第20話 奇跡みたいに
しばらくして、2人で店へ。扉を開けると、いつもの匂い。
アルコールと、油と、少し甘い香水?
「ただいま。はい、お土産。あれ、誰?」
カウンターの向こうに、見慣れない女の子。
「ヘルプの子」
「ミネギシさんはお休みなの?」
「会いに行った」
アイニイッタ?
なんか、オモイ。
「あのさ、もしかして、札幌?」
「もしかしてさっぽろ。2泊3日」
悪寒がする。
札幌は、観光地ではない。
あの人にとっては、戦場だ。
「あれから3か月くらいでしょう。もうそんな感じなの?」
「あたしに言わせれば、どっちかがロックオンしたのよ」
ロック・オン。
「絶対外さないロックオン。でもミネギシさんは仕事休む人じゃないんだけど」
「まあ、たまには休んでもいいよね。あたし1人じゃ回らないからヘルプの子がいるし、お好きにどうぞ、って感じ」
こっちは、カルイ。
「電話して驚かしてみようか」
冗談半分で、優美ちゃんにかけてみる。
コール。
「はい、ひいらぎです」
男の声。
無言で切った。
「・・あの人、働いてるじゃん」
「え、店休んでバイト?ああ」
「やりそうね」
とうこさんが、すぐに答えを見つける。
「優美ちゃんも忙しいから、一緒にいられる時間を考えたんでしょう」
「あなたはいつも物事をいいように受け止める。なんで?」
少しだけ、棘。
「一緒にいることを当たり前と考えちゃだめだと思うの。それ自体が奇跡かもしれないじゃない?」
奇跡。
簡単に云う。
「例えば、いま私たちが一緒にいられないかもとなったら、あなたはどうするの?」
唐突。
でも、逃げ場はない。
「もっともっと一緒にいたくなる。云われればそうだけど。まあ、そうだね」
言いながら、胸の奥がざわつく。
いられない、という未来を想像したくない。
「あたしにはちょっと解せないけどさ」
みきのがグラスを拭きながら云う。
「まあまあ、最後がどうなるか」
最後。
誰も口にしないくせに、みんな知っている単語。
「見守るとしましょう。」
「そうなん?」
その瞬間、とうこさんのスマホが鳴る。
画面に表示された名前。
「もしもし。師匠、ごめんね、彼が電話した」
師匠。
呼び名が。
「分かってる。嫉妬か?」
受話器の向こうで笑っている顔が見える気がする。
「休むのが珍しいから、どうしたのかと思って」
「万事順調だ。安心してくれ」
万事順調。
そう言い切る男は、だいたい本気だ。
「分かった。ありがとう」
「ということ、以上ね、いい?」
「はい」
子羊たち。
「ま、あたしは、とーこ以外の幸せは気にならないし」
「みきの、自分の幸せもね」
「ありがと」
女っ気がなかったミネギシさんが、この行動。
2泊3日、札幌。
しかも店に出る。
好きになったのだろう。
本気で。
「あの2人は大人よ。なるようになる」
とうこさんが云う。
「そうだね。土産話を楽しみにしよう」
翌週の店で。
雨の匂いが、まだ床板に残っていた。
いつもより少しだけ静かで、少しだけ明るい夜。
「みんなに大事な話がある」
グラスを拭きながら、ミネギシさんが云う。
その声は妙にまっすぐだった。
「はいはい」
いつもの調子で返した空気が、一瞬、宙に浮く。
「結婚する」
「はいはい。……え? 早くない?」
時間が、わずかに遅れる。
「私は優美ちゃんから聞いてる」
とうこさんは、驚きもせず、ビールをひと口。
「そんな冷静に。いやいや、えっ?」
「あたしはいいと思うよ。てか、いいか悪いかは本人たちの話だし。云うことないし」
みきのは腕を組みながら、でも目はちゃんと笑っている。
「まあ、そりゃあそうだけど。ミネギシさん、おめでとう」
「おめでとー」
小さな拍手が、店の奥で弾けた。
「ありがとうな。暮らすにはお互いいろいろあるから、君たちのように時間かかるが」
照れ隠しのように笑う。
あの札幌の夜を思い出す。
あれから、そんなに経っていない。
「ゆっくり考えればいいと思います。おめでとうございます」
とうこさんの声は、やらかい。
けれど、どこか遠くから届くみたいだった。
「とーこに云われると、何か照れるな」
いますけど、あと2頭。
「ま、ゆーみは本当にいい子だからさ」
「よかったよかった」
みんなが頷く。
女っ気がなかったミネギシさんが、店を休んでまで会いに行った人だ。
本気なのだろう。
優美ちゃんは賢い。
あの子なら大丈夫だと、なぜか思える。
「あとはみきのだね」
「ゆーきやめてよ。あたしはいいんだって」
強がりと本音の境目を、いつもの調子で隠す。
「他のお客さんに見えないように、乾杯しましょう」
とうこさんが小さく云う。
その声に、みんな自然と従う。
グラスが静かに触れた。
「おめでとー」
いい日になったな。
誰かの幸せが、こんなにも軽く、こんなにもあたたかく分けられる。
とうこさんが笑っている。
その横顔は、今ここに確かにあるのに、
なぜか少しだけ、手の届かない未来の方を見ている気がした。
幸せは、ずっと続くものだと、
本当は誰も保証していない。
だから今、こうしている時間が、奇跡みたいに思える。
分けてもらったのは、
祝福だけじゃないのかもしれない。




