また、世界樹の庇護を受けていた頃には一度たりとも感じたことのなかった餓えや渇きが獣たちを苛んだ。唯一〈山羊〉と同化した〈蜂〉のみが飢餓を感じていないという事実を知ると、獣たちはとうとうお互いを食らい合うことに決めた。
飢餓のない〈蜂〉、飢餓に耐えることを決断した気高き〈獅子〉と〈狼〉、心優しい〈熊〉を除いた六頭が額を突き合わせて誰が誰を食らうかという相談をした。その結果、〈鷹〉が〈亀〉を、〈蛇〉が〈蝙蝠〉を、〈兎〉が〈鼠〉と同化してそれぞれ甲羅や飛膜、嗅覚などを引き継ぐこととなった。
七頭となった獣たちは五つ目の沙漠に入った。道のりは格段に平易となったが、時折にわか雨のように数十もの拳ほどの岩石が降ってくる中を獣たちは進んだ。奥深くへと足を踏み入れるにつれて岩の雨が降る間隔は短くなり、とうとう途切れることがなくなった。飛礫も大きさをいや増し、果てには〈兎〉や〈蛇〉などならばたやすく押し潰すことができるほどの巨岩も落下してくるようになった。
「こ、これはたまらん!」
〈兎〉のその一言をきっかけに、獣たちは三度の同化を試みることにした。
「ただ同化しても意味がない」
〈蛇〉がより効果的な同化を提案した。それは最も体の大きな〈熊〉が、〈亀〉の甲羅を持つ〈鷹〉を同化するというものだった。同化の力に言い表しようのない恐ろしさを覚えていた気高き〈獅子〉はそれを止めようとした。だが、当事者である〈鷹〉は自己犠牲こそ誇りと自負しており、進んで〈蛇〉の提案を受け入れてしまった。
〈鷹〉を食らった〈熊〉の背から堅固な表皮を持つ羽根が生えた。体格に比例した大きく堅い羽根は仲間を守りたいという〈熊〉の思いを体現したもので、その下に隠れた獣たちは世界樹の庇護を受けていた頃に似た安心感に包まれた。しかしそれも束の間のことで、第五の沙漠を越えたところで獣たちの結束はとうとう綻んでしまう。
きっかけを作ったのは〈蜂〉だった。第三の沙漠以来、〈蜂〉の内側で生来の短気と同化した〈山羊〉の調和を重んじる心とが激しく葛藤していた。〈蜂〉は母なる世界樹の面影に救いを求めたが、そこで浮かんだのは仲良くせよという最期の言葉だったため、〈蜂〉はついに心の平衡を失った。
「あっ……!」
〈兎〉が声を発するも時すでに遅く、〈蜂〉は狂おしく友の間をすり抜けると、尾の毒針を〈熊〉の脾腹に突き立てた。すさまじい唸り声を上げつつも〈熊〉が倒れなかったのは、〈蜂〉の毒への耐性を持っていたからである。しかしその毒は穏やかな気性を冒し、〈熊〉は〈蜂〉の胴を粗暴に掴むと一口に飲み下してしまった。
四頭分の力を得た〈熊〉だったが、心の平衡を取り戻すことはできなかった。〈熊〉は二対となった硬質の羽根を羽ばたかせ、鋭い角を残った獣たちに突き出した。〈蛇〉は飛翔し、〈兎〉は反射的に跳んで逃れた。〈獅子〉と〈狼〉は尖った角先を身に掠らせつつも〈熊〉の懐に飛び込んで首筋と腹とに噛みついた。同化はできなかった。同化を為すにはされる側がそれを受諾するか、もしくはする側がされる側を力によって屈服させる必要があった。さすがの〈獅子〉と〈狼〉も平常心を失ったとはいえ四頭分の獣の力を持つ〈熊〉を圧倒することはできなかったのである。
しかし、二頭がかりで何とか〈熊〉の動きを止めることはできた。その隙を突き、〈蛇〉が〈熊〉の鼻先に毒牙を突き立てる。さしもの〈熊〉も〈蛇〉の毒には耐性がなかった。毒は見る間に鼻の傷口から全身に回り、〈熊〉は大きな音を立てながら仰向けに地に倒れた。
安心するのも間もなく、〈蛇〉と〈熊〉を中心に同化の奔流が発生する〈蛇〉が見たこともないほど忌まわしい姿へと変貌を遂げた。四肢のなかった〈蛇〉の胴から野太く毛だらけな腕が伸び、つるりとした頭部から角が生えた。
「はははははは!」
哄笑を上げながら、種類の異なる三対の翼を広げて第六の沙漠の彼方へと飛び立ってしまう〈蛇〉の姿を、三頭はただ呆然と見送ることしかできなかった。




