第五十八話 話
「ふっ」
上衣をはだけさせたまま大太刀を振り下ろし、振り上げて、また振り下ろす。それを何度も何度も繰り返す。
あれから数ヶ月の月日が経つ。楓の様子も元に戻り、普通に話ができるようになった。
隆元流も五ノ太刀まで習得出来、剣の腕もそれなりに上昇したと自負している。といっても、まだ師匠には全然敵わない。
「ふぅ、これくらいにしておくか」
素振りをすること約数千回。井戸から水を汲み、下衣を濡らさないようにして水をかぶる。素振りによって高くなっていた体温が急激に冷やされて行く。
「はい、兄さん」
「ん?ああ、ありがとう」
ふと聞こえてきた声に顔を上げると、頬を少し赤くした楓が拭き布を差し出していた。楓は少しは耐性がついてきたようで、俺の体を見ても顔を背けることはなくなった。
渡された拭き布で顔と体を拭く。
「そういえば、母さんが兄さんに話があるっていってましたよ?」
「師匠が?」
珍しいな、師匠が俺に話があるなんて。いつもは買い物を言いつけるくらいなんだが。
「わかった。直ぐに行く」
「あぁ」
上衣を羽織り、立ち上がる。羽織った時に楓の残念そうな声が聞こえたが、これは気のせいだよな?
師匠の呼びつけに疑問を覚えながら、俺は中庭から師匠の部屋へと向かった。
広い屋敷を歩き、師匠の部屋の前へ辿り着く。いきなり戸を開けたら切りかかられるため、トントントン、と戸を軽く叩き、
「どうぞ」
返事が聞こえてから戸を開く。
部屋へと踏み入れようとして、止まった。部屋の中へ入ってわかるこの空気。部屋の中だけ外と空気が違った。まるで別世界だ。
重く苦しい空気が部屋を漂う。
師匠の顔もいつも以上に真剣で、何処と無く固かった。
「座りな」
「あ、ああ」
師匠の言葉通りに対面に用意された座布団に正座をする。
「済まないね、急に呼びつけて」
「いや、鍛錬も終わったところだったからちょうどよかった。それよりも、改まってどうした?」
俺の問いにキュッと一度だけ唇を結ぶと、師匠は俺にとって衝撃の一言を言い放った。
「弘次郎には、人を、殺してもらう」
「は?」
予想だにしない一言に、思わず聞き返してしまう。聞き間違いじゃないよな?
「驚くのも無理はないさ。いきなり人を殺してもらうといわれたら、あたしだって聞き返す」
師匠は目を閉じ、自嘲するような笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
聞き間違い、じゃないな。だとしたら一体なんの心境の変化だ?今までそんな素振り、見せたことなかったじゃないか。
「どういうことだ」
思わず俺の声も剣呑なものに変わる。しかし、師匠はそれに何も言うことなく答えた。
「弘次郎は本当に良くやってくれてる。地味な鍛錬にも文句の一つも言わずに。剣の腕だってもうあたしと同じくらいだよ。でもね。それだけじゃダメなんだ。今はどこもかしこも争いばかり。そんな時代で、人が殺せないんじゃ生きていけない。人殺しっていうのはつらいもの。人を殺した後は激しい自己嫌悪に襲われるし、一度人を斬った感触は忘れられない。でもね、人は慣れるんだよ。本当は人殺しに慣れちゃいけない。だけど、あたし達剣士は人殺しに慣れないとやっていけないんだ。人を一回殺せば、大体は慣れてしまう。だから、人を一回殺しておけば次からは取り乱さずに済むんだよ」
「成る程。言いたいことはわかった。つまりは今後のために人を殺しておけってことだな?」
少しきつい言い方になっている俺の言葉に、師匠は頷く。
「師匠、一つ質問がある。それは、普通の、善良な人を殺せって言っているのか?」
「そうじゃない。今朝方盗賊達がここに近づいていると連絡が入った。弘次郎には、盗賊達を殲滅してもらう」
成る程、それならば斬っても問題は何もないわけだ。少し、安心した。
「ふぅ」
息を吐いて冷静になってやっと気づいた。師匠が辛そうにしていることに。そうか、師匠もつらいのか。いや、辛くないわけないな。弟子に人を殺せと言っているんだ。辛くないわけがないか。
「わかった」
「そうかい?よかったよ」
俺が頷いたのを見て、師匠はホッと息を付いた。俺が人を殺すのはいいが、さて、楓になんて言ったらいいのやら。




