第85話 手こずる初戦。
『神の手違いが生んだ報われぬ者の転生録』
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「蜻蛉切‥‥いい名前だねッ!!」
水瀬の口から出たその言葉は、決して本心から出たものではなく、この場の空気を壊さない為に咄嗟に選んだ褒め言葉だったが、自分の武器を褒められた雫はその裏にある本音など知る由もなく、素直に頬を緩めて嬉しそうに笑みを浮かべる。
水瀬自身は蜻蛉切という名に特別な感情など抱いていない。
それでも、この場で上手くやっていくには時として嘘も必要だと理解していた。そして、そのやり取りを横目で見ていたディアブロは、人間という生き物が「空気を読んで嘘を吐く」という行為を自然に行うことを、また一つ知るのであった。
そんな風に二人の会話は思いのほか弾み、気づけば互いの距離も少しずつ縮まっていく。そして自然な流れのまま、その話題は前を歩くディアブロへと移っていった。
「俺の役割は何となく分かったけど‥‥春宮くんは何をするんだ?」
雫の問いに、水瀬は一瞬だけディアブロへ視線を向ける。
黒盤の覇道の普段のダンジョン探索において、ディアブロが自ら戦うことはまずない。
それは決して力がないからではなく、水瀬とベガを少しでも強く育てる為に、あえて自分は手を出さないという選択をしているだけだ。もし二人が既にディアブロの求める領域へ届いていたのなら、その時は迷いなく自ら前へ出て、自身の封じられた能力を少しでも解放する為に戦っていただろう。
だが今日は違う。
今回の目的は雫の才能を見極め、その力を開花させる手伝いをすることで、主役は水瀬でもディアブロでもなく雫自身であり、彼女がどこまで戦えるのか、その限界と可能性を測ることこそが今日の本当の目的だった。
とはいえ、それを正直に伝えてしまえば雫が意識し過ぎて普段通りの力を出せなくなる可能性がある。それに、ディアブロと水瀬の実力を知らない雫が、その立ち位置を素直に受け入れるとも思えない。
だからこそ返答は難しいはずだったが、水瀬にとってはそうでもない。
「春宮は戦わずに私達の事を見てくれるよ」
あっさりとそう答えたが、当然、その一言だけで納得できるはずもなく、雫の眉が僅かに寄る。
「見てくれるってどういうことだ?一緒には戦わずに後ろで見てるだけってことか?」
先程まで何の疑いもなく会話していた雫だったが、その事実を知った途端、空気が微かに変わった。春宮という男に対する認識が揺らぎ、その表情には警戒と不信が滲んでいる。
その小さな変化を、水瀬は見逃さなかった。
「うん、そうだね。私がギルドでさぁ、“私たちも学校の成績は良くない”って言ったの覚えてる?」
「あぁ、それがどうした?」
雫の顔には露骨に疑問が浮かんでいた。今、その話を持ち出す意味が分からない――そう言いたげな表情だが、水瀬にとってこの言葉こそが最も重要だった。
「私達って言ったけど‥‥実は成績が悪かったのは私だけなんだよね。私はずっと最弱って評価を受けてた。でも、それを変えてくれたのが春宮なの。でも、少し強くなったぐらいじゃ‥‥その差は埋まらない。まだまだパーティーメンバーとして不十分なの。だから春宮は今でもずっと後ろで私を見てくれている。」
その時の水瀬の目は、普段見せる少し生意気で勝気な光を宿したものではなかった。まるで親へ日頃の感謝を伝える子供のように、柔らかく、どこか温かみを帯びていた。
その視線と言葉に偽りがないことを感じ取ったのか、雫の中にあった不安と警戒は少しずつ解けていく。
「春宮の力なら、私が普段戦ってるモンスターなんか簡単に倒せるんだよ。でも、それをしないで私に合わせてくれてるんだよ。それぐらい強いから‥‥雫ちゃんも安心していいよ」
「あぁ‥‥分かった」
そう答えた雫は、どこか照れ臭そうに視線を逸らした。
そんな空気が少し和らいだ、その時だった。
「グヘェ」
草原の奥、背丈ほどの草を無造作に掻き分けながら、一層のモンスターであるゴブリンが姿を現した。濁った緑色の皮膚に、不規則に並んだ黄ばんだ牙を剥き出しにし、その口元には獲物を見つけた獣のような醜悪な笑みが張り付いている。その姿だけで、初見の者なら本能的な嫌悪感を覚えるほど禍々しかった。
その姿を確認した瞬間、ディアブロは横目で水瀬へと視線を送る。それだけで意図を察した水瀬は、小さく一度だけ頷き返した。
――任せて。
無言のやり取りだけで成立する意思疎通を確認すると、ディアブロは静かに一歩、また一歩と後方へ下がっていく。
相手としては少々力不足ではあるものの、雫の実力を測る最初の試金石として考えれば十分だった。むしろ、この程度の相手だからこそ今の力量がより鮮明に浮き彫りになる。
「じゃあ、雫ちゃん‥‥やってみよう。もちろん私も後ろから支援するから」
「あぁ、分かった」
雫は蜻蛉切を両手で握り直し、深く腰を落としながら槍先をゴブリンへと向ける。まだ構えそのものには粗さが残っていたが、その目に宿る戦意だけは決して揺らいでいない。
その隣で水瀬もまた杖を構える。ただし握っているのは普段使っている専用の杖ではなく、どこにでも売られている安価な代用品であったが、水瀬の表情には一切の迷いがなく普段通りであった。
「いつでもいいよ」
その言葉を合図に、雫は大きく息を吸い込み、肺いっぱいに空気を入れてから叫んだ。
「じゃあ‥‥行くぜ!!」
地面を強く蹴り上げた瞬間、乾いた土が弾け飛び、一直線にゴブリンへ突っ込んでいく。その動きに合わせ、水瀬は後方から支援魔法を掛けるように杖を振るった。
だが、その魔法の発動相手は雫ではなく‥‥ゴブリンだった。
当然、これは水瀬の独断ではない。
ディアブロが後ろへ下がる直前、小声で「ゴブリンを強化しろ」と指示を出していたのだ。雫がどこまで戦えるのかを測る相手としてはゴブリンでもいいが、ディアブロが知りたかったのは純粋な力ではなく、その奥にある物で。
普段なら簡単に倒せるモンスターを相手に手こずり、しかも今日は自分を見てくれる人がいる環境で少しでもいい所を見せたいと思うのが当然の心理で、そこには慢心が生まれ‥‥そして焦りが生じる。
それにどう対応するのかこそが、ディアブロが見たかった奥の部分なのだ。
白魔法によって強化されたゴブリンの身体能力は明らかに上昇し、その動きは別物へと変わる。雫が放った鋭い突きは簡単に避けられ、その直後に握っていた棍棒が風を切り裂きながら横薙ぎに振り抜かれた。
――ぐッ!!
鈍い衝撃が腕に走り、雫の身体が大きく揺れる。受け止めたはずの一撃は想像以上に重く、骨の奥まで痺れるような感覚が残った。その顔には隠しきれない驚愕が浮かんでいる。
それも無理はない。
ゴブリン程度で苦戦する探索者など世界を探してもそうはいない。それほど格下であるはずの相手に押されているという現実は、雫の中に焦りと戸惑いを生み出し、自分が思っていた以上に未熟であることを突き付けていた。
大事なのは、失敗から何を学ぶのか。
自分の慢心を知り、自分を少しでも評価して欲しいという欲が原因で一撃を貰った。その失敗から何がいけなかったのかを自分で探り改善することが戦闘において一番大事な部分だ。
乾いた土を踏み締めながら、雫は何度も槍を振るう。突き込み、払われ、体勢を崩し、それでも必死に立て直して再び前へ出る。その度に汗が額を伝い落ち、荒くなった呼吸が喉を焼く。それでも止まらず、何度も何度も食らいつき続けた。
そして幾度もの攻防を重ね、身体が限界へ近づき始めた頃に、ついに雫の槍先が僅かな隙を捉え、そのまま真っ直ぐゴブリンの胴体を深々と貫いた。




