◎憧れをもって。
「これが……魔導書の写し。」
コアとアンバーが偶然にも見つけた魔導書の一部は左上で留められており、古びてしまった祭壇の上に静かに乗っていた。
暗闇の中、粉塵も未だ冷めやらぬ中、二人はそれを覗き見ていた。
「でも、これ、何が書いてあるの?」
コアが隣で興味深そうに眺めているアンバーに聞いた。
古紙に書いてあるのはおよそ現代の使われている文字とは違う文字である。それは角が立っている図形のような字であり、直線的なものだった。現代で使われる、丸み帯びていて曲線的な字とは別物だった。
「この文字は、私が産まれるよりもずっと前に使われてたやつだろうね。ざっと十何世紀前くらいかも。」
アンバーが答えると内容が判明しないことにコアは肩を落とした。けれどもやはりあきらめきれない。
そこで目を付けたのは絵である。数々の小さな図形の中に点々と描かれた絵はただの賑やかしではなく、特徴があった。
「全部、火が描かれてる……」
コアが口元に手を置いてボソッと呟いた。
一つは二つの火が描かれているもので、火の大きさが変わっており、まるで進化を表しているようだった。また一つ、火に向かって矢印が描かれ、周りに浮かぶ四角が火の方へ動いている様子を表す絵もある。一方で火の玉を持った手の絵もある。火の玉と手の間にはぽつぽつと丸が描かれている。
「これは何の絵?」
アンバーの問いにコアは答えた。
「もしかしたら、魔法の強化、についてかも。」
「強化?」
「ほらこの絵たちみんな関連してると思わない?」
コアが順番に指差していく。
小さな火から大きな炎へ変わっていく。
そうさせる具体的方法として、火に対して魔粒子を加えるのか、純粋に酸素を加えることを提示している、と言うように。
「そう言われたらそれっぽいかも……」
アンバーの歯に衣着せた曖昧な答えにコアがツッコミを入れようと息を吸った時、ハッとした。
「さっきの揺れ。これと関係してるのかな。」
「え?」
「揺れが起きるほどの衝撃は何らかを発端にしてるはずでしょ。」
「それにこれは火の魔法について書かれてる……」
アンバーが続ける。
「フードたちがそんな強い魔法を使えるとは思えないし、使えるとしたらクレディンしか……」
「……だったら、サロスが危ない!!」
◇
汗が滴り落ち、地面に跡をつける。黒く丸いシミが二つ。そこに暖かい灯りが照らし出した。サロスに寄ってくる。
無口で無表情、炎の体を持つフードの正体、信者がゼンマイがゆっくりと回る玩具のように近寄って、
「はぁっっ!」
腕を正面に出して空いた胴体をサロスは真っ二つに叩き切った。勢いよく動き減らした酸素を取り戻すかのように小刻みに息をする。
その瞬間、地面に入ったヒビから二本の腕が伸びサロスの足を掴んだ。
燃える腕に掴まれ、足首が焼かれる。皮膚から内側へ、温度とともに細胞がプツプツと潰されていくような痛みが伝わる。
サロスは歯を食い縛り、反らした体を風の魔法で押し出した。後方へ捻った真っ直ぐな体の回転に力が加わり信者の手が離れた。
背後から別の信者が掴みかかる。
それよりも素早く振り返り、こちらに伸ばす腕を剣で弾き、左から右へ振り抜いた。
炎の体を裂いて信者は倒れ消えた。
しかし、ヒビ割れた地面から相も変わらず信者は這い出てくる。どれだけ倒そうと信者は欠けた数を補い復活している。このままでは埒が開かない。
「思い出せ……目を覚ましてくれ……!」
足を広げ、剣先は地面に付き、一本の腕が下に向かって垂れている。叫んだ後、活力を失った全身に空気を送り込んだ。肩を上下に動かし、口の中に溜まった唾を飲んだ。
サロスは頬に腕を持っていき流れる汗を拭い取り片目を瞑る。もう片方の目は火の魔物を越えて一人を見据えていた。
「黙れ。」
口調はサロスの知る彼女でも、教祖のカノジョでもなく、冷徹で無慈悲、例えるなら魔王の雰囲気であった。焦げた腕を前へ出し手の向く方にサロスがいる。
彼を黒い眼球に写している。
「もうお前に戦う力など残っていないだろう?私を否定するな。諦めて死んでくれ。」
「いやだ。絶対に……救ってみせる。」
間髪入れず答えるサロスにため息をついた。
「まだ言うか。すでに五回は聞いたぞ。意識が混濁しているんじゃないのか。お前はこの灼熱の中で私の信者を次々と殺しているが信者は永遠に出てくる。信者の手に掴まれ手足を燃やされるとお前の体は回復し倒れることは許されない。剣を振るも酸素が失われ続けてとうとう力も入らない。立っているのもやっとだろう。」
クレディンは手を差し伸べ、首を傾けた。
「もう生きる力も無いんだ。楽になろうじゃないか。」
「いやだ……」
そう言いつつもサロスの膝が折れ剣を杖にして膝を突いた。
「救うんだ……俺が……」
感覚が薄れていく。手先から足先に至るまで体内の血液が丸ごと抜かれてしまったようだ。肺が握られているくらいにきつく苦しい。息をいくら吸おうとしても潰された肺に入らない。
「俺が……」
意識の外から言葉を吐き出している。
「簡単だな、」
クレディンはしたり顔をして言った。
辺りにボーっと突っ立っている信者たちを再び動かした。
◇
「これ……なに……」
コアとアンバーが最奥の終点に辿り着き次第そう放った。
二人の目の前に存在するのは絶えず炎が渦巻く赫灼の壁。アンバーが見た最奥の部屋に炎のドームが成り替わるほどに広がっている。
「サロスー!」
コアの呼び声は燃え盛る炎に掻き消され、中には届かなかった。けれど諦めきれずコアはもう何度か叫んだ。
「サロス!いるんでしょ!返事して!」
だがやはりコアの声は炎の壁を越えることができない。
コアは目を瞑り手を握りしめて、再び目を開けた。
「コア君?」
サロスを閉じ込めるドームに歩いていく。
「ちょっと聞いてる?そんなに近づいたら火が……」
「大丈夫。」
コアは見ることもしないでアンバーに答えた。
そのまま歩幅を変えず歩き、ドームから二から三メートル離れたところで一旦止まった。
大丈夫、きっと、できるはず。
そう心の中で呟いてコアは片腕をドームに向け力み始めた。
炎がコアの行動に反応しているように大きく揺れ動いた。酸素を取り込み膨脹した炎がコアの腕を叩いた。
「コア君!」
アンバーが身を乗り出してそう言う。
痛みに眉間に皺を作るも、もう片方の腕を添え動かないよう固定した。
できる。僕ならできる。
「大……丈夫。」
構わず力み続け、コアの手の平を焼き出した。鉄板に押さえ付けた時に似た耐え難い苦痛に顔を歪ませる。
「コア君!何やってるの!」
アンバーの主張はいよいよ大きくなり、聞かずにはいられなかった。
「……サロスを……助けてる!」
◇
「簡単だな、人を操るのは。」
ドーム内部、地面に膝を突いて項垂れているサロスにクレディンが見下して言った。
信者を思うがままに動かし、サロスの方へ。
「殺せ。」
その命令に二体の信者がサロスを挟んで立ち、炎の腕を徐々に伸ばし彼の首の前で交差させた。
「"どうして"、なんて聞くほどに殺されたかったようだからすぐに首を落としてやろう。」
クレディンの立てた指が下から上へ動いた。
信者の腕が上へーー。
飛んで行った。
二体の信者の間、剣を振り下ろしたままの姿勢で止まったサロスがいる。
「嘘だ……今一瞬、縦に一振りしただけのはずなのになぜ……」
サロスの隣にはそれぞれ片腕を切り落とされた信者が立っている。
「絶対に……救ってみせる!!」
サロスは身を捻りその場で回転。
両隣の信者を倒す。
回転を終え、左足を前に踏み出し、剣を両手で握りクレディンへ突撃する。
風の魔法を重ね段階を持たせて放ち加速する。
クレディンは後退りながら地面のひび割れから新たに信者を二体出現させた。
サロスは右から左へ剣を振り一体を瞬間に倒し、片腕だけになった剣の先から風を噴射、振った軌道をなぞるようにしてもう一体を撃破。両手で握り直し上段に構える。
間合いにクレディンが入った。
速度を上げて剣を振る。
しかし、空振り。避けられた。
「急に力を出して何だというのだ!すでに己の無力さを悟ったのではないのか!どんなに力を尽くそうと永遠に私の信者は出てくるのだぞ!」
「お前こそ分からない奴だな!諦めないって何度言えば分かる!永遠だっていうなら俺は永遠に信者を倒すだけだ!」
生み出される信者を剣を振り回して倒していく。
左肩から右脇の下を直線に切り、右から左へ切っていった。クレディンを追いかけ、速度が落ちると再び足から風を放つ。
「それにお前も限界なんだろう?」
サロスが最後、クレディンを守る信者を切り、剣を掲げて構えた。
「火の魔法が体質に合っていないのだから魔法を使える量も魔導師に比べ少ないのは当然だよな!」
鞘を重心とし上から振り下ろす。その攻撃をクレディンは易々と躱した。しかしその顔では舌打ちの後の歯をちらりと見せている。
しめた、と思ってサロスは振り下ろした剣の柄を握り締め、勢いよく振り上げた。
予想外の剣撃にクレディンは大きく仰け反る。鞘先を掠め、攻撃は当たらない。
「図に乗るな!私はレスレク団のトップだぞ!魔力量など大した問題ではない!」
彼女が言った瞬間、サロスの足が炎の槍で貫かれた。彼の背後、足元のヒビから信者の腕が一本伸びたのだ。
一瞬サロスの焦点はクレディンから外れて瞳孔を小さくした。
「まだ私はお前に傷一つ付けられていないしな!」
黒く焦げた手の中に火の玉を作り、距離を詰め、サロスの口にそれを突っ込んだ。
火の玉は首を通って腹の中で爆発、胃の辺りに手を当て外から追い打ちを掛けて小さい爆発を起こした。
サロスとクレディンの距離は離れた。
「回復、遅いだろ。信者と戦っているお前を見ていて気付いたんだ。」
腕の炭を落としながら右手で拳を作る。
片眉上げて頭を傾げサロスに近付いた。
その姿をサロスは腹を抱えて見ていた。
口から煙を吐き、未曾有の感じたことのない痛みに顔を歪ませた。臓器にヒビを入れられたような、もしくは無理矢理、臓器を引き摺り出されたような、頭の中を真っ白にして動きを止めるほどの不気味な痛みだった。
「どうした。どっちが限界だ。」
言ってみろと言うと同時、クレディンはサロスの顔面に炎を纏わせた拳を食らわせた。
左頬に受けた衝撃で顔が吹き飛ばされそうになり、そのまま続けて彼女は左手でも殴った。
「どっちが諦めるべきだ。」
右手の炎が頬を焼き、左手の炎が目を炙った。
サロスは一撃食らうごとに後退していく。
「明白だよな!」
口調の強さとともに怒りのまま放った拳にサロスは殴り飛ばされ地面に転がった。
「もういないんだよ。お前が求める人はこの世にいないんだよ。」
◇
「コア君!」
アンバーが呼び止める。
いよいよ炎はコアの腕に絡みついたような痕を残し、火傷から多量の血を流させていた。
「他に方法を……!」
「ダメだ!大丈夫なんだ!僕の方法で!」
コアはそう確信を持ってアンバーを宥める。
「だから、僕がこれを"開け"たらアンバーはすぐにサロスを助けて!」
「"開ける"……って、そんなの……」
「行けるんだ。絶対に……」
だってあの写しに書いてあったことは本当だってアンバーが証明したんだから。
火力を上げられるなら逆に低くもできるはずなんだ。
目の前でサロスとボスを閉じ込めている炎のドームから一部、人が一人通れるくらいの隙間を作る。
酸素を加えると火力が増すのなら酸素を与えなければ火は消えるはず。魔粒子を与えずむしろ、火の中にある魔粒子を僕が吸い取る。
「そうすれば……!」
◇
倒れても尚、サロスの手から剣が離れることは無かった。
「うるさいっ……」
振り絞ってようやく出た言葉だった。
痛み……だけではない。散々見せられてきた希望たちが一つ一つ、潰されている。その度に血が噴き出て、骨が折れていく。
最奥のこの地に描いてあった魔法陣は粉々で磔用の十字架は燃えて灰になった。
しかし、未だサロスの汗と血痕は残り続けている。消すことのできない一生の汚れはここにこれからもあるのだろうか。
「もう……いい。」
クレディンが右手の上に火の玉を作った。
「終わらせる。」
◇
「開け!開け!」
炎の壁から魔粒子を吸い出そうと力を込めている。とはいっても火力の上げたことなどないのだから感覚も分からず易々とできることではない。
「早くしないとっ……」
だけれど言い訳してる暇は毛頭ないのだ。
吸い出す、吸い出す、吸い出す。
同じ言葉を頭の中で反芻させ手に意識を集中させる。
吸い出せ、吸い出せ、吸い出せ。
相手、炎の中に一点、極小の粒子が見えた。
吸え。
粒子はコアの手の中、体の中へ入ってきた。
「できた!」
喜んだのも束の間、一瞬息が詰まった。鼻口を塞がれ、海で溺れた感覚だった。
忘れろ。今はサロスを助けることに集中するんだ。コアは口を結び、手を出した。
一回成功させたことで感覚を掴み次々と魔粒子を吸い出していく。微かな息苦しさが段々と色を増していくのを無視して、吸い続けた。
そしてようやく、
「アンバー!お願い!」
炎の壁に一つ膜を薄くした穴が出来た。
「分かった!」
アンバーは再び穴を通り中へと足を踏み入れた。コアはその場で倒れ、火の壁から穴は消えて通れなくなってしまった。
アンバーが一番に目にしたのは、息が薄くなっているサロスに火の玉を投げつけようと構えるクレディンだった。
アンバーは考える間もなく足を動かしていた。走りながら腰に下げた剣と盾を構え、息を吸った。
「待てっ!!」
クレディンがアンバーの方を見た。黒い眼球を動かした。
アンバーはサロスとクレディンの間に入り剣を振り下ろした。
クレディンは当たり前にそれを避ける。
「助ける!」
その声と共に剣を振り払った。
「助ける……?」
アンバーの腕は上へと上がり彼女に向かって剣を振った。
しかし、剣を持つ腕を掴まれた。
皮膚だった炭の層が舞い落ち、掴む力を高める。クレディンは手を発火させアンバーの手首を焼いた。
それによる驚きと痛みで自ずと剣を離してしまった。
腕を振り解いた後、左手に持った盾でクレディンに殴りかかった。
一発、避けられ、出来た隙を彼女は見逃さず手の平を打ち付けた。
体を狙ったつもりであったが、アンバーは盾で防いだ。
けれども盾は木製。彼女の手の平から発された炎は盾に引火、アンバーは自ら武器を手放した。
「邪魔だっ!」
サロスと同じく片方の手を腹に当て、小さな爆発を起こし吹き飛ばした。彼の隣、うつ伏せに倒れた。
「……アンバー。お前、なんで……」
サロスは腹這いになって頬を粉々の地面が突き刺していた。
息を切らし、クレディンがサロスに近寄る。
右手の平を前面、倒れるサロスに向ける。
「今度こそ、終わらせる。」
そう言って炎のドームは出来た順から反対に天面から壁を伝ってクレディンの足元に集約した。
その後、彼女の手に渦巻く炎が現れ始めた。回転する閃光花火のように点滅を繰り返し、炎が一回転、二回転、三回転、と速度を上げて渦が出来ていく。
「……っ。クルックスっ!いるんだろ!たの……む。もう一度、でいいから、」
「あー!!黙れ!何度だ!何度言えばいい!!私は!クレディンなんだ!!」
激情に駆られクレディンの炎は大きく、車一台を飲み込めるほどの大きさになった。
「死ね。そして理解しろ。もうクルックスなんて奴は死んだんだことを。」
「助けなきゃ!!」
アンバーが立ち上がった。
焼けた腹を抱えもせずサロスの前に飛び出した。
「……っ!!」
一閃。
クレディンの腕を打ち、それに長いヒビを入れた。
地面に尻を突き、思わず瞑った目を開ける。
そこにいた。
力強く腰を落とし、私を守るため腕と腕に持つ剣を広げ、彼女の方を真っ直ぐ直線に見据え、立っている人。
「おかしい!な、なぜ、まだ回復はできてないはず!なのに、なぜ!」
……。
「……なんで、勇者なんかになろうと思った。」
「……ひ、人を、」
「なら生きろ。」
「勇者は犠牲になるためにいるんじゃない。人のために死ぬなんて誰でもできるんだから。そうじゃない。」
剣を握る力が強くなる。
「……勇者っていうのは人を勇気付けるから勇者と呼ばれるんだ。それは生きてなきゃできないだろ。」
……。
「だから、生きろ。憧れをもって、夢に向かって。」




