第3話 その場所に連れてきた
バスで東京駅へ戻り、日本橋の裏通りに入ると、いつもの赤提灯が見えてくる。
奥に長いやきとん屋さん。
ボックス席の奥にカウンターがずらりと続く、50席のざわめき。
「ただいま」
みきのが、顔を上げる。
「いらっしゃいませっ・・・あ、お帰り。……ん?」
視線が、とうこさんへ。ほんの一秒の観察。
そしてにやり。
「へえ」
ヨシイさんが奥から出てくる。
「ゆーき、10年うちに来て、ガチ女子お連れするの初めてだよな」
「羽田に迎えに行って、ねずみーのあと流れで」
「そうじゃなくて。まずご紹介は?」
「すみません。初めまして、柊子です。ゆうきくんがいつもお世話になっております」
一礼がきれいすぎる。
ヨシイさんの目が光る。
「ゆうき、この人、しっかりしてる人。客商売やってると分かるんで」
いらない分析。
「ヨシイさん、この人、すすきののママ」
「ゆーきさ!」
みきのが、即座に横から。
「あたしも同業だから分かるけど、その言い方、鼻につくよね」
とうこさんが吹き出す。
「でしょう?でも分かる。教育行き届いてるなあ。ゆうきくん、何言ってるの?」
「ごめんなさい」
謝る流れ。
「とうこさん、豚いける?」
みきのがすかさず、
「うちは、やきとん屋っ!豚しかない!」
「大好きよ。何なら牛より」
「東京の人だよね?」
「そうだけど、札幌で覚えたの」
「この人、豚食べられないのに10年以上うちに来てるんだよ」
「それいらない」
「目の前の厨房で、この人たちが旨いもの作ってるの見るだけで酒が飲める、さ」
とうこさんが、ふっと笑う。
「分かる。私も出す側だから。出したものを笑って食べてくれると、カウンターの下でちょっとガッツポーズする」
「あるあるよねっ!」
みきのが身を乗り出す。
一瞬で、距離が縮まる。
・・・旧知か?
初対面のはずなのに、空気がもう“仲間”だ。
ミネギシさんが、炭の向こうからちらり。
「今度、とーこの店、みんなで行こうぜ」
早い。あまりにも早い。自己紹介するより早い。
「ブッシュの大、でいいですよね。大ブッシュ2丁!」
注文を取らない。
とうこさんが首を傾げる。
「ブッシュって?」
「ヨシイさん、とーこがブッシュって何かって」
「ブッシュはアイリッシュ・ウィスキー」
「だってさ」
「グレンフィディックとは違うの?」
「グレンはシングルモルト」
「そう。うちでも置こうかな」
「客単いくら?」
「1万円ちょっと」
「ハイボール千円以下で出しても回るよ」
何の経営会議だ。
でも、2人の会話は妙に合っている。
商売人同士の呼吸。
とうこさんが、少し静かになる。
「・・・死別だと、バツイチって言わないんだよね。私とは違う」
空気が一瞬だけ変わる。
何だ何だ。
「大ブッシュでーす」
絶妙なタイミング。
・・・わざとだな。
「みきのさんに呼び捨てされてるわね」
「女王様のシモベは呼び捨て」
「私もやってみようかな」
「Mっ気のある人しか残らない。」
「そういうこと?」
笑い声が混ざる。
とうこさんが、顔を近づける。
「ねえ、前に整理のつかない話は聞いたけど、なんで札幌に来たのか、本音は教えないの?」
「教えない」
「じゃあいいわ」
さらっと引く。でも、目が決して笑ってはいない。
「実家、豪徳寺よ」
「え?」
「ゆうきくんちのそば」
軽く云うけど、その距離感に胸が少し熱くなる。子供の頃からどこかで会ってたんじゃあ?
とうこさんが、バッグから折りたたんだメモを出す。
「あなたがこっちに帰る前の日に書いたけど、渡せなかったから」
開くと、箇条書き。
・まっすぐ
・面倒くさいけど誠実
・弱いところ隠さない
・目がきれい
・好きになったの?
・・・中学生か。
「こんなんでいいの?」
「こんなんだから、いいと思ってしまった」
少女みたいに、少し照れている。
胸の奥が、静かにやられる。
「ごちそうさま」
「とーこ、またね」といいながら、みきのが、不思議そうにスーツケースを見る。
「そのやたら大きいの、なに?人でも殺してきたの?」
どこかで聞いた。
「違う。長くいる気がして」
「ホテルは?」
「うち」
「えっ。もう、うち?」
「流れで」
みきのが、じっとこちらを見る。
「とーこさ、お試しも大事だよー」
2人の間で、何か通じている。
ミネギシさんが、炭の火を混ぜながら云う。
「ゆーき、大丈夫か?」
その一言に、全部詰まっている。
この人がいたから、ここまで戻って来られた。
家族のことも抱えながら、達観した目で、でもちゃんと見てくれている。
とうこさんが、僕を見る。
「若いなあ。私をどうしたいか、言えないでしょう?」
図星だし、ドキドキした。
一緒に毎日いられたら楽しい。でも、一緒にいると見えてしまうこともあるのだろうか。
「1か月、お世話になるね。本気なの」
軽い口調なのに、覚悟がある。
みきのが、ふっと笑う。
「ゆーきさ、幸せってね、だいたい突然だよ」
ヨシイさんが、うなずく。
「逃がすなよ」
ミネギシさんが、小さく笑う。
「焼き場はあっためとく」
それぞれの言い方で、背中を押してくる。
僕はとうこさんを見る。
ショートボブが、店の灯りにやわらかく光っている。
・・・舞台は整っている。ここが、これからの物語の場所になる。そう思った。
その日の札幌、
ひいらぎの状況は、想像に難くない。
常連さんたちは、いつもの席でグラスを傾けながら、誰も口にしない同じ問いを胸に置いている。
・・・ママは、いつ戻るのか。
ごめんなさい。しばらく、帰しません。
心の中で、何度もそう呟いた。




