第90話 診察。
ディアブロたちは図書館を出たあとも、そのまま帰ることはせず、今度は本とは違った形で日本の歴史や文化に触れられる場所を巡っていた。
古びた時代の道具や甲冑が並ぶ博物館、色鮮やかな絵画や彫刻が展示された美術館、文字として知識を得るのとは異なり目で見て肌で感じる情報に触れながら歩き回り、ディアブロにとって初めてとなる“観光”は終わりを迎えた。
そして、その裏で雫は怪我の治療のため病院を訪れ、白い診察室の中で医師の診察を受けていた。
消毒液の独特な匂いが鼻を突き、静かな室内に紙をめくる音だけが響く中、医師はレントゲン写真を確認しながら口を開く。
「‥‥そうですね。骨折ではないですが、重度の打撲と‥‥手首は捻挫をしていますね。」
その言葉を聞き、雫は小さく息を吐いた。最悪の骨折ではなかったことに安堵する気持ちはあったが、今の彼女にとって重要なのは怪我の重さではなく、どれだけ早くダンジョンに戻れるか、それだけが気になっていた。
「そうですか。治るのにどれぐらい掛かりますか?」
真っ先に飛び出した問いに、医師は少し考えるように顎へ手を当てた。
「そうですね。痛みが引くのは三日ぐらいでしょう。そこから完全に治るまで二日ほど見ればいいかな」
「じゃあ全部で五日掛かるってことですか。もっと速く出来たりしませんか?」
食い気味に尋ねる雫に、医師は困ったように苦笑を浮かべ、肩を竦める。
「いや~~そう言われてもねぇ‥‥こればっかりは怪我の治療だからね。自分の回復力以上に早く治す方法なんてないよ。まぁ、強いて言えばしっかり食べて、ちゃんと寝ることぐらいかな。」
「‥‥そうですか」
期待していた答えではなかった。
目に見えて肩を落として露骨に落胆を滲ませた。彼女としては一刻でも早く怪我を治し、再びダンジョン探索へ戻りたかったが、身体がついてこない以上は焦ったところで意味はない。ここで無理をして傷を悪化させれば、次に待つ戦いにすら支障を来たす。
それだけは避けなければならなかった。
「じゃあ湿布だけ出しておくから、お大事にね」
「はい、ありがとうございます」
軽く頭を下げて診察室を出ると、病院の廊下の奥から慌ただしい足音が響いてきた。
「雫ちゃーーん!!」
場違いなほど大きな声を響かせながら叔父が駆け寄ってきて、その勢いのまま顔を覗き込む。
「どうだった?怪我は酷くなかったか?」
周囲の視線が一斉にこちらへ向くのを感じて、雫は思わず額を押さえた。
本当にこの人は、いつまで経っても自分を小学生か何かだと思っているらしい。怪我をして心配を掛けたこと自体は、自分にも非があるし申し訳なく思っているが‥‥それとこれとは話が別だ。
ここは病院であり、自分たちだけの場所じゃない。そんな中で名前を叫ばれるなど、恥ずかしい以外の何ものでもない。
「はぁ‥‥もう、本当にやめてくれ。家の中なら百歩譲っていいけど‥‥外、それもこんな人がいる場所で大きな声で名前を呼ばないでくれ‥‥本当に恥ずかしい。」
呆れ混じりに言うと、叔父はしゅんと肩を落とし、申し訳なさそうに眉を下げた。
「あぁ‥‥ごめんよ。でも、それぐらい心配なんだ」
「うん、それは分かってる」
雫は一度息を吐き、少しだけ声音を柔らかくする。
「だけど、俺は叔父さんが思ってるほど子供じゃないし、何も出来ないわけじゃない。だから、そこまで強く心配しないでくれ。お願いだからさ」
そう言うと、叔父は少しだけ目を丸くしたあと、苦笑しながら頷いた。
「すまん。気を付ける」
素直に謝るその姿に、雫もそれ以上は何も言わなかった。もっとも、どうせ明日になれば、この人はまた同じように大騒ぎするだろう。
そんなことを半ば諦めたように思いながら、雫は叔父と並んで病院をあとにし、夕暮れに染まり始めた帰り道を歩き出すのだった。




