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23/28

ひいらぎのひとひら1 epi,.23 海を見ていた

結婚して1年が過ぎた金曜日。

 残業して、22時。

 玄関のドアを開ける。

「ただいま」


 リビングの灯りはついている。

 その灯りの中で、とうこさんが静かに座っていた。


「あなた、大事な話があるの」


 ああ。

 久しぶりに来た、この言葉。

 胸の奥が少しだけざわつく。

 もしかして。


「今日、病院に行ってきたの」

「で、どうだったの?」 

 子供だ。きっとそうだ。2人の。

 そう思った。


 

 それから朝まで、話すことになる。

「最近、調子が悪くて、お茶の水の主治医のところに行った。」

「ん?主治医って?」

「ここ4年位は」

 そこで言葉が止まる。


 がんで、寛解期だったと。


「……あまり分からないけど、余命とかって、5年とか10年とか。でも医療が進んでるから、そのうち治療薬とか出るでしょ?てか、今まで薬飲んでるとこも見たことないし、ごめん、気がついてなかったけど、」


「半年」

「病院で話を聞いたときにね、最初に思ったのは自分のことではなかった。あなたが、ひとりで生きていけるだろうか。それだけだった」


 目の前が白黒になった。

 音が遠くなる。

 つらいのはこの人だ。なのに未来の僕を?

 僕がしっかりしないと。



 その後、通院しながら普通の生活を送った。


 4か月を過ぎたあたり。

 ある日。


「あなた、大事な話があるの」


 覚悟は?

 できていない。

「先生に、入院すべきだと云われたけど、お断わりして、家にいたい、と伝えようと思うけど、迷惑にならないかな」

「ここにいてほしい。当たり前だろ!」

 この人に声を荒げたのは、出会って初めてだった。



 とうこさんは、涙をいっぱいためて、

「ありがとう」

 と云った。



 それから。

 介護ベッドや車いすなどをレンタルした。

 時々休職しながら、ずっと一緒にいた。

 お互いの家へ行ったり。

 海を見に行ったり。

 しょっちゅうスーパーへ買い物に行ったり。


 特別なことは、何もない。

 けれど、その何でもない日々が、どこまでも、かけがえのない時間だった。




 ある夜。

「ゆうき、結婚した時から私が呼び方を変えたのって知ってた?」

「うん。急にあなたって呼ばれて、ちょっととまどった。なんで?」

 とうこさんは、少し笑った。


「大好きになって、一生この人とって思ったら、あなたに付いてる名前は、もういらないと思ったの」


 そうか。

 自分は?

 確か、柊子ママから、とうこさんへ、だった。



「ゆうき、大好きよ。あなたで良かった。あなたの何十倍も幸せでした」

「柊子」


「うれしいな。呼んでくれた」


 泣かない。ここでは、絶対。

 朝から夜まで、起きている限り、常に押し寄せ続ける不安の中でも、彼女はこうして、しっかりと生きてきたんだ。



「ゆうき、また、会いたい」


「いつかね。今度は絶対に最初からさ、もう一度」

「うん、必ず」




 目を閉じた。



 手を握りしめていた。


 冷たくなっていく。



 でも、この時間は、

 絶対に誰にもじゃまをさせない。




 2人で、

 写真立ての海を見ていた。




 朝になり、病院に電話し、実家に電話をし、静寂が破られた。人が来て、言葉が行き交い、書類が増え、足音が増え、家の中の空気が少しずつ現実に変わっていく。



 仏壇もまだない部屋。

 リビングのテーブルの上に骨壺を置いて、向かい合った。


「ビールでも飲もうか」

 黒ネクタイをゆるめて、缶ビールを2本出す。

 プシュッ、と開ける音だけが、やけに大きく響いた。


 葬儀場で係の人から、

「焼けない物は外しませんか」と云われて、そこで気づいた。


 結婚指輪。


 忌引きで1週間休み。

 その間に、ものすごい量の手続きを済ませなければならない。

 役所、銀行、保険、病院。すべて、処理のための、後ろ向きなもの。

 それから、葬儀場でもらったパンフレット。お墓のことも考えなければか。


 柊子はどうしたいのかな。



 それから1週間、動き回った。

 一番大変だったのは、住民票をまだ札幌から移していなかったこと。


 何か、力の入らない毎日が過ぎていく。

 時間は流れているのに、自分だけが止まってしまった。

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