第9話 ここにいる人たち
正月が遠くへ行き、春も気づかないうちに走り過ぎて、6月。
僕たちは結婚した。
店は5月に人へ譲り、送別会は5日連続。
だろうね、としか言いようがない。
同じビルの店主たちがそれぞれ休みを合わせ、料理を持ち込み、店は毎晩宴会場になったという。
愛されてるんだ。
誇らしい。
花束を持って行きたかった、と云ったら、とうこさんは笑った。
「来なくてよかったのよ。殺されていたかもしれないし」
「おっしゃる通りです」
「式の写真は店に貼ったって。いつか2人で行けたらね」
「そうだね、いつかね」
・・・“いつか”という言葉は、優しい。
でも、どこかで期限付きの響きもして、僕は少しだけ怖くなる。
婚約期間もないまま式を挙げたから、指輪くらいは、と話しているうちに、とうこさんの両親の指輪を溶かして作り直すことになった。
形を変えて、残るもの。
そういうの、いいなと思った。
住む場所も決めきれず、結局、僕の部屋の隣にとうこさんが越してきた。
「これ、別居?荷物だけ向こう、生活はこっち?」
「落ち着いたら考えましょう」
「そう、だけどさ」
「あなたは、世田谷にこだわりあるの?」
「あんまりない。一度は東側に行ってみたいと思ってた」
「下町?」
「押上とか」
「それいいかも!商店街。ヨコヅナみたいな。あそこがないと生きていけないし」
「冬を目標に探そうか」
「あなたって、計画性のある人なの?」
札幌で突発的に動き続けた人に言われたくない、と思うけど言わない。
言わないほうが、平和だ。
「去年の札幌は計画というより、危うさしかなかったから」
「とうこさんがいなかったら、僕はずっと札幌にいた」
「そうよ。私が出口を示した、なんて、ごめん」
きっと、本当にそうだった。
ヨコヅナに行こうと着替えようとした瞬間、インターフォン。
モニターに、見覚えのある2人。
「どちらさまですか?」
「あ、占い師とシモベです」
「うちは無宗教なんで」
言ってから、しまったと思う。
みきのは一度聞いた情報を絶対に忘れない。
「とうこさん!みきのとミネギシさん!」
「開けるね」
ためらいゼロ。
この人は本当に強い。
入場。
「新婚さんに悪いかなと思ったけど、日曜ならいるかなって」
「母親よりうれしい。あれ、ヨシイさんは?」
「まだいじけてる」
「式の日は忙しいしかと控えたの。でも結局、2人も来れなかったでしょう」
長い箱と小さい箱。
高級シャンパンと、銀色の見開きの写真立て。
「写真立て?」
「スマホは開かなきゃ見られないでしょ。でもこれは朝から夜まで見られる。左に式の写真。右は2人で決めて」
フレームに、どこかアラジンみたいな彫り。
願いが3つくらいは叶いそうな。
「みきの、本当にありがとう」
「大げさ!」
素っ気ない。でも、やさしい。
「何か食べたいものある?」
「マーボちゃん」
「意地悪?」
「札幌でゆーきが感動したと言ってた。食べたいっ!」
ミネギシさんが低い声で、
「俺のよりうまかったら許さん」
「先生、プロでしたっけ?」
「それはな・・・」
「面倒くさくなるからやめましょう」
ミネギシさん、口を半開きのまま止まる。
この人、扱いが難しい大型犬みたいだ。
4人でヨコヅナ。
「なにここ、業務用?」
「普通のスーパー」
「私ここ住みたい」
とうこさんが取ろうとする食材を、ミネギシさんが無言で吟味して差し替える。
魔法使いの弟子、というより食材の検閲官。
「つき合う相手とスーパーで物選ぶの好きなんだよね、あたし」
「女子は全員そうなのかしら?」
「人によるでしょ。とーこもそうだから、って言いたいんでしょ」
2人で同時に笑う。
似た者同士。
帰宅後、男2人は先に飲み始める。
「ゆーきよ、とーこは絶対離すな」
急だな。
「ああいう子はほとんどいない。頭が切れるのに前に出ない。人の輪を壊さない。で、美人だ」
「分かってる」
分かってる、けど。
分かっているほど、怖い。
「幸せにしたいんだ」
「おう。ゆーきより賢いから全部うまくいく」
「それ褒めてるの?」
「たぶんな」
たぶん、って何だ。
キッチンから声。
「できたよー」
マーボちゃん。
湯気。香り。色。
ミネギシさんが一口食べて止まる。
「……四川か?いや、なんだこれ。素人じゃないだろ」
「素人じゃないし」
「うーん」
みきのが笑う。
「先生、負け認めた」
「認めん」
でも箸は止まらない。
酒が回り、話は流れ、笑い声が部屋に溜まる。
「とーこの漢字って?」
「ひいらぎ」
「それかあ」
「札幌で自分の名前つけるの恥ずかしかったけど」
知らなかった。
まだ知らないことがある。
それが、うれしい。
「押上住みたいんだって」
「めんどくさい人は住めない町」
「僕めんどくさい?」
「まじめすぎると疲れるよ」
「先生は?」
「俺はハイソだから川崎」
「横浜って言わないところが先生らしい」
「うるさい」
笑いが弾ける。
夜中、酒は全部なくなり、玄関まで見送る。
「ゆーき、絶対幸せにしろよ」
「分かってる」
「とーこ、幸せでいなよ」
「うん」
ドアが閉まる。
静寂。
さっきまでの熱が、嘘みたいに消える。
とうこさんが僕を見る。
「いい友だちだね」
「うん」
彼女は優しく笑う。
きれいだな、と思う。
「いま、きれいだなって思ったの?」
「別に」
雪は降っていない6月の夜なのに、
なぜかあの札幌の静けさを思い出す。
幸せは、音を立てない。
だからこそ、失う音だけが、きっと大きいのだろう。
それでも今は、
この人の隣にいられることだけを、信じていようと思う。




