六十一話 抱かない忌避感。感じない嫌悪感
「兄さん!」
「おっとと、危ないだろ」
盗賊達を殲滅した俺達は、何事もなく屋敷に帰宅した。俺の帰りをずっと待ってたのか、日が傾き肌寒くなっても縁側に楓が座っていた。俺の姿を見つけた楓は、走り寄って俺の胸に飛び込んでくる。その目の両端には涙が浮かんでいた。
「よかったです。無事に帰ってきてくれて。お怪我は、ありませんか?」
「ああ。どこにも怪我なんてしてないぞ」
楓を降ろし、体を見せつけるように腕を広げると、楓は満面の笑みを浮かべる。
「おお、お熱いねぇ。ねぇ楓。あたしにはなにかないのかい?」
「おおおお帰りなさい母さん」
そこへ師匠がここぞとばかりに茶々をいれる。楓は顔を真っ赤にして挨拶をした。
その夜。星々が煌めく夜空には満月が浮かんでいた。
「ふぅ」
一人、満月を見上げながら溜息をつく。俺は、冷たい人間なのだろうか。普通人を殺したら、人を殺した忌避感や自分に対する嫌悪感に吐いたり吐き気を催したり、三日三晩悩み続けると師匠から聞いていた。だが、俺は人を殺しても、人を殺した忌避感や自分に対する嫌悪感は、全く、そう、一切抱くことはなかった。それどころか、人を切った感触を嫌悪することすらせず、ただ淡々としていただけだった。
「俺は、冷たい人間なのだろうか」
人を殺したら、ただでさえこの感情の薄い心は揺すりうごかされ、多大な精神的疲労を受けると思っていた。
だが、実際は受けることすら、波紋が打つことすらない。
今だって人を殺したということよりも、人を殺してなにも思っていないということに忌避感を抱いている。
「俺は、冷たい人間なのか?」
自問自答を繰り返すも、その答えが見えてくることはない。徐々に思考の海へ沈んでいく。
「どうしたんだい?そんなに煤けた背中を見せて」
沈んでいく俺を引き上げたのは、師匠の優しい声だった。
「師匠」
「本当にどうしたんだい?あんたがこんな暗い顔をするなんて」
俺の隣に腰掛けながらそう問いた。俺は、師匠の問いに自分の思っていることを正直に吐露した。
「……そうさね。確かに、あんたは冷淡な人間だよ。命の危険に晒されて、危機感を抱くことはあっても焦ることはない。楓ほどの美人と一つ屋根のしたで暮らしても異性に心を奪われることもない。どんなことがあってもあんたの心には波は立たないよ。でもね、どんなにあんたが冷淡な人間であっても、人を殺してなにも思わないことに忌避感を抱くことはないさ。それは、あたしも同じだったから」
師匠が、か?
「あたしが初めて人を殺したのは、有名な剣術家に弟子入りした時だった。その時のあたしは12で、弟子入り試験として人を殺すことを迫られたんだ。はじめは人を殺すなんて出来っこない。そう思っていたさ。でも、弟子にしてくださいといった手前、出来ません、なんて罷り通るわけもない。そこであたしは、あたしの体目当てで襲って来た人間を殺した。てっきり、同じ人間を殺したことに忌避感を抱くかと思っていたんだよ。しかし、結果はなにも思うことはなかった」
俺は、師匠の独白を聞いて戦慄することしか出来なかった。師匠の師匠が弟子に人殺しを強要したことにも驚いたが、感情豊かな師匠が人を殺してなにも思わないことに戦慄していた。淡々と話すその姿からは、俺以上の忌避感を抱かなかったことについての葛藤が感じられた。
「こんなことは弘次郎にとってなんの支えにもならないかもしれない。だけれど、あんただけじゃない。人殺しになにも思わないことはあんた一人じゃない。もしあんたが冷淡で冷酷な人間だと言うならば、あたしはあんた以上に冷淡で冷酷だよ」
その言葉は、俺を雁字搦めにしていた呪縛から、俺を解き放ってくれた。そのことに、俺は師匠に心から感謝し、涙を流した。




