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第4話 帰りたくない、だけ

日曜日の朝。

カーテン越しの光がやわらかい。

少し疲れたな、と身体が先に云う。

でも、ゆうきくんはもう起きる時間だろうか。

先に起きて、朝の準備をしていたほうが、ちゃんとした大人に見える?

そんな小さな計算をしている自分が、少し可笑しい。


「とうこさん、おはよう。眠れた?」

先に起きていたのは、彼のほうだった。

「うん。ご飯、食べる?」

「まだ疲れてるっぽいよ。もう少しダラダラしてない?」

その一言に、胸の奥がほどける。

「ありがとう」

だらだら。

ソファに並んで、意味もなくテレビをつけて、意味もなく消して。

こんな時間を、私はどれくらいほしかったんだろう。


「どっか行きたいとこありますか?」

「ここで敬語なの?」

「あ」

彼の耳が、ほんのり赤い。

「じゃあ、ゆうきくんが行ってるスーパーに行きたい」

「スーパー? あ、徒歩3分。駅前のヨコヅナ」

「いつも行くの?」

「3日おきくらい。野菜が新鮮で、ないと生きていけない」

「行ってみたい」


男の人とスーパーに行くのって、何かいいんだよね。

そう言いかけて、飲み込む。

でも、胸の中でははっきりしている。

これ、たぶん、私にとっては特別なこと。


「ここ」

「品揃えすごい」

「そう、たぶん何でもある」

「毎日来たい」

彼の横を歩きながら、カートを押す。

野菜の匂い、冷蔵ケースの音、レジの小さな会話。


「スーパーってお客様の心理を突くから、全国どこ行っても野菜売り場からでしょ?」

「たしかに」

「なので私は逆から回るの」

「わかんない」

「私も分からないけど、料理を作るときの野菜のイメージから、肉や魚に行かせるのかなあ」

彼は首をかしげながら笑う。

その横顔を見て、突然、言葉があふれた。

「思ってたけど、誰にも云ったことがなくて。ゆうきくんとスーパーで選んで歩くのは、ものすごく幸せな気持ちになる」


彼が止まる。

「なになに、そこ?」

「うん。幸せ」

言っちゃった。

でも、もう止められない。

「そんな大きなことでなくてもいいの。何を食べるか、大好きな人と選んで歩けることって、小さいかもだけど、幸せな   

時間じゃない?」 

彼は少しだけ真面目な顔になる。

「その相手は、僕でいいの?」

決まってるでしょ。

声に出せず、代わりに笑う。

「いいじゃん、は、いいっしょや、で合ってる?なんとなく聞こえた」

怖っ。

でも、その“なんとなく”が嬉しい。


家に戻って、彼がパスタを作る。

私はサラダとスープ。

キッチンで並ぶ距離が、近い。

肩が触れそうで触れない。


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした。でも、作る人がやさしいと、料理もやさしい。ひいらぎで思ったんだ」

その言葉に、胸が少し痛む。

札幌。

「あと2週間で帰るの?」

彼がぽつりと云う。

「・・・そうよ」

それしか言えなかった。


私を離したくないんだ。

その気持ちは、わかる。

では私は?

札幌に帰りたくない。

あの街も、あの店も、私の居場所だ。

でも今、この部屋で、スーパーの袋を片づけながら、彼が「醤油どこだっけ?」と聞いてくる、この生活のほうが、ずっと静かで、ずっとあたたかい。


「ねえ、ゆうきくん」

「うん?」

少しだけ、トーンが下がる声になってしまう。

「帰りたくない、って云ったら、困る?」

彼が振り向く。

驚きと、覚悟と、そして・・・少しの嬉しさ。

「いきなりは困るけど」

一拍。

「でも、うれしい」

涙が出そうになる。


何千年も生きる魔人じゃない。

願いを叶える側でもない。

終わりがある時間の中で、

この人と、今日の夕飯を考えていたい。


札幌へ帰りたくない。

でも、逃げたいわけじゃない。

ただ、選びたいのだ。

「私ね、ずっと誰かのためのママでいられたけど、誰かの“好きな人”になりたかった」

声が震える。

「今は、それがゆうきくん」


沈黙。


彼が近づいてくる。

「じゃあ、帰らない選択肢も、一緒に考えよう」

その一言で、胸の奥の氷が、ゆっくり溶ける。

札幌の夜は、きっと今も静かだ。

でも、私の中の夜は、もう終わりかけている。


どうするの?

どうすれば応えられる?

答えは、まだ出ない。

でも少なくとも・・・

帰りたくないと思っている自分を、もう隠さなくていいのだ。


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