第86話 見破られる嘘。
強化ゴブリンとの戦いを終えた雫は、全身から力が抜けたようにその場へ倒れ込み、荒い呼吸を何度も繰り返しながら冷えたダンジョンの床へ背を預けていた。
額からは汗が流れ落ち、その表情には疲労と興奮が色濃く滲んでいる。
「はぁ‥‥はぁ‥‥さっきの‥‥ゴブリン‥‥絶対におかしい!!あんな強いゴブリンが存在しているなんて聞いた事も見たこともない!!水瀬ッ!!絶対におかしかったよね!?」
雫は息を切らしながらも勢いよく声を張り上げ、その異常なまでの強さを訴えていた。
それは純粋な驚きだけではなく、ゴブリン程度の相手にここまで手こずってしまった自分の失態を少しでも薄めたいという、必死な言い訳にも似た感情が混ざっていた。
だが、その相手が悪かった。
ディアブロは言うまでもなく、水瀬もまた今となっては他人に対して深い関心を抱くことをほとんどやめている。だからこそ、雫がどれだけ自分を正当化しようと必死に言葉を並べても、その心に響くことはないが、今は仕事中であり、役目を果たす為にちゃんと反応を示す。
「ね!!あんなに強いゴブリンがいるなんて驚きだね!!もしかしたら、新種かも知れないね。そんな新種のゴブリンと戦ったんだから‥‥体の方はどう?怪我とはしてない?」
雫の言葉を拾いながらも、水瀬が本当に確認したかったのはそこではない。このまま探索を続行できる状態か‥‥それだけだった。
問いかけを受けた雫はゆっくりと体を起こし、先程まともに一撃を受けた腕を何度も動かして確かめる。関節を曲げるたびに鈍い痛みが走るのか、その度に眉が僅かに歪んでいた。
「少し、痛みがあるが‥‥まだ、全然いける。」
強がり混じりのその返答に、水瀬は即座に嘘だと見抜いた。
腕を庇う不自然な動き、力を入れるたびに僅かに強張る口元、そして呼吸の乱れ。その細かな変化だけで、見た目以上に深い損傷を受けていることは明白だった。骨折こそしていないものの、相当酷い打撲を負っているのは間違いなく、この状態で進んでも先程のようなまともな戦闘など不可能だと判断する。
「そう、分かったわ」
そう口では返しながらも、水瀬は雫に見えないように背後にいるディアブロへ視線を送り、そのまま首を大きく横に振った。
その合図が意味するのは単純明快で『続行不可能』を表している。
それを受けたディアブロは一瞬で意図を理解し、即座に撤退を決める。迷う理由など最初から存在しなかった。
「今日は一旦戻ろうか」
静かに告げられたその言葉に、雫の表情が露骨に曇る。疲労で重い体を無理やり起こしながら、その目には焦りが浮かんでいた。
「何でだ?まだ‥‥まだ‥‥俺はやれるぞ?それなのに、もう終わりなのか?」
その言葉には焦燥が滲んでいた。ゴブリン如きを簡単に倒せなかったことで、自分が役立たずだと判断され、このパーティーから外されるのではないか、そんな不安が胸を締め付けていたのだ。
その表情はまるで「まだやれる」「もう少しだけ待ってくれ」と必死に訴えているようだったが、それは完全な思い込みでしかない。
「うん、終わり。でも、それはこのパーティーが終わりって意味じゃない。」
ディアブロにその気は一切ない。雫を切るつもりも、ここで見限るつもりもない。ただ今は退くべきだと判断した、それだけの話だった。
「それじゃあ、また明日とかに始めるってことか?」
「明日は無理だと思う。次の探索は雫の腕が治ってからだ。ちゃんとこの探索の後に病院で診てもらって、怪我を治してからまた始める。それと危険だから、怪我を隠そうとしないで」
その言葉を聞き、自分の嘘が完全に見抜かれていたことを悟った雫は、視線を落としながら小さく肩を震わせる。
そして、消え入りそうな声で――
「‥‥ごめん」
そう謝った。
普段の強気な態度からは想像もつかないような、どこか年相応の少女らしい弱さを初めて覗かせた瞬間だった。
こうして三人での初めての探索は、一層の序盤というあまりにも早い段階で幕を閉じることとなり、彼らはそのままギルドへ引き返すことになるのだった。




